「東京都立第五福竜丸展示館」の建物内から外に退出して、展示館の建物の敷地北側に整備されている広場スペース内にやってきました。この広場スペース内にも、「第五福竜丸」で使用されていた船体エンジンなどの色々な展示物が設置されています。
北西側から、「第五福竜丸」で使用されていた船体エンジンの全景を撮影しました。なぜすぐそばにある展示館の館内ではなく、こちら屋外に展示されているのかというと、このエンジンがこの場所にやってきたのは比較的最近の話だからです。
「第五福竜丸」の木造漁船がその後に東京水産大学の練習船「はやぶさ丸」として活用された後に、1967年に廃船となります。敗戦となった際に、船の心臓部であるエンジンは取り外され売却、貨物船に据付けられますが1968年に熊野灘、三重県御浜町沖でその船は沈没してしまいます。
その28年後の1996年12月、地元や全国有志の運動、募金などにより御浜町沖に沈んでいたエンジンが海底から引き揚げられます。そして2000年1月から「第五福竜丸展示館」の脇に展示されることになりました。
北西側から、「第五福竜丸」に搭載されていた船舶エンジンの全景を撮影しました。
北東側から、「第五福竜丸」に搭載されていた船舶エンジンの全景を撮影しました。
「第五福竜丸」に搭載されていた船舶エンジンが屋外展示されている広場スペース内を散策していきます。広場スペースの一角には「マグロ塚」の石碑が設置されていました。
「東京都立第五福竜丸展示館」の建物の敷地北側に整備されている広場スペース内を見渡して撮影しました。5月下旬の季節の散策だったので、広場スペース周辺は色鮮やかな新緑の木々に囲まれていました。
北東側から、「東京都立第五福竜丸展示館」の建物の敷地北側に整備されている広場スペース内から展示館の建物の全景を撮影しました。
そして「東京都立第五福竜丸展示館」の建物の敷地北側に整備されている広場スペースの一角には、被爆から半年後に亡くなった久保山愛吉無線長の記念碑が設置されています。久保山氏が遺した「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」という言葉が刻まれています。
「東京都立第五福竜丸展示館」の建物の敷地北側に整備されている広場スペース内から歩行者用通路を通り抜けて、再び「東京都立夢の島公園」の緑地帯内の散策を続けていきます。
「東京都立第五福竜丸展示館」の建物の敷地北側に整備されている広場スペース内に整備されている歩行者用通路を西側へ向かって歩いていきます。周辺は人通りは全くありませんでした。
北東側から、「東京都立夢の島公園」の緑地帯敷地内に建っている「東京都東部公園緑地事務所工事課 オリンピック・パラリンピック会場整備事務所」という東京都建設局が所有している建物敷地の全景を撮影しました。
「東京都東部公園緑地事務所工事課 オリンピック・パラリンピック会場整備事務所」の建物敷地の正門入口の全景を撮影しました。
「東京都東部公園緑地事務所工事課 オリンピック・パラリンピック会場整備事務所」の建物敷地の正門入口の脇を通り抜けて、北側(第二(北)駐車場方向)へ向かって伸びている歩行者用通路を道なりに歩いていきます。