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5月の夢の島公園:夢の島公園敷地内に建っている東京都立第五福竜丸展示館 PART2

2022年07月07日 06時01分00秒 | 江東・お台場


「東京都立夢の島公園」の緑地帯内に建っている「東京都立第五福竜丸展示館」の建物内を散策していきます。建物の中央部に「第五福竜丸」の巨大な木造船の船体が設置されていて、その周囲に展示コーナーが設置されています。




「第五福竜丸・被ばく」。遠洋マグロ漁船であった第五福竜丸が南太平洋上で被爆したのは、戦後約10年が経過した1954年の3月1日のことです。当時はアメリカ・ソ連の東西冷戦が深刻化しつつあった時期であり、米ソ双方が核戦力拡充のための核実験を競うように行っていました。




「乗組員被ばくと久保山さんの死」。広島や長崎の時にも確認された放射能降下物によって被ばくした第五福竜丸は自力で母港・焼津港に帰還します。そして半年後の1954年9月23日に久保山無線長が死亡しました。




「原子マグロ食卓をおびやかす」。魚などの水産物への国民的不安が広がったことによって、消費者から敬遠される事態となります。この問題については2011年3月の福島第一原発事故による風評被害と非常によく似ていますね。




「放射能の雨降る・・・高まる不安、国民生活への影響」。米ソ両国が行った核実験によって、日本周辺でも放射能が検出されていたというのは初めて知りました。




「核実験・核兵器反対の声広がる」。当時の日本は太平洋戦争終戦から10年しか経過していない時期であり、その時の日本人の核へのアレルギーは今以上に大きかったのでしょう。




「第五福竜丸」の巨大な木造船体を取り囲むように設置されている展示スペース内を時計回りに見ていきます。5月下旬の平日の午前中の時間帯だったので、人の気配は全くありませんでした。




展示スペースコーナーの歩行者通路内から、「第五福竜丸」の巨大な木造船体を見渡して撮影しました。「西洋型肋骨構造」の木造漁船として、唯一現存している貴重な船でもあるのだそうです。




木造船体に描かれている「第五福竜丸」の船体認識文字をズームで撮影しました。




「第五福竜丸」の巨大な木造船の船体の周囲に整備されている歩行者用通路を歩いて、船体南側にやってきました。ここから階段を上って木造船体の甲板や操舵室周辺を見学することができます。




「第五福竜丸」の巨大な木造船の船体上部に設置されている操舵室を撮影しました。




「第五福竜丸」が遠洋マグロ漁船であったことから、展示スペース内にはマグロの種類の説明板が設置されていました。




「日本の漁船と第五福竜丸」。太平洋戦争の最中において、日本の漁船が「徴用船」として軍に組み込まれ、軍事物資の輸送や見張りの船として南方海域や中国に派遣されていたというのは初めて知りました。




「遠洋マグロ漁船第五福竜丸」。「第五福竜丸」が建造されたのは戦後間もない1947年3月のことであり、最初はカツオ漁船だったのだそうです。




「第五福竜丸」の巨大な木造船体の甲板や操舵室の周辺を見渡して撮影しました。




「第五福竜丸」の巨大な木造船体の船尾部分を見渡して撮影しました。




展示スペース内を一周したので、展示館の建物内から外に退出していきます。



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