永源寺町に行ってみようと思ったのは川島宙次氏の茅葺民家本の写真を見てからである。
川島氏の時代はほとんどがモノクロであった。
永源寺町の山間部に残る茅葺民家を上から撮ったものであった。
平成の時代に残っているか不安もあったが行ってみると撮影に困らないほど民家があった。
現在も何軒か残っているようだ。
政所の地名が嬉しい。最近は字の付く地名もなくなり、878-1とか書かれた味気ないものになっている。番号で管理する方がパソコンや事務処理に都合がいいのであろう。
永源寺町の民家も平地にある民家は滋賀県の民家である。入母屋で前垂れも付いていた。
しかし、政所に来ると寄棟である。三重県かの影響を受けている。大工や茅葺職人は三重県からきていたのであろうか
それでも面白いのは寄棟で片屋根である。片屋根は滋賀県で時々目にする。
半分が茅葺で半分が瓦屋根、こんな民家は雨仕舞が難しいとおもうが真意の程をしりたいものだ。
川島氏の時代はほとんどがモノクロであった。
永源寺町の山間部に残る茅葺民家を上から撮ったものであった。
平成の時代に残っているか不安もあったが行ってみると撮影に困らないほど民家があった。
現在も何軒か残っているようだ。
政所の地名が嬉しい。最近は字の付く地名もなくなり、878-1とか書かれた味気ないものになっている。番号で管理する方がパソコンや事務処理に都合がいいのであろう。
永源寺町の民家も平地にある民家は滋賀県の民家である。入母屋で前垂れも付いていた。
しかし、政所に来ると寄棟である。三重県かの影響を受けている。大工や茅葺職人は三重県からきていたのであろうか
それでも面白いのは寄棟で片屋根である。片屋根は滋賀県で時々目にする。
半分が茅葺で半分が瓦屋根、こんな民家は雨仕舞が難しいとおもうが真意の程をしりたいものだ。
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