懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

私の昭和鉄道遺産 その72 和田山機関区

2018年06月04日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 兵庫県和田山

山陰線、播但線の接続駅 
レンが積みの機関庫とC57型蒸気機関車、給炭設備が昭和鉄道遺産だ。

昔の鉄道は町と町を結ぶのを主眼にしている。鉄道が唯一の交通手段であった時代だ。産物物資や乗客
を輸送してきた。今の鉄道は大都市と大都市を最短で結ぶルートで設定されている。
航空機との競争もある。
山陰線は京都から日本海に出ると海岸沿いを走る。
日本列島の本州西側を海岸線に忠実に走っている。
国道9号線も山陰線に沿い海岸を走っているが島根の外れで山口市の方に山間部を走る
山陰線は山口県の海岸線をひたすら走る。鈍行で走るとどれだけ掛かるのか
紀勢線や五能線もそんな海岸を走る。
こんな鈍行に乗り走る旅は若い頃か定年後しか出来ない。
昭和40年代に山陰線の各駅や駅周辺、鉄道から見える風景、乗客を撮っていると素晴らしい写真になっただろう。

昭和の40年代、地方の町は何で暮していたのであろうか関心がある。
和田山は鉄道で働いていた人もいる。駅員、機関車の保全や保線、機関車の作業員
多くは農業や林業であったか製造業は味噌、醤油、酒や製材所や鉱山、職人として大工や左官、石工、建設業、他には公務員 病院
都会のよう職種も収入はないが質素に子供を育ててきたと思う。
これからは地方の田舎で暮すにはどこで収入をえるのか関心がある。