『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
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[与党民主党考・90 「兵站と想像力]

2010-07-07 23:04:21 | 保守の一考
☆先ず、今日の一言。

 「最近の集中豪雨災害の被害は、全て、民主党の責任で、人災である」

 「ダム・ファッカー(クリック!)」である私は怒っていますゾ!!!

   ◇

 いやはや、仕事が忙しい・・・。

 でも、民主党に、次の選挙を勝たせたら、日本はフニャチン化するのが分かっているので、必死に書いている・・・。

 最近、石原慎太郎が誰かと対談している記事を読んでいたら、「兵站」と言うものを英語に訳すと「ロジスティクス」であることを、今更ながら知った。

 兵站とは、「軍事用語の1つで、戦闘部隊の後方にあって軍隊の戦闘力を維持し継続的に作戦行動を可能とする機能や活動、組織の全般を指す。一般的に兵器・燃料・食料などを戦闘部隊へ届ける補給、兵器を含む機械類の整備と修理、将兵の医療、拠点設営、兵站線の確保、各種物品の取得と保有・管理、役務提供等を包括的に指す(『Wikipedia』より)」。

 日本軍は、この「兵站」を重要視していなかったから、先の大戦に敗北したとも言われている。

   ◇

 思えば、私は、社会人になってから、そのほとんどを「ビジネス・ロジスティクス」の中で生きてきた。

 そして、かような文章まで書いていた(【 『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第十九回 】2005-12-11 19:45)。

 <・・・「補給」の概念は、「兵站部」「輜重兵」と言う言葉で、戦場では意味づけられる(「通信兵(伝令)」などもここでは加えたい)。
 ちょっと勉強不足なのだが、多くの研究家や作家が、この「補給線」に注目しているのは分かるのだが、そのほとんどが、「ソビエト側の長大な補給線に安心し、自軍の補給線を過信する関東軍」と言う図式で描かれている。
 これは、ちょっと、疑ってかかるべき問題だが、今のところ、私には、そこが突きとめられない。
 戦場においては、華々しく敵を打ち破る前線の兵士がクローズアップされるが、後方支援の「補給部隊」と言うものも、それに匹敵して、非常に重要な役割である。
 その重要性というものは、簡単に言うと、「コミュニケーター(繋ぐ者)」としての重要性である。
 それは、もちろん、食料・弾薬などの物理的要素に限らず、「情報」と言う形のない精神的要素を持っていることも含む。
 私はかつて、成田空港貨物部で働いていたのだが、単純に言うと、三課に分けられていた。
 その第一課は、正式なネーミングは忘れたのだが、航空機から下ろした貨物をチェックする部署であった。
 第二課「搬送」は、チェック後の貨物を、主にフォークリフトで、蔵置場所に運ぶ仕事であった。
 第三課「搬出」は、それらを、お客さんに引き渡す仕事であった。
 私は、第二課に配属され、どうにも、その仕事内容の「あやふや」さに、自分の仕事と言うものへのアイデンティティーの揺らぎを感じさせられたものだった。
 第一課には、「飛行機」と言うカタチがあった。
 第三課には、「お客さん」と言うカタチがあった。
 なんと言おうか、そこには、社会で仕事をする上での「外界との接点」が感じられた。
 第二課には、それを感じられなかったのだ。ただ、社内(現場でもシステム上でも)で、コチョコチョ動いているようなイメージしかなかったのだ。
 ・・・だが、そんなアイデンティティの揺らぎも、貨物を、何百、何千、数万と運んでいくうちに、体で、その重要性を思い知らされた。
     【自分らの作業がなくては、全作業が滞る】
 と言うことが分かったからだ。
 しかし、戦場においての「補給」の重要性を、私は、頭で分かっていても、まだ、身について理解しているとは言い難い。
 ただ、システムの中の「繋ぎ(コミュニケーション)」の不全こそが、私には、このノモンハン事件での「不完全燃焼」及び、先の大戦での「敗戦」の【根本原因】と考えている。
 それだけではない。
 例えば、現在の日本・・・、保守VS左翼の対立、猟奇犯罪の激化、恋愛環境のエロス化、道徳観念の欠如、教育環境のスポンジ状化・・・、全て「コミュニケーション」の不全に拠ると言えよう。
 もちろん、社会システムの問題だけではなく、人間の個人内部での心理コミュニケーションもある。司馬遼太郎や半藤一利ともあろう者が、いつしか、自分の主張の中に凝り固まってしまったのは、これまでのこのシリーズを読んでいただければ分かろうことだ。
 マンション耐震構造偽装問題の中心人物・姉歯建築士・・・、会社絡みのみに意識が集中し、さて、マンションに住む人のことなど更々考えていなかった。
 姉歯氏の、あの希薄な表情は、どのような生活環境で生成されてきたのか・・・。
 現在の日本は、国家レベルのコミュニケーションが全く機能しなくなっている。
 物理的要素「宅配」「流通」、精神的要素「携帯電話」「ネット」などなどが浸透しているが、それらは、至る所でブツブツと断裂させられている。
 多くのコミュニケーションのコロニーがひしめいているが、それを統合する機構がない。
「殺人嗜好」の集団のコロニーがあったとする。そこには、そこでだけ通用する「常識」がある。だが、それを「異常」だとする「外界」とのコミュニケーションが存在しないのだ。だから、その閉鎖空間で熟成された観念が、たまに現実社会で爆発する・・・。
 戦後の歴史は、国家的なコミュニケーションの「切断」の歴史だったのかも知れない。
 その萌芽が、「ノモンハン」に見られる、か・・・。
 そこに、辻政信少佐が佇んでいるのか・・・。
 それを、私は考えていきたいのだ。
 話が横道に逸れてしまっているが、もう二点だけ言っておきたい。
 私が、国家的指導者を求めているということが、上記の話の帰結であるが、現在、大きな力を得た政治家に小泉純一郎首相がいる。
 この人が着手している改革に「郵政民営化」がある。
 「郵政」・・・、物理的/精神的コミュニケーションの大きなシステムである。
 私には、それを民営化するということが、どのような結果を生むか分からない。
 だが、前段を書いていて、やや、「国家破壊」を促進させていくような不安感がある。
 待望の強き国のリーダーだが、その為すべきことは、国家破壊なのか・・・・。
 と、いちお、不安な気持ちを書いておく。
 それと、なんか非現実感の漂う小泉首相の会見での受け答えと、姉歯氏のそれは、似ている点がある。
 それから、コミュニケーションの問題を語ったわけだが、その中で、私は会社内での「つなぎ役」を、良い面と悪い面で語った。矛盾しているようでいて、全く矛盾していないので、どうか、読者の方はじっくり考えて頂きたい。
 かなり、横道に逸れましたが、この「コミュニケーション」の話が、『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』の核となるテーマである。
 私は、それを、【個々の思惟と恣意のぶつかり合い】と呼ぶ。・・・>

   ◇

 で、こうして、書いてきたが、私が言いたいのは、

 民主党と言う存在は、これまでの人間が紡いできた「ロジスティクス(コミュニケーション)」を、政治的にも、道義的にも、精神的にも、完全に破壊し続ける存在であると言うことだ。

 大きなところでは、国会の停止がある。

 自分らの都合で、「国権の最高機関」を断絶せしめたのである。

 また、自分らの都合ではじめ、何ら「予算削減」に繋がらない行為「事業仕分け」で、何でもかんでも中止し、継続が力となる行為に終止符を打ち続けた。

 そして、マニフェストにおいては、自分らが政権取りするに都合のいい甘言を国民に対してぶち上げ、

 だが、ぶち上げるはいいが、それを実行に移す・・・、実行に移した後のケアと言う、政策実現へとつなぐ、思考・行動の「ロジスティクス」を、完全に放棄している。

 「ロジスティクス」とは、何かと何かを「繋ぐ」ものである。

 点(国民)と点(政策)を繋ぐ線である。

 点は、その二極だけではない、予算であったり、結果であったり、影響でもあったりする。

 民主党には、この「線」の概念がなく、そこは常に切断されている。

 民主党には、それを繋げる「想像力」が全くない。

 だから、昨年8月以来、そのマニフェストは実現されたためしがないのだ。

   ◇

 皆さん、今度の日曜の選挙は、よーく考えて投票してくださいね。

 では、私は寝ます^^;

                                         
(2010/07/07)
コメント
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