懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺民家  岡山県加茂川町の民家

2013年01月21日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県加茂川町(現在は吉備中央町)

加茂川町から賀陽町に抜ける県道沿いにあった茅葺民家

昼下がりの時間、茅葺民家を撮影していたら地元の女性が歩いて来たので撮影させてもらう。現在ではエプロン姿で姉さん被りをする人はすくなくなった。
舗装をしていない家も少なくなった。
近畿や中国地方では母屋と小屋が並んでいる家を時々見掛ける。
農家の場合は母屋だけでは農業資材や機械の置き場がないので倉庫や小屋が隣接している事が多い。これもスレート葺きやプレハブでは絵にならない。
家も田も石垣を積み造成されているのがうかがえる。
人々の生活の歴史を垣間見る事ができる。




蒸気機関車 名寄機関区

2013年01月20日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道宗谷本線名寄機関区

蒸気機関車は共に9600形

名寄と言えば大相撲に名寄岩という大関がいたのと冬の寒さの記録が印象に残る。
稲作ができるのはこのあたりまでで、それから北は米は作れない。宗谷本線もそれから北は笹などの原野が続く。
そんな寒冷の地でも人々は逞しく生きている。
撮影に行った頃は私も若く精神的に軟弱だった。そんな厳しい環境のなかでも逞しく生きる人々をみて自分も少しは強くなったように思ったものだ。
人間は何事も体験しないと分からないところがある。残されたネガは自分の行動と体験の記録でもある。
今となっては蒸気機関車も消え名寄より北の国鉄の路線は宗谷本線だけになってしまった。



日本茅葺紀行 その29 兵庫県三田市の民家

2013年01月19日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 兵庫県三田市

三田市永沢寺の近くにある茅葺民家、兵庫県の端正な造りの民家である。
神戸や三木市より篠山市の民家に形が近いように思う。この先は摂津と丹波の境でもある。
民家を引きたてるには周囲の風景も必要である。背景の山や石垣、畑、塀もそれを演出している。
永沢寺には曹洞宗の大きな寺、永沢寺(ようたくじ)がある。花菖蒲園などもあり花のシーズンには人でにぎわう。標高が高いので平地と花の開花が一週間遅れる。
花菖蒲を見に何度か訪ねた事がある。
この花菖蒲も長年同じ土地で植えておくと厭地現象を起こして段々と花も葉も貧弱になる。
ここの花も以前のような勢いがないように思う。全面的に客土が必要に思う。






古い町並み 倉敷市玉島

2013年01月18日 | 古い町並み
撮影場所 岡山県倉敷市玉島長尾

玉島長尾の集落は新倉敷駅より北側をさすが駅の南東にも昭和の民家が並んでいる。高い木の塀や土塀が残っていたのでカメラに収めた。裕福そうな大きな家が残っている。
車で走りながら古い町並みがあれば降りてそのあたりを歩いてみる。
これが町並み探しの楽しみのひとつだ。
歩いても何もないかもしれない。
デジカメならば一応なんでも撮影しておき要らない物は後で捨てられるがフィルムだと判断していらないと思う物は初めから撮影しない。いらないと思った物のなかにもいるものがあったかもしれない。


茅葺民家 岡山県大佐町君山

2013年01月17日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県大佐町君山(現在は新見市)

大佐町から新庄村に向かう。大佐ダムの横を通りどんどん登っていく大佐町の北端に君山はある。標高が600メートル程あるので冬は雪が多い。
峠を越えれば鳥取県日野町である。国道181号線にでるので右折すれば新庄村、左折すれば日野の町にでる。
君山の人は買い物は鳥取県の日野町へ行くと言っていた。大佐や新見まで行くと遠いそうだ。
君山に茅葺民家があった雪の降ったあとに新庄村も一緒に回った。
晴れていたので茅葺民家の物干しざおに洗濯物を干してあった。
物干しざおは山の木の又を利用したものだ。
以前訪れた時にがま細工の手提げを掛けてあった。
蒜山地方では一般的に作られる、池や湿地に生えているがまの軸を刈り取り水に付け表面の皮を腐らせ柔らかくして編みあげる。保温もできるし軽くて強い天然の素材を使っての生活用品である。






蒸気機関車  釧路湿原の蒸気機関車

2013年01月16日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道釧網線塘路周辺(釧路湿原)

道東に蒸気機関車が廃止になる前に訪れた。
釧網線はC58形蒸気機関車が牽引していた。道東はC58形、C11形が運行されていた。ともに人気のない蒸気機機関車で進んで訪れる気にはならなかった。しかし、蒸気機関車の走っている場所も限られるようになり訪れた。今となっては蒸気機関車をより好みしてして撮影するのはバチがあたる。
なんでも撮影しておくべきだった。
釧路湿原は釧網線塘路駅から30分ほど歩いた小高い山から一望できる。
釧路湿原は川と池と湿地で池は冬季のため結氷していた。市街地の近くの小さな池では子供がスケートをしていた。
朝訪れたら山の木々には霧氷が出来ていた。
北海道ではこんな低いところにも霧氷が出来るのだと感心した。
今年もマイナス30℃になったところがあったが当然のように霧氷が見られるのであろう。
その湿原の中を釧網線は走る、ずっと向こうから白煙を吐きながら近づき走り去っていく姿が10分以上にわたり眺めることができた。
白煙がいつまでも消えず尾を引いて走る姿は龍のようにも見えた。
C58形蒸気機関車の牽引する釧網線は余り気が進まなかったが来て良かったと思う撮影旅行だった。
釧路湿原では天然の丹頂鶴のつがいをみた。その頃、285羽しかおらず保護につとめていた。今は千数百羽に増えているいると聞く。




日本茅葺紀行 その28 山形県鮭川村

2013年01月15日 | 日本茅葺紀行
撮影場所  山形県鮭川村

山形県の新庄から秋田県に向かう途中に鮭川村はある。
その日は真室川町に泊まる予定で鮭川村の県道を走っていた。
(真室川に泊まる目的は山形を代表する民謡に真室川音頭というのがある。伴淳三郎が唄い子供の頃、ラジオからよく流れていた。そんな唄が生まれた土地はどんなところか行ってみたかった)
途中、茅葺民家が二軒並んでいたので撮影する。
茅葺民家のあてがあったわけでもなく、あっちうろうろこっちうろうろの走行であった。
茅葺民家があったからいいものの何も無ければ単にガソリンを使っての無駄走り。

鮭川の由来は鮭が最上川を経由して支流の鮭川村まで遡上したのに由来するそうだ。
魚の名前に川の付いた名前の村が鮫川村や鮎川村もあり紛らわしい。
この村も鮭だったか鮎だったか鮫だったか地図を見て初めて確証が得られた。

茅葺民家も一軒は普通の寄棟造り、一軒は曲がり屋であった。


懐かしい物  木の半鐘 

2013年01月14日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県加茂町青柳(現在は津山市)

県道から数キロ入ったところに50戸ほどの青柳集落がある。
そこに茅葺民家もあったし木の半鐘もあった。木の半鐘は二本あったが一本の半鐘は鐘が外されて木だけ立っていた。鐘の付いている木の半鐘も近いうちに倒す予定だと言っていた。

私は車で訪れて目的の物を撮影してまた別の場所に移動する、その繰り返しだった。
集落を訪れたと言っても車できてざっと見て通り抜けただけであったように思う。
今になって軽薄な探訪であったと思う。車で移動するのではなく歩いてこの集落の歴史の痕跡を見、聞きすべきであったとおもう。この集落も人が住んで少なくとも何百年もの日々の生活が残っているあるはずだ。(民間信仰や生活習俗、土木遺跡など)
ここも日本の過疎の集落とおなじく集落の維持が難しくなるのであろう。







茅葺民家 島根県三刀屋町の民家

2013年01月13日 | 茅葺き民家
撮影場所  島根県三刀屋町8現在は雲南市)

国道314号線沿いにあった茅葺民家、すぐに目に着くので撮影した人も多いと思う。
小屋も茅でいい雰囲気の家だ周囲に民家や電柱などの障害物がないのがいい。
この民家には昔ながらの生活感が残っていた。茅葺民家はまだ沢山残っているが観光地や民宿や店でなく生活がそのままされている民家は次第にすくなくなっている。
茅葺民家を撮影をするうにおいて観光目的でない日常生活が営まれている家ほど私好みの高いランクに位置づけられる。
自分では生活もしないくせに勝手により好みする身勝手な人間と叱られそうだ。
それにしても生活感の残る家に出合えると大変うれしいものだ。
小屋の道具や縁側も撮影すべきであったがここがフィルムカメラの悲しいところ余分なものはフィルムが惜しくて撮影していない。

三刀屋町には土手に桜の並木が何キロも続くのでよく訪れた。隣の木次町にも桜並木があるこちらは桜名所の百選になっている。その間、数キロしか離れていないので両方見えるのがうれしい。いかんせん田舎なので駐車場で困ることや場所取りで先を争う事はない。




蒸気機関車 厳冬期の宗谷本線

2013年01月12日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道宗谷本線

C55形蒸気機関車の牽引する普通列車 稚内と旭川間を走った。
宗谷本線を走る蒸気機関車には雪が凍りつく、駅での停車時間に蒸気を掛け人が棒でブレーキまわりに着いた雪を叩き落とす。
駅に停車すると足周りに蒸気に掛けるので蒸気機関車の動輪などが見えなくなる。
蒸気をカットしてからの撮影となる。
時には蒸気を吹かせたままの発車するので写真にならない時もある。
蒸気機関車は結構温かいものだが雪が付着して解けない。
こんな厳冬期でも運転席への出入り口は開放のままだ、発車の確認は窓から顔を出して確認するのが鉄則である。停車中も石炭寄せに給水、雪落としと労働が続く私にはこんな労働は無理だと思った。
この寒いなか撮影していたら機関士が私の方を見てニタリと笑った。
あんたもこの寒いのに好きだなあ、アホでなかったらやれんわいという顔をした。
これだけ寒いとフィルムも巻く時に切れる切れると音がする。強く巻き上げるとフィルムの溝が切れそうで怖かった。