甥の結婚式や孫の運動会、楽しい行事が一段落して、ふと気づくと、
秋も深まり、肌寒くなってきました。
夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこおろぎ鳴くも 湯原王
虫の音が聞こえてくると、日本人は万葉の昔も今も同じく、秋の夜
の静けさに、この歌のようにしみじみとした気持ちになるようです。
万葉の時代や平安初期の古今和歌集の頃には、秋といえば、夜を詠む
のが定番だったらしいのですが、枕草子で「秋は夕暮れ」とされた頃
からでしょうか、秋は夕暮れが一番風情があるとされるようになり、今
に至っているようです。新古今和歌集に秋の夕暮れを詠った有名な
三首「三夕」があります。
寂しさはその色としもなかりけり槇立つ山の秋の夕暮れ 寂蓮法師
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ 西行法師
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ 藤原定家
どれも秋の夕方の寂しさを詠った歌です。特に上の二首には仏教的な
無常観が色濃く感じられ、現代の人間にはちょっとそぐわないかもし
れません。
夕日に薄の穂が揺れているのを見て、今の私に一番ぴったり来るのは
「故郷の空」の歌詞です。
夕空晴れて秋風吹き、月影落ちて鈴虫なく
思へば通し故郷の空 ああ我が父母いかにおはす
「誰かさんと誰かさんが麦畑、、」なんて言うコミカルな歌を、こんなしっとり
した情景の歌に変えるなんて、日本人の持つセンチメンタリズムでしょうか。
茜色に染まった空の下で森も町も闇の中に沈んでいく、懐かしく美しい秋の夕暮れです。
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