(最初に追記)・・・現在(2010/09/13)、当ブログは三ヶ月の休止に入っているのですが、このエントリーはいまだに高アクセスです、有り難う御座います^^
つきましては、以下のエントリーでも『アリエッティ』について書いているので、是非、お読み下さい^^
[何かしら無理矢理に話す(2:『アリエッティ』追記)](2010-07-22 21:58:34)・・・クリック!!
◇ ◇
☆宮崎監督ではないジブリ作品だ。
実は、あまり興味がなく、文句をつけようとして観に行った。
翻って、昨今のジブリ作品の低評価の原因とされる、最近の宮崎駿の支離滅裂さが、実は、どんなに素晴らしいものであるかを私は語ろうと思っていたのだ。
「ポニョを出せ! この野郎!」「宮崎が亡くなったら、ジブリはピクサーに勝てないぞ!」と言おうと思っていた。
◇
・・・しかし、『アリエッティ』、とても面白かった。
先ず、最初から30分ほどが、私的には「神映像」であった。
先ず、色彩豊かな、こだわりのあるアリエッティの部屋から、私は作品に引き込まれる。
都内の自然の残る一画、その旧邸の床下に住み着いている小人のアリエッティ一家がいて、
大人と看做されたアリエッティが、住み着いている家屋の人間居住エリアに、お父さんに連れられて「借り」をするところが楽しい。
「借り」とは、小人が人間の食物や道具を借りて暮らしていることに由来する。
これまでは、お父さんが一人で、人間に見つかる危険を冒し、「狩り」のようないでたちで「借り」をしていた。
小人であるから、人間にとってなんてことのない日常の生活のモノが巨大スケールで迫ってくる。
こうして言葉で書いてみても、それだけだが、そこはそれ、ジブリが見事にヴァーチャル体験をさせてくれる。
私は、宮崎アニメの真骨頂とは、
1・空間のリアルな構築
2・高低差の重力感(空気感)
にあると考えていて、
アリエッティと父親の「角砂糖」と「ティッシュ」を求める旅は、その床下、壁中、屋根裏を行く一歩一歩からして、そのアニメ的な動きと、こだわりのギミックに彩られた舞台形成で良かった。
もちろん、人間の居住エリアに入ってからの、アドベンチャーもいい。
私は、宮崎監督以外の人材が、このアニメとしての動きや画面構成を、こうして会得しているのなら、ジブリは安泰だなと思うのだった。
ジブリは創立以来、ずーっと同じことを繰り返し描いている。
でも、それが観ている者にとって心地良いから、常にヒット作を出し続けられる。
この分ならば、ピクサーの後塵を拝すことはないだろう。
◇
で、この前半を見て思ったのが、この小人視点の人間空間の描き方が任天堂のゲーム「ピクミン」そっくりだな、と言うことだ(面倒なので、ゲームの内容については書かない)。
スタッフは、空間形成にあたり、確実に「ピクミン」を参考にしているはずだ。
証拠がある。
「ピクミン」の斬新なキャラに<ヘビガラス>がいる。
この<ヘビガラス>が、ヘビ穴から長い首を出し、四方八方のピクミンを食い散らかすシーンは有名である。
それと全く同じシーンがあった。
アリエッティが知り合う人間の少年・ショウの部屋の網戸を首だけ突き破り、アリエッティを喰らおうとするカラスのシーンがあったでしょ?
また、擬人化されていない虫たちの動きの、けれど、妙にユーモラスな動きも「ピクミン」っぽかった。
私は、何故だか、カマドウマや蟻んこ、ゴキブリにダンゴ虫・てんとう虫のシーンでクスクス笑ってしまった。
虫たちの、アリエッティからの身のかわし方が、可愛かったんだよね^^
特にダンゴ虫・・・^^
◇
で、物語の後半、人間であるショウとの交流の中で、アリエッティの初恋が、淡く、でもしっかりと描かれるのが良かった。
最初、ショウのもとに自分から出向くときの、アリエッティの決心の表情がいいし、
また、ショウを知ってしまってからの、アリエッティが急速に大人になってゆく雰囲気作りもいい。
いつもの、洗濯バサミでアップしたポニーテールも良いが、下ろしたときのボリュームのある大人びた髪形も良いね。
そして、物語の終局、一族の掟でショウと別れなくなくてはならないアリエッティの諦観の表情もいい。
だが、宮崎脚本は、ここでロマンチックな別れの場面をしつらえた。
心臓病を患って療養中のショウがアリエッティに言う、「君は僕の心臓の一部だ・・・」と言うセリフは良かった。
心にグッときました。
◇
また、個人的に、サンみたいな化粧をしたジムシィみたいなキャラクター・スピアーが登場したことが嬉しかった^^
スピアーは、二度、弓を引くが、矢を放つことはない。
矢を放たずに、弓を引くだけで、我々の視線を妙に画面に引き付けることのできる演出こそ、今回の製作スタッフの非凡さだと私は考える。
(2010/07/20)
つきましては、以下のエントリーでも『アリエッティ』について書いているので、是非、お読み下さい^^
[何かしら無理矢理に話す(2:『アリエッティ』追記)](2010-07-22 21:58:34)・・・クリック!!
◇ ◇
☆宮崎監督ではないジブリ作品だ。
実は、あまり興味がなく、文句をつけようとして観に行った。
翻って、昨今のジブリ作品の低評価の原因とされる、最近の宮崎駿の支離滅裂さが、実は、どんなに素晴らしいものであるかを私は語ろうと思っていたのだ。
「ポニョを出せ! この野郎!」「宮崎が亡くなったら、ジブリはピクサーに勝てないぞ!」と言おうと思っていた。
◇
・・・しかし、『アリエッティ』、とても面白かった。
先ず、最初から30分ほどが、私的には「神映像」であった。
先ず、色彩豊かな、こだわりのあるアリエッティの部屋から、私は作品に引き込まれる。
都内の自然の残る一画、その旧邸の床下に住み着いている小人のアリエッティ一家がいて、
大人と看做されたアリエッティが、住み着いている家屋の人間居住エリアに、お父さんに連れられて「借り」をするところが楽しい。
「借り」とは、小人が人間の食物や道具を借りて暮らしていることに由来する。
これまでは、お父さんが一人で、人間に見つかる危険を冒し、「狩り」のようないでたちで「借り」をしていた。
小人であるから、人間にとってなんてことのない日常の生活のモノが巨大スケールで迫ってくる。
こうして言葉で書いてみても、それだけだが、そこはそれ、ジブリが見事にヴァーチャル体験をさせてくれる。
私は、宮崎アニメの真骨頂とは、
1・空間のリアルな構築
2・高低差の重力感(空気感)
にあると考えていて、
アリエッティと父親の「角砂糖」と「ティッシュ」を求める旅は、その床下、壁中、屋根裏を行く一歩一歩からして、そのアニメ的な動きと、こだわりのギミックに彩られた舞台形成で良かった。
もちろん、人間の居住エリアに入ってからの、アドベンチャーもいい。
私は、宮崎監督以外の人材が、このアニメとしての動きや画面構成を、こうして会得しているのなら、ジブリは安泰だなと思うのだった。
ジブリは創立以来、ずーっと同じことを繰り返し描いている。
でも、それが観ている者にとって心地良いから、常にヒット作を出し続けられる。
この分ならば、ピクサーの後塵を拝すことはないだろう。
◇
で、この前半を見て思ったのが、この小人視点の人間空間の描き方が任天堂のゲーム「ピクミン」そっくりだな、と言うことだ(面倒なので、ゲームの内容については書かない)。
スタッフは、空間形成にあたり、確実に「ピクミン」を参考にしているはずだ。
証拠がある。
「ピクミン」の斬新なキャラに<ヘビガラス>がいる。
この<ヘビガラス>が、ヘビ穴から長い首を出し、四方八方のピクミンを食い散らかすシーンは有名である。
それと全く同じシーンがあった。
アリエッティが知り合う人間の少年・ショウの部屋の網戸を首だけ突き破り、アリエッティを喰らおうとするカラスのシーンがあったでしょ?
また、擬人化されていない虫たちの動きの、けれど、妙にユーモラスな動きも「ピクミン」っぽかった。
私は、何故だか、カマドウマや蟻んこ、ゴキブリにダンゴ虫・てんとう虫のシーンでクスクス笑ってしまった。
虫たちの、アリエッティからの身のかわし方が、可愛かったんだよね^^
特にダンゴ虫・・・^^
◇
で、物語の後半、人間であるショウとの交流の中で、アリエッティの初恋が、淡く、でもしっかりと描かれるのが良かった。
最初、ショウのもとに自分から出向くときの、アリエッティの決心の表情がいいし、
また、ショウを知ってしまってからの、アリエッティが急速に大人になってゆく雰囲気作りもいい。
いつもの、洗濯バサミでアップしたポニーテールも良いが、下ろしたときのボリュームのある大人びた髪形も良いね。
そして、物語の終局、一族の掟でショウと別れなくなくてはならないアリエッティの諦観の表情もいい。
だが、宮崎脚本は、ここでロマンチックな別れの場面をしつらえた。
心臓病を患って療養中のショウがアリエッティに言う、「君は僕の心臓の一部だ・・・」と言うセリフは良かった。
心にグッときました。
◇
また、個人的に、サンみたいな化粧をしたジムシィみたいなキャラクター・スピアーが登場したことが嬉しかった^^
スピアーは、二度、弓を引くが、矢を放つことはない。
矢を放たずに、弓を引くだけで、我々の視線を妙に画面に引き付けることのできる演出こそ、今回の製作スタッフの非凡さだと私は考える。
(2010/07/20)