広々とした土の道の両側に並ぶ藁葺き屋根の家々。時代劇でしか見るこ
とのできない風景がここにはあります。会津西街道の宿場町「大内宿」。
深まり行く秋の一日、観光客で大賑わいでした。
会津若松から江戸へ行く脇街道だった会津西街道は、あまり使われなく
なり、水害にあったりしたものの、この大内宿は紆余曲折を経て生き残り、
昭和四十年頃から、まずは外部の人々の保存の熱意で形を整え、観光
地化されるに至ったそうです。
今は家々は土産物屋や蕎麦屋など営んでいます。1980年代にはたった
2万人だった観光客が、2007年にはなんと100万人を突破したのだそう
です。一緒に行った友人夫妻は、前回あまりに道路が混んで行き着け
ず、今回が再挑戦で、平日だったこともあり割合楽に到着しました。
それほどまでに人気があるのはわかります。これほど完璧に昔が残っ
ているところは、日本にはなかなかないんじゃないでしょうか。
今は資料館になっている旧本陣の二階から見た風景です。高度成長期、
日本中の藁葺き屋根がトタンなどに変えられていく中、武蔵野美術大学
の相沢教授という方などが、保存を訴えられ、悪戦苦闘の末ついに、こ
こまでにしたのだそうです。
ほとんどの家がお店になっていていますが、地元の民芸品や特
産物などを売り、、景観を壊さない、味のあるたたずまいです。
大内宿は太い葱をお箸代わりにして食べる高遠蕎麦が名物です。通り
の裏に広がる蕎麦畑でとれたお蕎麦の実を使っているのでしょうか。
大内宿は、問題をはらみつつも、保存に成功した好例です。
「全国の宿場町は、どこでも大内になり得た、、」と相沢教授は
悔しそうにおっしゃったそうです。近代化、高度成長の下でどれ
ほどたくさんの古き良き日本が消えていったことでしょう。美しい
藁葺き屋根を眺めて、色々な思いに捕らわれたひとときでした。
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