「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀・透垣
などのみだれたるに、前栽どもいと心くるしげなり。、、、」
「枕草子」の「野分のまたの日こそ」の最初の部分です。前日の台風で垣根
は乱れ、木は倒れ、庭の草花はなぎ倒されて大変な荒れようなのに、「野
分の吹いたあくる日は実にしみじみと興味深い」なんて言ってる。でも、
今朝のうちの裏庭のこの光景を見たら、清少納言さんも「いと見苦し」とお
っしゃったでしょうね。台風が来るのが分かっているのに、二階の簾をか
けたままにしておいたら、ばらばらにちぎれて、お隣の庭にまで飛び散り
ました。今年はどんどん台風が襲ってきます。我が家のあたりは、昨日ちょ
っと停電くらいで、たいしたことはなかったのですが、大きな被害が出て
いるところは大変です。
「野分」こと台風は、神代の昔から毎年毎年秋になるとやってくる厄介者で
す。大変な被害が出る一方で、昔の人はその荒れる様や、後の乱れた様
子に風流を感じたようです。俳句の秋の季語にもなっていますね。芭蕉に
も蕪村にもたくさんの「野分」の句があります。そのうちの一句、
うつくしや野分の後のとうがらし 与謝蕪村
雨風に洗われた真っ赤なとうがらしがきれいだったのでしょうね。それにし
ても、とうがらしとは、意表を突きますね、蕪村さん。
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