撮影場所 福岡県直方市 直方機関区
直方は炭鉱とそれを輸送する蒸気機関車の町だった。
駅に着くと石炭の煙が臭ってくる。
閉山の続く炭鉱が多く街も活気がなかった。
石炭の煤と石炭で町自体がくすんでいた。これが余計に惨めな町に見えた。
本屋の本も売れないのであろう立ち読みばかりでほんの角が痛んでいた。
日本の多くの町は高度成長に入ろうとしていて暮らしもよくなったのに落ちぶれる町を目のあたりにした。
その頃、北九州の炭鉱の町を舞台にした「青春の門」が週刊誌に連載されていた。
そんな反面、直方には沢山の蒸気機関車が機関区にはいた。
機関区や操車場のヤードは広く線路の上に歩道橋があった。
その上から機関区や操車場を行き交う列車が撮影できた。
一日歩道橋の上で列車を撮影できる時間があれば楽しかったのであろう。
ここにいた蒸気機関車はD51形、9600形、D50形.D60形.C55形、C11形であった。
直方は炭鉱とそれを輸送する蒸気機関車の町だった。
駅に着くと石炭の煙が臭ってくる。
閉山の続く炭鉱が多く街も活気がなかった。
石炭の煤と石炭で町自体がくすんでいた。これが余計に惨めな町に見えた。
本屋の本も売れないのであろう立ち読みばかりでほんの角が痛んでいた。
日本の多くの町は高度成長に入ろうとしていて暮らしもよくなったのに落ちぶれる町を目のあたりにした。
その頃、北九州の炭鉱の町を舞台にした「青春の門」が週刊誌に連載されていた。
そんな反面、直方には沢山の蒸気機関車が機関区にはいた。
機関区や操車場のヤードは広く線路の上に歩道橋があった。
その上から機関区や操車場を行き交う列車が撮影できた。
一日歩道橋の上で列車を撮影できる時間があれば楽しかったのであろう。
ここにいた蒸気機関車はD51形、9600形、D50形.D60形.C55形、C11形であった。