撮影場所 滋賀県永源寺町政所(現在は東近江市)
政所(まんどころ)の地名のつくところは少ない。歴史的意味合いを持つ地として訪れた。
政所とは調べと見ると皇室、公卿に設置が許された家政機関とある。
関白の妻にも北政所の名が与えられたとある。豊臣秀吉の正室ねねの北政所はよく知られたところ。
永源寺町の君ケ畑、蛭谷は木地師の里として有名、この政所から更に細い険しい道を登っていかなければならない。
木地師の里と呼ばれる所以は詳しくはネットで検索してください。
簡単に書きくわえますと平安時代(1100年前)第55代文徳天皇の長男、惟喬親王は藤原氏の勢力の強い時に皇位継承に敗れ暗殺を恐れ永源寺町の山中に少しの家来と共に幽棲する。
(藤原氏の娘に産ませた天皇の子(四男)を強引に第56代天皇にした)
畑も少ない山中、生活のために木地で生計を立てた、木地のロクロは巻物を解くところを応用して作り出されたといわれている。丸い木の軸の先端に刃物を付けて軸を紐で回転させて木を削った。
手動式ボール盤である。木地師の作る椀は妻が紐を前後に引く役、夫が削る役で夫婦で製作した。
惟喬親王の伝説の地として政所の地名や史跡が残っているのであろう。
政所(まんどころ)の地名のつくところは少ない。歴史的意味合いを持つ地として訪れた。
政所とは調べと見ると皇室、公卿に設置が許された家政機関とある。
関白の妻にも北政所の名が与えられたとある。豊臣秀吉の正室ねねの北政所はよく知られたところ。
永源寺町の君ケ畑、蛭谷は木地師の里として有名、この政所から更に細い険しい道を登っていかなければならない。
木地師の里と呼ばれる所以は詳しくはネットで検索してください。
簡単に書きくわえますと平安時代(1100年前)第55代文徳天皇の長男、惟喬親王は藤原氏の勢力の強い時に皇位継承に敗れ暗殺を恐れ永源寺町の山中に少しの家来と共に幽棲する。
(藤原氏の娘に産ませた天皇の子(四男)を強引に第56代天皇にした)
畑も少ない山中、生活のために木地で生計を立てた、木地のロクロは巻物を解くところを応用して作り出されたといわれている。丸い木の軸の先端に刃物を付けて軸を紐で回転させて木を削った。
手動式ボール盤である。木地師の作る椀は妻が紐を前後に引く役、夫が削る役で夫婦で製作した。
惟喬親王の伝説の地として政所の地名や史跡が残っているのであろう。