懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

喜劇役者から渋い俳優になった人

2021年04月30日 | 日記
所さんの番組で伊東四朗が83歳で元気で頭脳明晰さを紹介していた。
喜劇役者から渋い役者になった、藤田まこと、伊東四郎、いかりや長介を取り上げる。

1.藤田まこと  歌手として前座で歌っていた。フランク永井の歌や必殺仕事人のテーマ曲を渋く歌っている。上手いものだ。Youtubeで見える。
てなもんや三度笠で白木みのるとのやり取りで茶の間を笑わせた。
前田製菓がスポンサーだった。藤田まことの「あったり前田のクラッカー」は昭和の親父ギャグの定番になった。
その後は喜劇俳優から渋い役柄に転向、必殺仕事人で中村主水役がはまる。
その後は剣客商売、はぐれ刑事純情派で渋い役で不動の役者となった。
しかし、奥さんがバブル期、事業に失敗し30億の借金をした。嫁に愚痴も言わず離婚もせず返済に励んだ。

2.伊東四朗 三波伸介、戸塚睦夫、てんぷくトリオのコメディアンで活躍していた。
しかし、戸塚が42歳、三波が51歳で亡くなり解散。
私は戸塚の記憶はあまりない。東貴博の父親の東八郎が記憶に残る。
てんぷくトリオの番組に東八郎もレギラーででていたそうだ。
伊東四朗も十津川警部やおかしな刑事の刑事ものや、大河ドラマに存在感がある役にでている。
今もセリフを覚えるために脳活性化をしている。
円周率は1000桁まで言える。律令制の日本の国名をすべて言える。
アフリカの国名(60国くらい)が言える。

3.いかりや長介
バンドグループ ドリフイターズの三代目リーダー
ビートルズの日本公演では前座で演奏している。その後はコメディアングループに転進
ドリフ解散後は役者で活躍
火曜サスペンス劇場、踊る大捜査線。ナレーターで渋い役柄

志村けんも朝ドラエールで渋い山田耕作役やった。年齢を重ね事で味がでるのか