☆明日は、飲酒に厳しい定職ではなく、バイト(海の家みたいなところ)なので、今、大衆的イタリアンレストラン(簡単に言うと「サイゼリア」^^;)で赤ワインをしこたま飲んだので、酔っ払っている。
『借りぐらしのアリエッティ』(クリック!)について、もうちょい語りたい。
でも、久し振りの飲酒でかなり酔っ払っている^^;
・・・私は、この作品には、えらく感心し、見てから二日経つのに、仕事中に、数々のシーンを思い出させられた。
「感動」ではなく「感心」であることは、自分としては作品に一線を置いているのかも知れない。
でも、こんなに余韻が残る作品は、最近では稀だ。
この作品を酷評する人が、ネット上でも散見されるが、信じられない。
この作品のテーマ性のスケールの問題でならば、それも傾聴に値するのだが、この作品を見た後でさえも、その構成因子のことごとくを批判できる映評ブロガーがいることが信じられない。
おそらく、試写会かなんかで一足先に観覧した方の高評価に対し、過剰な条件反射で否定してしまっているのだろう。
でも、いい作品に対しては、そういった「僻み」「妬み」「嫉み」を超越して賞賛してしまう節度もあると思うのだが・・・。
◇
・・・と、ここまで書いて、凄く眠い・・・^^;
『アリエッティ』における「だんご虫」の可愛さについて書きたい。
多くの方が、アリエッティの両手の中で、だんご状になっただんご虫を評価しているが、私は違うのである。
アリエッティから開放され、その場を離れるときに、迎えに来てた「つがい」のだんご虫と鉢合わせになり、なにか、虫なりにモニャモニャと会話を交わした後に、仲睦まじく二匹で去っていく姿に、何とも言えない微笑ましさと、その本来は描写する必要のないシーンを重要視し、作品内に残した製作スタッフにえらく感心したのである。
◇
また、大上段に構えたようなテーマ性に欠ける作品の中で、アリエッティと人間の少年:翔の間で交わされる「滅ぶべき小人族」の問答がある。
ぶしつけに翔の語る「小人族滅亡論」にアリエッティは泣く。
だが、その翔の小人族への悲観論は、心臓病で余命が脅かされている翔の心の弱さが語らせた、他者への転化でもあった。
このシーンでだけ語られる「滅亡するのは人間か小人か?」のテーマに対し、多くのブロガーが、「取って付けたみたいなテーマだ」と言っている。
が、違うのである。
このシーンは、テーマの提示でさえないのである。
この作品は、アリエッティの初恋の物語であり、
この傷つけられたアリエッティの、それでも翔に抱く好奇心の構図は、
アリエッティが、翔に擬似情交(セックス)されたことを表わすのだ。
そう考えないと、このシーンの突出は理解できないし、
この作品自体の起伏として認めることは出来ないだろう。
そして、だからこそ、エピローグの、翔のアリエッティに対してのセリフ「君は、僕の心臓の一部だ」が凄まじく生きてくる。
このセリフ、吟味すればするほど、妙なセリフである。
確かに、翔は心臓が弱っているので、その単語が出るのも理解できる。
が、それでも、ここで心臓を語るのは生々しい。
しかし、性交をした後の二人の関係と考えるならば、その生々しさも理解できるのである。
そう言わせている物語が、私にはたまらなく愛しい。
・・・小品ではある。
小品ではあるが、現時点における今年ナンバー1である。
◇
早いけど、寝ます^^;
(2010/07/22)
『借りぐらしのアリエッティ』(クリック!)について、もうちょい語りたい。
でも、久し振りの飲酒でかなり酔っ払っている^^;
・・・私は、この作品には、えらく感心し、見てから二日経つのに、仕事中に、数々のシーンを思い出させられた。
「感動」ではなく「感心」であることは、自分としては作品に一線を置いているのかも知れない。
でも、こんなに余韻が残る作品は、最近では稀だ。
この作品を酷評する人が、ネット上でも散見されるが、信じられない。
この作品のテーマ性のスケールの問題でならば、それも傾聴に値するのだが、この作品を見た後でさえも、その構成因子のことごとくを批判できる映評ブロガーがいることが信じられない。
おそらく、試写会かなんかで一足先に観覧した方の高評価に対し、過剰な条件反射で否定してしまっているのだろう。
でも、いい作品に対しては、そういった「僻み」「妬み」「嫉み」を超越して賞賛してしまう節度もあると思うのだが・・・。
◇
・・・と、ここまで書いて、凄く眠い・・・^^;
『アリエッティ』における「だんご虫」の可愛さについて書きたい。
多くの方が、アリエッティの両手の中で、だんご状になっただんご虫を評価しているが、私は違うのである。
アリエッティから開放され、その場を離れるときに、迎えに来てた「つがい」のだんご虫と鉢合わせになり、なにか、虫なりにモニャモニャと会話を交わした後に、仲睦まじく二匹で去っていく姿に、何とも言えない微笑ましさと、その本来は描写する必要のないシーンを重要視し、作品内に残した製作スタッフにえらく感心したのである。
◇
また、大上段に構えたようなテーマ性に欠ける作品の中で、アリエッティと人間の少年:翔の間で交わされる「滅ぶべき小人族」の問答がある。
ぶしつけに翔の語る「小人族滅亡論」にアリエッティは泣く。
だが、その翔の小人族への悲観論は、心臓病で余命が脅かされている翔の心の弱さが語らせた、他者への転化でもあった。
このシーンでだけ語られる「滅亡するのは人間か小人か?」のテーマに対し、多くのブロガーが、「取って付けたみたいなテーマだ」と言っている。
が、違うのである。
このシーンは、テーマの提示でさえないのである。
この作品は、アリエッティの初恋の物語であり、
この傷つけられたアリエッティの、それでも翔に抱く好奇心の構図は、
アリエッティが、翔に擬似情交(セックス)されたことを表わすのだ。
そう考えないと、このシーンの突出は理解できないし、
この作品自体の起伏として認めることは出来ないだろう。
そして、だからこそ、エピローグの、翔のアリエッティに対してのセリフ「君は、僕の心臓の一部だ」が凄まじく生きてくる。
このセリフ、吟味すればするほど、妙なセリフである。
確かに、翔は心臓が弱っているので、その単語が出るのも理解できる。
が、それでも、ここで心臓を語るのは生々しい。
しかし、性交をした後の二人の関係と考えるならば、その生々しさも理解できるのである。
そう言わせている物語が、私にはたまらなく愛しい。
・・・小品ではある。
小品ではあるが、現時点における今年ナンバー1である。
◇
早いけど、寝ます^^;
(2010/07/22)