☆素晴らしいですね。
しっかりと傑作でした。
思えば、このシリーズは、繰り返し「必衰の理」を表現し続けている。
少年アンディのおもちゃ達、その中心として、保安官の人形ウッディがいる。
シリーズ通して、ずっとリーダーではあったが、そのリーダーシップは、シリーズの経過を通して、次第に個人から仲間へと広く深くなっていく。
私は、そのウッディの、その都度の「必衰の理」に、サラリーマンの悲哀(昇進込み)を感じたものだが、
それは見ている者の立場で変わり、
子供が見たらそのままに、
クラブ活動に夢中の学生であったら、そこに努力の必要性を見るだろうし、
才能重視の世界に生きている者(プロスポーツ選手、歌手、作家など)は、その才能の枯渇や流行へのノリを思うだろう。
繰り返しのテーマであるが、それは普遍のもので、今回も考えさせられた。
ただ、今回は、シリーズ完結篇で、大人になってしまったアンディとの別れが描かれる。
故に、エンディングこそ「別れ」で情緒的になるが、そこに至る流れにおいて、作り手は、違うベクトルを用意していた。
間違って捨てられたアンディのおもちゃたちが引き取られる、「強制収容所」の如き保育園を描き出すのだ。
「別れ」がテーマであるが、メンバーは至ってマイペースなので笑えるのだが、この保育園のシーンから後は、かなり辛らつなブラックユーモアで物語が描かれる。
もろ、ナチスのユダヤ人強制収容所である。
ここでも、カウガールのジェシーが、そういった性格なのだが、お得意の空元気みたいな姿を見せて、却って物語を暗くさせる^^;
私的にはオッケーだが、見ようによってはダークな展開である。
でも、満員の客席のかなりのパーセンテージを占めている子供にぐずる者もなく、終盤でもゲラゲラ笑っていた(ポテトヘッド大人気!)ので、作品の対象年齢としては当然のことながら子供にも楽しかったのだろう^^
「強制収容所」には、力持ちの赤ちゃん人形を用心棒にしている、老獪な熊のぬいぐるみが君臨していた。
この二人組には、もう一人のピエロの仲間がいて、クマ・赤ちゃん・ピエロと人形の素材の定番だが、それぞれが直球の悪だったり、ひねった悪だったり、シニカルだったりと種類を変えた諦観が描かれる・・・。
そこでは、宇宙の戦士・バズの、会社に裏切られる労働組合のリーダーみたいな姿も見られる・・・。
バズは「洗脳」されて、敵方(体制側)についちゃったりもする^^;
◇
クライマックスの畳み掛けは凄まじい。
その中で、ウッディは、仲間を率い、希望への逃走劇を続ける。
だが、最終的に、にっちもさっちも行かなくなり、溶鉱炉を目の前にして、仲間全員で手を繋ぎ、悲しい笑顔で死を迎えるしかなかった。
そんなアンハッピーエンドで終わるしかないのかな、とさえ思わせられる、ウッディたちの徹底的な追い詰められ方だった。
・・・ウッディの笑顔が悲しかった。
◇
だが、そこに、神が登場する。
それまで、神を待望し続けるのみであった<三つ目のエイリアンたち>こそが、まさに、自ら神になってしまうのだった^^
◇
多分、もう一回は観に行くと思うので、今回の感想はこの辺でやめておく。
ただ、オモチャたちの中にトトロがいたのには笑った^^
◇
それから、3Dの技術は見事だぞ。
最近思うのが、最近の「3D」っちゅうのは、「飛び出てくる」と言う視覚に訴えることがポイントなのではなく、人間の脳中枢に立体的な構造を自然な視界で植えつけ、感覚を鋭敏にするのが目的なのだと思う。
『アバター』の3Dが奇を衒ったものでなく、自然であり、その主人公の躍動感が私の身体を刺激していたことから、3Dの真価とはそこにあるのだと思い始めているのだ。
ピクシー作品につきものの、いちお併映となる今回の冒頭の超短編も、3D映画の可能性の一つを見せてくれてましたね(手塚治虫の実験作アニメを髣髴とさせられた)。
◇
囚われのジェシーらが、外のウッディから、扉の下の隙間を通して鍵を受け取るときのアクションなんて、最高に素晴らしかったな!^^v
いや、また観に行きますから^^
(過去ログ)・・・[映画『トイ・ストーリー/トイ・ストーリー2 3D』を観た] クリック!!
(2010/07/10)
しっかりと傑作でした。
思えば、このシリーズは、繰り返し「必衰の理」を表現し続けている。
少年アンディのおもちゃ達、その中心として、保安官の人形ウッディがいる。
シリーズ通して、ずっとリーダーではあったが、そのリーダーシップは、シリーズの経過を通して、次第に個人から仲間へと広く深くなっていく。
私は、そのウッディの、その都度の「必衰の理」に、サラリーマンの悲哀(昇進込み)を感じたものだが、
それは見ている者の立場で変わり、
子供が見たらそのままに、
クラブ活動に夢中の学生であったら、そこに努力の必要性を見るだろうし、
才能重視の世界に生きている者(プロスポーツ選手、歌手、作家など)は、その才能の枯渇や流行へのノリを思うだろう。
繰り返しのテーマであるが、それは普遍のもので、今回も考えさせられた。
ただ、今回は、シリーズ完結篇で、大人になってしまったアンディとの別れが描かれる。
故に、エンディングこそ「別れ」で情緒的になるが、そこに至る流れにおいて、作り手は、違うベクトルを用意していた。
間違って捨てられたアンディのおもちゃたちが引き取られる、「強制収容所」の如き保育園を描き出すのだ。
「別れ」がテーマであるが、メンバーは至ってマイペースなので笑えるのだが、この保育園のシーンから後は、かなり辛らつなブラックユーモアで物語が描かれる。
もろ、ナチスのユダヤ人強制収容所である。
ここでも、カウガールのジェシーが、そういった性格なのだが、お得意の空元気みたいな姿を見せて、却って物語を暗くさせる^^;
私的にはオッケーだが、見ようによってはダークな展開である。
でも、満員の客席のかなりのパーセンテージを占めている子供にぐずる者もなく、終盤でもゲラゲラ笑っていた(ポテトヘッド大人気!)ので、作品の対象年齢としては当然のことながら子供にも楽しかったのだろう^^
「強制収容所」には、力持ちの赤ちゃん人形を用心棒にしている、老獪な熊のぬいぐるみが君臨していた。
この二人組には、もう一人のピエロの仲間がいて、クマ・赤ちゃん・ピエロと人形の素材の定番だが、それぞれが直球の悪だったり、ひねった悪だったり、シニカルだったりと種類を変えた諦観が描かれる・・・。
そこでは、宇宙の戦士・バズの、会社に裏切られる労働組合のリーダーみたいな姿も見られる・・・。
バズは「洗脳」されて、敵方(体制側)についちゃったりもする^^;
◇
クライマックスの畳み掛けは凄まじい。
その中で、ウッディは、仲間を率い、希望への逃走劇を続ける。
だが、最終的に、にっちもさっちも行かなくなり、溶鉱炉を目の前にして、仲間全員で手を繋ぎ、悲しい笑顔で死を迎えるしかなかった。
そんなアンハッピーエンドで終わるしかないのかな、とさえ思わせられる、ウッディたちの徹底的な追い詰められ方だった。
・・・ウッディの笑顔が悲しかった。
◇
だが、そこに、神が登場する。
それまで、神を待望し続けるのみであった<三つ目のエイリアンたち>こそが、まさに、自ら神になってしまうのだった^^
◇
多分、もう一回は観に行くと思うので、今回の感想はこの辺でやめておく。
ただ、オモチャたちの中にトトロがいたのには笑った^^
◇
それから、3Dの技術は見事だぞ。
最近思うのが、最近の「3D」っちゅうのは、「飛び出てくる」と言う視覚に訴えることがポイントなのではなく、人間の脳中枢に立体的な構造を自然な視界で植えつけ、感覚を鋭敏にするのが目的なのだと思う。
『アバター』の3Dが奇を衒ったものでなく、自然であり、その主人公の躍動感が私の身体を刺激していたことから、3Dの真価とはそこにあるのだと思い始めているのだ。
ピクシー作品につきものの、いちお併映となる今回の冒頭の超短編も、3D映画の可能性の一つを見せてくれてましたね(手塚治虫の実験作アニメを髣髴とさせられた)。
◇
囚われのジェシーらが、外のウッディから、扉の下の隙間を通して鍵を受け取るときのアクションなんて、最高に素晴らしかったな!^^v
いや、また観に行きますから^^
(過去ログ)・・・[映画『トイ・ストーリー/トイ・ストーリー2 3D』を観た] クリック!!
(2010/07/10)