懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

鉄道 京都駅のホーム

2012年08月10日 | 鉄道
撮影場所 京都駅

京都駅山陰線のホームに並ぶキハ181系特急「あさしお」とDF50形ディゼル機関車
ともに山陰線を走っていた。
キハ181系は1968年から1972年までに185両が製造され現在は定期運行はない。
撮影した頃は製造されて間のない頃だった。新鋭の気動車であった。

DF50形ディゼル機関車は昭和32年から昭和38年に138両が製造され1983年に全機廃止されている。ディゼル機関車でもDF50は出合えば撮影している。しかし、DD51形ディゼル機関車は好きになれず全く撮影していない。

何の目的で撮影したかわからないが新しい気動車と古いディゼル機関車が並んでいるから撮影したのだろう。今になって思うと機関車でも電車でも駅舎でもホームでもなんでも撮っておけばよかったと思うがフィルムを湯水の如く使えるほど金がなかった。
一枚一枚丁寧に撮影した。
ホームから線路に降りて撮影するなど行儀の悪いと指摘されそうだ。

茅葺民家 島根県大東町山王寺の民家

2012年08月09日 | 茅葺き民家
島根県大東町(現在は雲南市)山王寺は棚田百選になっている棚田がある。
そんな中、何軒か茅葺民家があった。
写真の民家の西側は高い生垣に覆われている。
山の上の障害物のないところに民家はある。
北西風を防ぐ目的で高く伸ばしているのだろうか
普通の生垣は目隠しと侵入防止が目的であろうがこれは明らかに高い。
倉も茅葺民家である。
訪れたのは一回きりだった。
山王寺の棚田も投稿しておきます。







昭和の古い町並み写真展 その51 「風俗 風呂屋」 倉敷市下津井

2012年08月08日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その51 「風俗 風呂屋」 倉敷市下津井

倉敷市下津井に昔ながらの風呂屋があった。
下津井を撮影していたら地元の人から古い民家は風呂屋だと教えてもらう。
風呂屋の開く時間に行ったが営業をしていない。もう一度行ってみたがやはり閉まったまま。
地元の人に聞いたらこの地区には風呂屋が二軒あり交互に開いているとの事だった。
ステテコ姿で風呂にくる人か多かった。腹巻きをしている夏でも腹巻きをしている。
腹巻きの中に煙草や小銭をいれていた。
原巻き姿も見掛けなくなった。

我々の子供のころも風呂屋は各地にあった。水道は田舎にはなかった。
地下水をくみ上げるポンプをもっていたのであろか、水道の蛇口があったと思う。
下津井の風呂屋も水道が来る前はポンプで地下水をくみ上げていたのであろうか

江戸時代に風呂に入っている絵などあるがポンプもないし鉄缶もなかったのに大勢が入れる風呂が造れたか疑問である。お湯を沸かして人が補給していたのであろうか
庶民が入れたのは岩風呂か蒸し風呂ではなかったか。
風呂の起こりは蒸し風呂で熱く焼いた石に水を掛け蒸気で汗をたすものが今ものこっている。
蒸気の上がるスノコに敷物をした事から風呂敷の言葉が生まれた。
湯船に入れるのは一番の贅沢であったとおもわれる。
庶民は身体を拭くか行水程度であったとおもわれる。
山口県に茅葺民家の蒸し風呂がある。国の重要文化財だが注文があれば炊いてくれる。
薪代と工賃で一回一万円だそうだ。グループで入りにくるそうだ。
この蒸し風呂の管理している近くに住む老夫婦に撮影のついでに話を聞いた。


蒸気機関車 筑豊線中間鉄橋

2012年08月07日 | 蒸気機関車
撮影場所 福岡県 筑豊線中間附近

筑豊線は石炭輸送のため飯塚まで複線である。
朝夕は頻繁に蒸気機関車が走った。

客車もほとんどが蒸気機関車牽引の客車であった。
撮影ガイドブックによると中間周辺が撮影ポイントになっていた。
蒸気機関車が一日に何十本も撮れる事もあり撮影ポイントになったのかもしれない。
しかし、撮影したネガを見てもロクな写真がない。
私は標準レンズで撮影するので平坦な複線路を快調に飛ばしていく。
煙も吐かず小さく写ったて機関車の写真ばかり
各駅に停車している風景や乗客が昇降している写真を撮っていた方がよほど良かった。
その当時は駅舎も古いし駅周辺の風景も古かったので時代が判って良かったと思う。
鉄道ファンは正面から機関車や電車の写真しか撮らない。しかも撮影スポットで撮影する。鉄道施設はいろいろあるしいろんな側面から鉄道を撮るべきではないか
私もこれを撮影していたころは撮影ポイント中心で考えが未熟だったと思う。
写真は怖い写真を見れば撮影した時、何を考えていたのか思考のレベルも分かる気がする。

中間の鉄橋をトラス端を桁橋に取り換えていた。
新設の鉄橋からトラス橋を通行するD60形蒸気機関車を少し流して撮影した。

茅葺民家 岡山県賀陽町の民家

2012年08月06日 | 茅葺き民家
撮影場所  岡山県賀陽町(現在は吉備中央町)

賀陽町の山道を茅葺民家を求めて走っていた。
ガソリンを使いながら走って何とか発見できる時代であった。
今は随分茅葺民家も減ってしまったがまったくないわけではない。
観光なり撮影のついでに発見しないと不経済だし意欲がわかない。

ある集落へ行った時に茅葺民家はこの近所にないか確認したら分かりにくい場所だがあるとの返事だった。
地図で確認して訪れる。
茅葺民家を探すのに地図がないと探せない。カーナビは付けていない。
歳をとると不便な生活の方が悩みながら頭を使うのでアナログ生活も残しておきたい。

この民家は人目に付かないところにあった。
下屋のないのがいい。昔のままの形を残しているのがうれしかった。
奥さんに暮らしの様子を聞かせてもらった。
山の上部に位置するが井戸を掘って飲料水は確 保している。
野菜や穀類をつくるが動物の被害が多い狸は豆まで食べるといっていた。

都市部に住む人間は随分不便な生活と思うが、楽しみもあり生きがいを持って暮らしている。都市部の生活より田舎生活が楽しいとほとんどの人がいう。
都市部は孤独死を聞くが田舎では高齢者ばかりなのにほとんど聞かない。
田舎は不便なので毎日やることがある。マキ割りもしないといけないし野菜もつくらないといけない。家の手入れも昼飯も造らないといけない。コンビニがあるわけでもなし。


 





萩の古い町並み 「猫」

2012年08月05日 | 古い町並み
撮影場所 山口県萩市

萩の古い町並みを歩いていたら猫が庭にいた。
孫とお祖母さんが猫を呼んだら猫が寄って来た。
そんなささやかな光景を撮影した。
わたしもこれを撮影したころは自由に歩く事ができた。
いまではこんな写真を撮るのは難しい。




昭和の古い町並み写真展 その50 「風俗 ミニスカート」 岡山市庭瀬

2012年08月04日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その50 「風俗 ミニスカート」 岡山市庭瀬

ミニスカートの女性が自転車に乗ってやってきた。
あらわに大腿部をだし自転車に乗る、ドッキリしそうな風景である。
昭和40年代ミニスカートは女性のファッションの革命であった。
おとなしい大和ナデシコを大胆にしたミニスカート

昭和39年にビートルズが来日、男たちはそれに熱狂しエレキ音楽をはじる若者が増えた。翌年枝木のような細い身体でミニスカート姿のツイギーが来日して起きた女性のミニスカートブーム、風俗が世相を表す


蒸気機関車  岡山操作場三重連

2012年08月03日 | 蒸気機関車
岡山操作場は広いヤードがあった。
ここから毎日のように回送の貨物を三重連で倉敷まで運行された。
操作場からの発車のため風景は殺風景ではあったが煙も吐いてくれるし架線もないし手頃な撮影場所だった。
しかし岡山駅からだと歩いて40分くらいかかった。
バスならば近くに停留場があったので楽だった。
車などまだ持っていなかった。

石灰の専用車で鉄鋼メーカーに運ばれた。
三重連になったのは山陽線のダイヤが過密なため蒸気機関車だけ単機で走らせるは難しいので三台で走らせ倉敷で切り離し別の回送貨物を石灰工場のある足立や井倉、石蟹まで引いて帰った。

岡山では操作場から毎日三重連があるとの情報は鉄道仲間では流れていた。
これが鉄道ファンという雑誌に掲載され撮影にくる人もあった。
しかし、私は撮影している人に会った事はなかった。






茅葺き民家 兵庫県南光町の民家

2012年08月02日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県南光町

南光町は夏場になるとヒマワリが有名である。
休耕田にヒマワリの種を蒔き観光客を誘致した。やり始めて22年になる。
休耕田のために場所が毎年移動していた。
南光町の端から端まで時期をずらして一か月以上見えるように植えてあった。

この茅葺き民家はヒマワリ畑がなくなるところの県道72号線沿いにあった。
南光町の北のはずれで千種町に近かった。
千種川はアユ釣りが有名である。
堰堤のところで釣りをしていた。
茅葺き民家の前で釣りをしていたので撮影する。
しばらく走ると子供二人がよく焼けた身体でアユを釣っているのを見ていたので撮影する。
裏側から茅葺き民家が見える。

のんびりした川と田園風景である。
この民家は川から離れておらず堤防もない地形で洪水に合わないのかと心配である。






昭和の古い町並み写真展 その49 「風俗 ステテコ」 岡山県倉敷市玉島黒崎

2012年08月01日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その49 「風俗 ステテコ」 岡山県倉敷市玉島黒崎

今回からは古い町並み、風俗についてお送りします。

風俗は風習や習俗からきた言葉ではないかと思う。
言葉は略語として新しい言葉が次ぎ生まれている。経済や公害などのように長年使われてなじんでいる。
風俗は年間行事、生活習慣、風習、民間信仰や服装などを指して庶民の生活そのままである。
しかし、最近は風俗というと風俗産業や風俗嬢、風俗店など性風俗にとってかわったところがある。本来の意味から逸脱した感がある。

今回はステテコ姿の男性について投稿した。
昔はほとんどの男性がステテコを着用していた。
私の年代もなると使用する人が減った。
しかし、最近はデザインも垢ぬけたステテコに人気
がある。
ステテコの語源は明治時代に演舞場でステテン、ステテンというリズムで踊るステテコ踊りの着物の下着が似ていたからとか着物の裾から見えないように丈を短くした下着に似ているこの名が付いたと言われている。