懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,189 京都府網野町の茅民家

2015年01月21日 | 日本茅葺紀行
丹後半島に茅葺民家を探しに行く。
ここは熊笹で葺いた笹葺きが見られる。
天然素材として地域で確保できる茅や笹を使っている。
笹葺の民家も僅かに残っていた
丹後半島の中央部に網の町がありここに茅葺民家が2軒残っていた。
一軒は切妻か入り母屋か判らない形であった。
もう一軒は入母屋だった。基本的には入母屋かと思う。

網野町と言えば南海で選手監督で活躍した野村克也氏の出身地でもある。
野村監督がどんなところで少年期を過ごしたかも興味があり訪れた。
高校ではほとんど無名、契約金はなしで南海にテスト生で採用された。町で初めての
プロ野球選手とし祝ってくれたがプロに入って初めで採用の実態を知る。
ブルペンキャッチャーとしての採用だった。
ブルペンでピッチャーの投球を一生受ける-のが仕事だった。
これはバッティングピッチャとして採用された稲尾和久投手とよく似ている。
ブルペンキャッチから三冠王を取る大打者に成長した。
努力と知恵で勝ちとった浪花節的人生である。
長島や王とはスポットライトの浴びるかたが違う道を歩んだ。