懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺民家 島根県横田町の民家

2013年05月14日 | 茅葺き民家
撮影場所  島根県横田町(現在は奥出雲町)

横田町は島根県の東南部にある。
私の住んでいる岡山県南部からだと一般道で新見から鳥取県日南町を経由して入るか広島県の東城から国道で木次線に沿って走るコースかある。
木次線に沿って走るコースは大蛇ループがあり紅葉の季節は眺めが素晴らしい。
また、木次線の坂根駅は名水が湧き出ていてポリタンクを持参がよい。土日は広島県の人が水を汲みにきている。島根県の人は水がよいのか汲む人はすくない。
またこの沿道はソバが美味しい。八川駅と横田駅の蕎麦屋はおすすめ。大きなスーパーもできてソバ屋を増えた。

かってはそろばんの製造が盛んであった。

日南町からのコースには製鉄が盛んであった頃のなごりで金屋子神社をよく見かける。館カンナ流しの跡も見る事ができる。
横田町も沢山茅葺民家があったがほとんど姿を消したようだ。
田植えのあと水を張っている民家を撮影した。
5月初旬の田植えはまだ霜の降りる地域などで水を張り日中の暖まった水で霜害を防ぐ。






古い町並み 岡山県建部町

2013年05月13日 | 古い町並み
撮影場所 岡山県建部町(現在は岡山市)

岡山文庫の「岡山の街道」の本を見ていたら津山往来の項目のところで建部の町並みの事が書かれていた。建部は岡山と津山を結ぶ津山往来の途中にある。
このあたりは旭川の西岸に民家が並ぶが次の福渡へは舟で東岸に渡っていた。
福渡の町並みは昭和の建物がほとんどで私の好みでなかったので撮影せず。
この日は建部町鶴田の棚田地帯に茅葺民家があるとの情報を得てその前に立ち寄った。

建部には建部の森や八幡温泉、メダカの学校を立ち寄った事はあったがこんなところに古い町並みが残っていたとは知らなかった。通常は国道53号線は旭川の東岸を走るのので走る事はすくない。
建部駅の数百メートル東側であろうか、規模は百メートルくらいの短いが片面に民家が並ぶ。かっては商売をしていたのか今はひっそりとした町並みである。
待っていたが人通りもない。何の演出もなく素晴らしい町並みである。
車の駐車などもないので好都合である。古い民家に車は邪魔物である。ガードレールや道路の白癬や記号、ガードレール、電柱、道路標識も邪魔物である。
出来る限り入らないように構図で撮影するしかない。
車の場合は立ち退くまで待つかやんわりと移動をお願いする。
写真を撮るには「待つ」事と「交渉」する事は大切な事である。
撮影する行為は人間修行のひとつでもある。待って我慢すること最後までやり通す根性も必要で何歳になっても修行である。










日本茅葺紀行 その52 糸魚川の茅葺民家

2013年05月12日 | 日本茅葺紀行
ウド(左端)とミョウガ


撮影場所 新潟県糸魚川市

糸魚川周辺は平野は少ない。ヒスイの出る姫川の河口や川沿いに平野が残る。
少し山に入れば険しい山である。
学校で習ったフォッサマグナ(地溝帯)が静岡県富士川に向かって通っている。
地溝帯は北米プレートとユーラシアプレートの間に割って入ってフィリピンプレート
その境界が地溝帯といわれている。日本の3000メートルクラスの山が集中するこの一帯は大きな力が加わり山が成長している。日本で一番地殻変動の大きい場所でもある。
大きな山が出来るのは大きな力が加わり地殻変動が起きている場所ともいえる。
火山活動や繰り返し地震も発生する。ポーランドは国の90パーセントが平地のため地震の発生はまったくないという。

糸魚川に小さな川がありその谷筋に小さな集落がある。その谷筋を一つ一つ訪ねた。
富山県県境から上越市まではこんな厳しい地形に人々は暮らす。

新潟県の特有の民家にも出会う。
壁は土壁では雪に濡れ落ちるので板張りである。
玄関は中門造りである。煙抜きは蛸の口のように突出している。
民家の脇の畑にはミョウガとウドを植えてある。
山間部にはウドを自家用に植えている家が多い、周囲を40センチほど木の枠にもみ殻を入れ白いウドを作っている。







懐かしの蒸気機関車写真展 その3 「沿線風景」 湿地帯

2013年05月11日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 北海道釧路湿原 釧網線塘路附近

釧路湿原の縁を釧網線が走る。C58形蒸気機関車が客車や貨物を牽引してはしる。
外気温が低いため蒸気機関車の白煙が龍のようにたなびかせていく。 高台に登れば汽車のくるのが遠くから見渡せる。
民家もなく川と湿地が広大な地域が残る。数少ない手付かずの土地であった。
丹頂の生息地でもあった。私の行った時は285羽が生息していて毎年少しづつ増やしていた。
今は餌付けもして1400羽くらいに増えていると聞く。
自然が豊かなため動物や鳥も多く生息している。
釧路湿原が残ったのも寒冷地で夏場は霧で日照不足、作物が作れず湿地を乾田化される事もなかったのであろう。
湿地も大昔は洪積地のどこにでもあったと思う。人口増加で米の生産を増やすために干拓土木工事や乾田化がなされたと思う。

今、湿原が残るのは勇払原野など北海道だけであろうか。

撮影のために山に登るがそれはイバラの道であった。
サルトリイバラにタラの芽の木が行く手を阻む。
私は山菜のタラの芽のテンプラが大好き。釧路湿原に行けばタラの芽がいくらでもある。
いまもたぶんあるだろう。天ぷら道具を持参してたらふく食べたかった。

茅葺民家  島根県大東町の民家

2013年05月10日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県大東町(現在は雲南市)

島根県は奥出雲から北部の出雲地方までよく撮影に走った。
このエリアは茅葺民家の多い場所でもあった。
出雲の西側は浜田まで茅葺民家の少ないところだ。
江津を始め石洲瓦の本場のため瓦葺きに建て替えた家が多い。。

大東町までは一般道で行っていた。
鳥取県、島根県と農免道が整備されていてこれを利用すると信号も少なく早く着ける。
大東町も山の中の集落を走ると茅葺民家が残っていた。
一本一本谷筋の集落を走りさがした。
谷筋を挟んで対面する二軒の民家があったのでお互いの家の裏に回り撮影させてもらう。
この頃は斜面も楽に登る事ができた。
今は車の中からしか撮れないので平凡な写真しか撮れない。
民家の正面には電柱や電線がありロクな写真しか撮れないと言った方がよいかもしれない。
老後の楽しみも健康合ってのことである。わたしのようになると惨めな老後となる。

大東町周辺は田圃の法面にゼンマイの親が沢山あった。
しかし、田圃の周りのゼンマイや蕨、蕗はやせていて美味しくない。
山菜は落葉などの腐葉土が供給されるところでないと柔らかく大きくないようにおもう。









古い町並み 玉野市八浜

2013年05月09日 | 古い町並み
撮影場所 岡山県玉野市八浜

八浜は現在、児島湾が干拓のため閉め切られ児島湖は淡水化された。
それまでは漁村として海路を運搬手段として生かせるため醤油や酒の製造をしていた。
私は昭和40年代後半に訪れたがその頃は標準レンズしか持っておらず狭い路地の撮影はできなかった。AFカメラになりズームレンズになり町並みの撮影は便利になった。
昭和40年代は岡山県の一部の町しか訪れていないので岡山県内を回る事とした。昭和40年代と平成では人々の服装などに違いがあった。
何かに使う予定もなかったが茅葺民家を撮影するついでに撮影した。
昭和の風景の残っているところを撮影した。

町並みの風景は変に手を入れないものが好きだ。「何も足さない何も引かない」を合言葉に自然のままがよい。富士山が自然遺産として登録されなかったのは「手付かずの自然」が残っていなかったためだそうだ。手付かずだったのは不法投棄のごみの処理と登山客の糞尿の処理だったといわれそう。
町並みも保存の運びもなく注目されずネットにも出る事もなく古い民家が残り日常の生活が営まれているところを最上とおもう。私はそんな場所を極力おとずれた。










日本茅葺紀行 その51 山口市の茅葺民家

2013年05月08日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 山口県山口市

山口市の茅葺民家を撮影していたら茅葺民家の住人の方があそこにも茅葺があるよと教えてくれた。
茅葺民家に住んでいる方は葺き替えのため茅葺職人や茅の入手の情報を得るため近隣の茅葺民家の事をよく見ている。
訪れた家は小屋も母屋も茅で周囲に花を沢山植えていた。
周囲の畑一反に花を植えていた。
花一杯の花壇のため農家の民家らしくない。どこかの観光施設の茅葺民家にも見える。
夫婦で働いていて奥さんは市役所に勤めていると言っていた。
仕事勤めをしながらあくせく農業をしても大した収入にもならず米作りはやらず土地を貸しているようだ。
花の話を30分ほどしていたらシソジュースをだしてくれそれからまた話が続く。
私は他の場所に移動したかったが家内が熱心に聞くのでほしい花があればあげるという事になり半夏生や宿根草のいただいた。

ここから山口線の蒸気機関車の汽笛が聞こえた。必要以上に汽笛ならす大サービスであった。山口線沿線を走ったが毎週土日に走っているのにあのカメラマンの数、時間になれば空き地には車がずらりとならぶ。




懐かしの蒸気機関車写真展 その2 「沿線風景」 池のある風景

2013年05月07日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 兵庫県 播但線溝口駅周辺

兵庫県は日本で池が一番多い県である。播但線の沿線にも池がある。
河川からの農業用水の整備されていない地域や高台は溜池から配水するしかない。
播但線の脇にもいくらか池があった。
この日は風もなく蒸気機関車が水面に映った。
C57形蒸気機関車の牽引する客車が和田山方面に下って行った。
生野を越える列車は貨物も客車もC57形が牽引していった。
溝口も姫路市に編入され姫路のベッドタウンになっているようだ。
播但線も寺前までは電化されている。
溝口駅もホームの移動は線路をまたいで歩いていたが今は跨線橋もできている。

朝の通勤列車を撮影するのには寝台特急の特急券を買って深夜に乗り夜の明けぬ頃、姫路に着いていた。

茅葺民家 新見市 ミツマタの咲いた家

2013年05月06日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県新見市豊永宇山

新見市豊永宇山はカルスト台地の草間の外れである。
カルスト台地には川は存在しない降った雨は地下に浸透し地下水脈を通り山を下ったところで湧水する。
草間から豊永宇山まで下ると川が存在する。
そんな川の見えるところに茅葺民家があった。
後ろの山の斜面には三椏(みつまた)が花を咲かせていた。
木々の新芽が出ていないのに春がきたよとばかりにいち早く咲く。
チンチョウゲ科だそうだ。花の咲く時期も木の性質もチンチョウゲとよく似ている。
挿し木でよく発根する。三椏の名は枝が三本に分かれる事に由来する。
チンチョウゲも長い寿命の木ではなく15年ほどで枯れる。移植は難しくすぐに成長するので挿し木をした方が手っ取り早い。
三椏の樹皮は高級和紙として紙幣に使われる。
山に行けば種で増えて野生化したのを見る事がある。


古い町並み 倉敷市玉島

2013年05月05日 | 古い町並み
撮影場所 倉敷市玉島

玉島には本瓦葺き、ナマコ壁や板塀の民家が残っている。
明治、大正時代の日本の家屋は黒い瓦と白い漆喰の壁、黒ずんだ板のモノトーンの色彩であったと思う。ベンガラの赤を使うのが贅沢であったと思われる。
戦後進駐軍が日本家屋に住み板に色彩豊かに塗装をしたと聞く。
寺院にしても中国のようにケバケバシイ色彩では飾らない。
あんなケバケバシイ色彩の建物は怪しい人たちが住んでいる。何か洗脳されそうと思う。
しかし、現在の日本の町並みは色彩豊か。無秩序色が色が溢れている。
私はモノトーンの家屋が懐かしいし落ち着く。