撮影場所 函館本線小沢駅
道南の周遊券で六月に北海道に行った。北海道には梅雨がないという言葉を信じて六月に行ったが毎日梅雨だった。その頃は気象衛星が飛んでいなかったので梅雨のメカニズムがよくわからなかった。インド洋や東南アジアで発生する大量の雨雲がはるばる日本まで運ばれるのが梅雨、この雨雲は日本列島を縦断し北海道まで運ばれても不思議ではない。
蒸気機関車C62は急行ニセコを牽引していたが昭和46年にDD51のディゼル機関車に変更になり休止までの間、普通列車を牽引していた。
函館本線の旅客はD51が牽引していたがC62牽引はうれしかった。
重連でニセコを牽引する時の音はリズム刈るで力強い。
これが単機になると普通車ということもあり余り迫力を感じない。
C62を復元させて走らせると凄い人出であろう。
蒸気機関車を走らせるのは復元費に運行日の警備費でもうけにならにい。
道南の周遊券で六月に北海道に行った。北海道には梅雨がないという言葉を信じて六月に行ったが毎日梅雨だった。その頃は気象衛星が飛んでいなかったので梅雨のメカニズムがよくわからなかった。インド洋や東南アジアで発生する大量の雨雲がはるばる日本まで運ばれるのが梅雨、この雨雲は日本列島を縦断し北海道まで運ばれても不思議ではない。
蒸気機関車C62は急行ニセコを牽引していたが昭和46年にDD51のディゼル機関車に変更になり休止までの間、普通列車を牽引していた。
函館本線の旅客はD51が牽引していたがC62牽引はうれしかった。
重連でニセコを牽引する時の音はリズム刈るで力強い。
これが単機になると普通車ということもあり余り迫力を感じない。
C62を復元させて走らせると凄い人出であろう。
蒸気機関車を走らせるのは復元費に運行日の警備費でもうけにならにい。