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11月の越中島:朝凪橋から枝川一丁目交差点・塩浜一丁目地区へ PART1

2021年01月27日 06時00分00秒 | 江東・お台場


東京都道319号環状第3号線の「風凪橋」の道路橋梁上から、北西側の一帯に広がっている江東区の塩浜一丁目地区の埋め立て地を見渡して撮影しました。正面には「テツソー物流倉庫」の倉庫群が建っているのが見えます。これから枝川埋め立て地・塩浜埋立地を通り抜けて、越中島埋め立て地へ向かって歩いていきます。




「風凪橋」の道路橋梁内から、江東区の枝川一丁目地区内に建っている「住友不動産豊洲KTビル」のオフィスビルの建物を撮影しました。「枝川埋立地」は、豊洲本地区埋立地の敷地北側に広がっている比較的面積の狭い埋立地となっています。




北西側から、「風凪橋」の道路橋梁内から豊洲四丁目地区内に建ち並んでいる中層マンション群を撮影しました。「風凪橋」の道路橋梁の南側一帯は、豊洲地区の埋立地が広がっています。




環状第3号線の「風凪橋」の道路橋梁の北端部にやってきました。ここから北側一帯は、江東区の枝川一丁目地区の埋立地が広がっています。平日の午前中の時間帯だったためか、枝川地区内も人通りは少なかったです。




南西側から、「風凪橋」の道路橋梁の北端部から北側へ向かって伸びている環状第3号線を撮影しました。江東区の豊洲地区と木場・東陽町地区とを結んでいるルートになっているので、車の交通量が多かったです。枝川の埋立地は、その間に広がっている中継点のような場所なのですね。




江東区の枝川地区ですが、都営団地などが建ち並ぶ住宅密集地帯の風景が広がっていて、運河沿いには倉庫群なども整備されている町並みとなっています。またこの枝川地区は、1910年(明治43年)の韓国併合以降の東京地区における最大規模の朝鮮人の人達が住むコリアタウンとして有名です。




枝川一丁目地区内を南北方向に通っている環状第3号線の歩道を、北側へ向かって歩いていきます。100メートルほど歩くと、環状第3号線の「枝川一丁目交差点」前に出ることができます。




北西側から、枝川地区と豊洲地区とを結んでいる環状第3号線の「風凪橋」の道路橋梁の全景を撮影しました。下を流れている「豊洲運河」を航行する船舶のために、かなり高さが高い位置に道路橋梁が架橋されていますね。




東京都交通局の「枝川停留所」脇を通り抜けていきます。枝川地区には鉄道が全く通っていないので、都営バスが主な交通手段となっています。




枝川一丁目地区内を南北方向に通っている環状第3号線の歩道部分ですが、豊洲地区並みに道幅が広く確保されていました。




環状第3号線の歩道を北側へ向かって歩いていくと、前方に「枝川一丁目交差点」が見えて来ました。この「枝川一丁目交差点」の周辺が、枝川の埋立地の中心となっています。




南西側から、環状第3号線と塩浜通りとが交差している「枝川一丁目交差点」の全景を撮影しました。交差点の東側の一帯は、枝川一丁目地区の市街地が広がっています。個人住宅よりも、中低層住宅や都営アパートなどの比率が高い町並みが広がっています。




これまで環状第3号線の歩道を北側へ向かって歩いてきましたが、ここで方向転換です。「枝川一丁目交差点」から西側へ向かって伸びている「塩浜通り」の歩道を、西側(越中島地区方向)へ向かって歩いていきます。




南西側から、「枝川一丁目交差点」から更に北側へ向かって伸びている環状第三号線を撮影しました。この環状第3号線を更に北側へ向かうと、江東区の木場・東陽町地区へ出ることができます。




「塩浜通り」の歩道を西側へ向かって歩いていくと、江東区の枝川一丁目地区と塩浜一丁目地区とを結んでいる「蛤橋」の道路橋梁が見えて来ました。



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