貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

猪と鉢合わせになるところ!

2022-12-26 14:39:20 | 日記
令和4年12月26日(月)
 昨日昼前、
いつものようにノルディックウォーク、
いつもの多摩川周回コース。
途中三叉路の処で、若い男性が
携帯片手に左側を見ながら、
「おいで、おいで!」
の手招きを繰り返している。
 子どもの自転車乗りの撮影でも・・・?
近くまで来たら、
「猪です。」
「えっ?」
前の空き家の庭から薄汚れた白い
大きな犬かなと誤解する様で、
のしのしと・・・下向いて・・・!
「ほんとだ。野生の猪だ!
 すぐ知り合いの家に避難。
 携帯も不携帯。
 行き先と違う方向にてくてくと・・・
お巡りさんが二人その跡を追っている。
 取りあえず自宅に急いで帰り、
知人のうちに電話して、
用心してもらうことに・・・・。
 その後、メ-ルでやりとり。
 多摩川を渡って住みかのほうに
去ったみたいだと結末。
 クリスマスに猪とは?
トナカイのほうがいいかな?
尾花沢市: 念 通 寺  
        
 芭蕉翁と親交あった俳人であり
豪商の鈴木八右エ門清風の菩提寺で、
お墓もある。
 しかし、あいにく葬祭と重なり、
車も人もいっぱい。 
 何にも聞けず。
 お邪魔にならぬよう気遣いするのみ。
<句碑かな?>

 参拝して、次へ向かう。


尾花沢:「涼しさを・・・」の連句碑

2022-12-25 14:31:59 | 日記
令和4年12月25日(日)
 「涼し塚」の東側にも
2つの石碑がある。
<尾花沢芭蕉の思い出碑>

 右に、
「十泊のまち尾花沢 芭蕉翁」
の石碑。

 左の大きめの石碑は、
「芭蕉連句碑」。

 連句碑には、
芭蕉が尾花沢滞在中に巻いた、 
「すゞしさを」
歌仙の初折の表4句が
刻まれている。
「涼しさを 
  我宿にして 
   ねまる也」  
       芭蕉
「つねのかやりに
     草の葉を燒」    
          清風
「鹿子立つをのへの
  清水田にかけて」 
          曾良
「ゆふづきまるし
   二の丸の跡」    
          素英


苦の山刀伐峠越えから 清風の安楽へ

2022-12-24 11:56:11 | 日記
令和4年12月24日(土)
 「涼し塚」の芭蕉句碑の隣に、

「壷中居士」を刻む石碑が建っている。

 壷中は、
村山地方を代表する江戸期の俳人で、
初め蕉門十哲・服部嵐雪の流れを汲む
海谷一中に入門。 
 後に、蕉門十哲の一人各務支考を
祖とする美濃派の俳人林風草(鶴岡)の
門下となる。            
 宝暦元年(1751)、
俳諧仲間と山寺立石寺に
「蝉塚」を築いた人物である。
「富める者なれど
 志いやしからず。
 都にも折々かよひて、
 さすがに旅の情を知たれば、
 日比とゞめて、 
 長途のいたはり、
 さまざまにもてなし侍る。」
と、清風の人柄と
そのもてなしの多彩さ、誠実さに
居心地の良さを満喫する芭蕉である。
  苦は楽の種。
 山刀伐峠越えまでの苦しさからも
解放された楽しい日々となる。
~つづく。

涼しさや・・・「涼し塚」!

2022-12-23 13:49:29 | 日記
令和4年12月23日(金)
尾花沢市: 養 泉 寺   
<山門>
     
 芭蕉は、養泉寺で七泊する。
<おくのほそ道ゆかりの地説明>

 清風邸から700mほど離れた
梺(ふもと)町にある天台宗の寺で、
江戸時代まで上野東叡山寛永寺
直系の寺院として格式を誇る。
<本殿>


 本尊は、
慈覚大師作の聖観世音菩薩。
 境内に、
柴崎路水と鈴木素州が
宝暦12年(1762)に建てた   
「涼しさを 
   我宿にして 
      ねまる也」

の芭蕉句碑がある。
<涼し塚>
<芭蕉句碑>
 
 隣に「壷中居士」を刻む石碑が
建っている。
~つづく。

芭蕉と清風の仲!

2022-12-22 11:15:25 | 日記
令和4年12月22日(木)
尾花沢市: 芭蕉清風歴史資料館    
 山形県道120号東根
尾花沢線沿いにある。

 二度目の訪問。

 松尾芭蕉は、
奥の細道の旅で
尾花沢市の鈴木清風を訪ね、 
10日間滞在する。

 それらの資料などが
ここに展示されている。
 ビデオで、
芭蕉と清風をゆったり偲ぶ。 
<芭蕉翁像>

            
 建物は、
旧丸屋・鈴木弥兵衛家の店舗と母屋を、
鈴木清風宅の隣に移転復元したもので、
尾花沢地方における
江戸時代の町屋の完成した姿を
伝える貴重なものでもある。