懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 その27 永源寺町政所

2013年01月11日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 滋賀県永源寺町政所(現在は東近江市)

政所(まんどころ)の地名のつくところは少ない。歴史的意味合いを持つ地として訪れた。
政所とは調べと見ると皇室、公卿に設置が許された家政機関とある。
関白の妻にも北政所の名が与えられたとある。豊臣秀吉の正室ねねの北政所はよく知られたところ。
永源寺町の君ケ畑、蛭谷は木地師の里として有名、この政所から更に細い険しい道を登っていかなければならない。
木地師の里と呼ばれる所以は詳しくはネットで検索してください。
簡単に書きくわえますと平安時代(1100年前)第55代文徳天皇の長男、惟喬親王は藤原氏の勢力の強い時に皇位継承に敗れ暗殺を恐れ永源寺町の山中に少しの家来と共に幽棲する。
(藤原氏の娘に産ませた天皇の子(四男)を強引に第56代天皇にした)

畑も少ない山中、生活のために木地で生計を立てた、木地のロクロは巻物を解くところを応用して作り出されたといわれている。丸い木の軸の先端に刃物を付けて軸を紐で回転させて木を削った。
手動式ボール盤である。木地師の作る椀は妻が紐を前後に引く役、夫が削る役で夫婦で製作した。

惟喬親王の伝説の地として政所の地名や史跡が残っているのであろう。

懐かしい物  木の橋

2013年01月10日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県加茂川町(現在は吉備中央町)

各地をうろついていると昔の懐かしい物にであう。
できるだけ立ち止りとりあえず撮影をしておくことにしている。
またの機会に思って再び撮りにいったためしがない。
「すぐやる、必ずやる、面倒くさがらずやる」の精神が必要である。
加茂川町に木の橋が残っていたので撮影した。後ろの山に茅葺民家もあった。
木の橋も昭和40年代ならば田舎に行けば残っていたであろうが平成の時代ではさすがにのこっていない。
子供の頃は大きな交通量の多いところは鉄筋コンクリートや鉄の橋だったが20メートル程度の小さな橋はほとんど木の橋だったように思う。
そんな古臭い橋の風景の写真もほとんど残っていないであろう。
当たり前の風景だったのとカメラがどこの家庭にもなかったので残っていない。
雨ざらしの木の橋は腐敗との勝負、何年もったのであろうか15年で造り替えていたのであろうか、傷み始めたら一気に腐敗が進むのが天然素材の弱いところでもある。
木の橋の通行車両の荷重は2トンから3トンのところが多かったように思う。


茅葺民家  雪の茅葺民家

2013年01月09日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県阿波村(現在、津山市)

大雪の降って二日後、天候が安定していたのと休みがあい阿波村に出かける。
津山市の北部で結構雪もふる。津山に少し雪が残っている程度ならば阿波村の奥では50センチ以上降っている。
雪は中国山地に向かうに従って二乗的に深くなる。
雪の70センチのところから雪のないところまで30分で降りてこられる。
30分で別世界が見られるのが山間地の風景である。


蒸気機関車 梅小路機関区

2013年01月08日 | 蒸気機関車
撮影場所 京都市梅小路機関区

梅小路機関区のターンテーブルに乗っている9633号機
現在も梅小路蒸気機関車館で保存されている9633号機
梅小路で蒸気機関車が動態保存されたのは昭和47年10月10日となっている。
鉄道100年事業として一世紀にわたり走り続けた蒸気機関車を保存する事業だった。
何の催しだったか記憶がないが保存機関車も集結しているし鉄道ファンも大勢カメラを持ち並んでいる。9633号機も運転できる状態だったので梅小路蒸気機関車館のオープンのセレモニーだったのかもしれない。
機関車には展示用の塗装はされていない。
後ろの気動車もいまとなっては古臭い。
この頃はまだ山陰線には現役の蒸気機関車はのこっていたのではないかと思うが、それとも保存機関車の保管もあり梅小路機関区の機関車は無煙化されていたのかもしれない。

日本茅葺紀行 その26 佐賀県造り酒屋

2013年01月07日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 佐賀県唐津市

造り酒屋だったがもう廃業している様子だった。
茅葺の造り酒屋さんも廃業でどんどん少なくなっている。
レンガ造りの煙突に茅葺民家だったので撮影させてもらう。
奥さんに挨拶に行き屋敷内から撮影させてもらう。
四季折々撮影にくる人がいると言っていた。
春は桜に菜の花、レンゲ、田植えの水田に彼岸花、ススキが見られるので土手の上から撮影すると言っていた。
私は土手には登れないので家内に撮影してもらう。
佐賀平野と違い唐津の方に来るとクド造りはなく寄棟造りである。
棟仕舞にがんぶり瓦を乗せるのは佐賀県らしい。
以前、佐賀県富士町へ行った時もあの周辺も寄棟であった。

そもそものこの日の目的は呼子の朝市と烏賊料理を食べるのが目的だった。
呼子の朝市は大変な数の客で烏賊を食べるのに2時間待ちではもう行きたくない。




手押しポンプ

古い町並み 水路沿いの民家

2013年01月06日 | 古い町並み
撮影場所 岡山県倉敷市

倉敷市川西町は飲み屋街である。近所にスナックなどがある。その水路脇に古い民家があったので撮影する。この水路は農業用水で高梁川から酒津で各地に分配されて水島の海までつながっている。倉敷の街の中も暗渠や水路で流れている。
そんな水路沿いに立派な民家と倉があったので撮影した。
漆喰もナマコ壁も痛みが来ていた。保存地域でないのでいつまで残るか判らなかった。
家の中にも水路は分かれて走っている。
水路沿いの水の多い軟弱地盤に民家を建てる技術は素晴らしい。石にノミの跡が残っていたので撮影した。
撮影していたらフィリピンパブで働く若い女性が何人か連れ立って歩いてきた。
話掛けたら片言の日本語は分かる。働いている店の名刺をくれた。残念ながら私はまったく酒が飲めない。フィリピンパブで働く女性とナマコ壁を一緒に撮るべきだっとあとで気付いた。
この農業用水に沿って昔ながらの昭和の風景が残っているのでカメラを持って何度か散歩をした。










茅葺民家  雪のある風景

2013年01月05日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県上斉原村

大雪のあと撮影に行った。県北の雪の多い地域、岡山県で一番大きいスキー場の恩原スキー場の近くの集落に撮影に行った。
雪の降っている日は除雪も追いつかずたどり着けない事もあり雪が落ち着いて出かけた。
積雪は1メートルを越えていた。
道路の雪が掻き寄せられて家の前に高く積まれていた。
斜面の雪は早く解けるので雪崩の心配は無かったが雪の塊が道路に転がっていた。車に当たればフロントガラスは割れ板金はへこむであろう。
なるべく山際は通らず真ん中を走った。
雪の多いのも撮影をするのには良し悪しだ。
裏側は雪掻きをしないので屋根から落ちた雪が屋根まで届き真っ白でどこが屋根か区別がつかない。
今年は雪が多く寒い日が続くが中国地方の積雪は大したことなく昨日から上斉原の近くではスキーが出来るようになった。







蒸気機関車 花輪線重連

2013年01月04日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 岩手県花輪線龍ケ森附近

龍ケ森信号所、蒸気機関車時代の伝説の場所でもある。
33パーミルの急勾配を8620形蒸気機関車が重連または変則三重連で登ってくる。
喘ぎながらゆっくりゆっくり登ってくる。雪の多い厳冬期に訪れた。
今のデジカメならば望遠機能もあるし連写もできるのので50枚も100枚も撮れたであろう。
私など標準レンズで二枚か三枚撮って終わりだった。
蒸気機関車は貨物の牽引だけだった。客車は気動車だけだった。
撮影できる列車は四本くらいだった。
私が龍ケ森に訪れたのは一回、一日限りであった。何度も訪れる時間も環境でなかった。
しかし、写真が残っているのでその日の記憶は鮮明に残っている。









日本茅葺紀行 その25 宮城県東松島市の民家 

2013年01月03日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 宮城県東松島市

東松島市の茅葺民家の写真、別棟も茅葺民家でお邪魔して撮影させてもらった。周囲を杉林で覆われた大きい家である。
昔の形を残しているのでじっくり撮影させてもらった。
しかし、一昨年の東日本大震災で民家は大丈夫だったのだろうか、東松島市も津波の被害を受けて1000名以上が亡くなっている。
私はこの民家を撮影のあと裏松島に行ってみた。松島には何度か行っているので裏松島に何かないか訪れた。裏松島は観光スポットはなく漁村であった。
あんな大津波が襲ってくるのは想像しておらず何も写真は残していない。
津波被害の大きかった野蒜地域を通り海岸線を裏松島に行った。
野蒜駅周辺で列車が流された。マスコミで何度も報道された佐藤山という避難所、定年後、退職金をつぎ込んで佐藤さんという方が避難所を兼ねた山小屋を作った。作った時は地域の人から笑い者にされたが70名の命が救われた事に地域の人は敬服せずにいられなくなった。それも東松島市野蒜地区にある。




懐かしい物  炭焼き小屋の風景

2013年01月02日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県加茂川町、鳥取県日南町


炭焼きをやっている小屋があったので撮影する。
岡山県加茂川町では炭焼き中で小屋から煙がでていた。
日南町の小屋は茅で覆い出作小屋を思わせる形である。
茅で覆うのは雨で濡れる粘土で覆っている窯が雨で崩れないためや冷やされないためであろう。
炭焼きの材木はクヌギや楢などの落葉樹が一般的に使われる。
備長炭のように常緑樹のウバメガシは高級炭
炭は窯の温度を上げて材木を炭化させる。(材木の成分は水素と炭素と水分で水素と水分を蒸発させ炭素だけにする)
空気を入れすぎると燃えて灰になるので温度と酸素量の管理が難しい。
(通常は600℃から700℃で炭化させる。素人が穴を掘って作った窯なら400℃で作れる)

茅葺民家の家で炭を焼いている家があったので長時間話を聞いた。
その家では材木に廃材を使っていた。山に木を切りに行く手間も省けるし廃材処理のため材木はタダ、廃棄物処理するにはコストも掛かるので一石三鳥だと言っていた。
家を解体した廃材が沢山発生するそうだ。
高級料理店のような長時間火を使い客から金を取れる店ならまだしもバーぺキューや庶民の店ならば廃材の炭で十分であるという。
炭は腹が一杯になった頃に火力が一番強くなる。備長炭も廃材の炭も炭に変わりないというなるほどと言って聞いていた。

岡山県加茂川町



鳥取県日南町 まるで出作小屋のように見える。