懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

私の昭和鉄道遺産 その62 糸崎機関区C62 二台

2018年02月21日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 広島県三原市 

C62型蒸気機関車 かって東海道線や山陽線で特急を牽引した栄光の機関車であるが時代遅れの機関車、手間が掛かるし人手が掛かり時間も掛かる蒸気機関車、燃費も極端に悪い。6%のエネルギーしか使わず94%は大気に捨ててしまっている。 

電気機関車やディゼル機関車の高性能機器が出来た時代になり時代遅れの機器になった。
戦後の日本は鉄道だけではなく新しい機械やシステムで大きく進歩してきた。
商売も明治時代からの商店は淘汰されていった。
インターネットやパソコンの発展でシステムの仕組みもすべて日々進歩している。
年寄りだからと時代の遅れに許してくれない。
分らないまま日々時代の変化に年寄りも付いていかなくてはならない。

昭和40年は時代の変化が緩やかであった。
まだ蒸気機関車のような旧来の機関車が活躍していたのだ。

自分の生きた時代を写真で残す新聞記事で残す絵や日記で残すコレクションで残す。
一生涯残した人は楽しい老後を送っていると思う。
自分の生きた時代は何らかの形で残す事が必要と思う。


冬季オリンピックも後半になった。メダルの獲れる競技もすくなくなった。
今夜は金メダル期待の女子パシュートの準決勝、決勝がある。今から落ち着かない。
女子パシュートのNHK特集が先週あった。そのビデオを5回見た。
一回戦は出だしで失敗したが立て直し二位だった。
各国は一杯だが高木など余裕を残している。これを見て清水氏は金メダルをとれると言った。

負けるな外国の大女に高木菜那(155センチ)がぎゃふんと言わしたれ。
大女は失言でしょう

懐かしい物  洗濯物

2018年02月20日 | 懐かしい物


撮影場所 島根県旧西伯町

男の作業着が一つ干してある。
何歳くらいの人が住むのか男の一人暮らしか奥さんはいるのか洗濯物一つとでいろんな事を考える。障子の家も少なくなった。

元気な時はこんな光景を求めて各地に出かけた。
道があれば何かに出合えるのではないかと期待して走った
定年後になれば時間が出来るので全国の懐かしい風景を求めて走ろうと思ったら歩けなくなった。人生はうまくいかないものだ。
上手くいかないのも人生である。病気になるのも試練である。
楽しい事悲しい事みんな人生のなのだ。

上手く行かない時にどう対処するかを試されている。

茅葺き民家 石垣に建つ

2018年02月19日 | 茅葺き民家
撮影場所  岡山県旧奥津町

この民家は山の裾野の斜面の場所に石垣を積み平地を確保している。
現在の住宅団地も斜面にコンクリートで擁壁を造り造成しているところが多い。
コンクリートのない時代は石垣に頼るしかなかった。

平地は田や畑にするのを優先し斜面に民家を建ててきた。
大きな松の木を植えてある。家の目印に植えているのだろう。
しかし、松くい虫の被害で松枯れした家が多い。松林が枯れてしまった山も多い。
養蚕をやっていたのか中二階がある。
家にお邪魔する。郵便配達の人がら郵便物受け取るところを撮影。

人の暮しまで撮る迷惑なカメラマンである。








日本茅葺紀行 NO,429 広島県熊野町

2018年02月18日 | 日本茅葺紀行
熊野町に入母屋のような造りの茅葺き民家があった。
ほとんどの家が寄棟の地域なので違って見える。
他にも熊野町にこんな民家はあった。
入母屋にしては棟の長さが短い。

茅葺き民家の造りは施主の要望なのか茅葺き職人や大工の好みがあるのか
豪華な茅葺き民家は施主の財力や地位が反映されているように思う。

今車を走らせて街並みを見ていると住宅メーカーの民家が並び50坪か60坪の区画に横並びに建っている。
豪壮な民家も少なく平均的な暮らしの民家になっている。
屋根を見ても日本瓦の甍の波はみられなくなった。

その点、茅葺き民家は個性があり撮っていても楽しいものだ。

蒸気機関車 東北の雪風景

2018年02月17日 | 蒸気機関車
撮影場所 山形県米坂線沿線

冬の米坂線、東北の雪景色
雪が降り景色が見えない手前が来てSLが見えた。
蒸気機関車の事しか記憶に残っていない。
茅葺民家や集落の風景は撮っていないし記憶も薄い。
折角東北に行っているのだからもっと他の風景にも目が行つてもいいように思う。
一つの事しか考えが行かないのは経験や思考能力の低さであろう。

杉の木が立ち並ぶ雪の多いところでは杉の木が多い。
檜より杉の方がしなりに強く雪で折れにくいのだろう。
東北では檜の植林は余り見ない様に思う。
高知県の牧野植物園に秋田の杉と四国の杉を並べて植えてある。
秋田の杉が枝先が軟く雪に折れにくい様だ。゛

懐かしい物 堆肥切り

2018年02月16日 | 懐かしい物
撮影場所 島根県旧伯太町

藁切りで堆肥を切っていたのを撮らせてもらう。
牛小屋に敷いてあった藁を切断して堆肥にするのであろう。
自宅の茅葺き民家が見える。
山間地の集落を訪れる。

日々繰り返される農村風景があった。こんな風景が懐かしい。
藁切りは刃物がついているから危険だ。同じ会社で働いていた人の中にも第一関節から藁切りで切断した者がいた。
パラリンピックのノルディック距離の新田選手も幼児期に手首から藁切で切断してしまった。
刃の付いた工具や機械は子供には大変危険だ。大人も扱いを間違うと危険が伴う。

欲どうしい。

2018年02月15日 | 日記
岡山の人は欲が深いとか欲張りな事を「欲どうしい」という。

先日、NHKの土曜日15時からのボヤキ川柳を聞いていたら佐藤アナウンサーが作品の内容に欲どうしいと言っていた。川柳作家もアシスタントのタレントも関西の人なので欲どうしいが通じるのだ。ネットで調べると欲どうしいは大阪の方言と書いてあった。

こんなニュアンスは方言の方が面白い。

私と同じ介護に夫婦で来ている人がいる。夫婦とも足は健康なものだ。
旦那は心臓の大病をしていて奥さんも大病をしたので金の管理は別に家庭を持っている娘に管理してもらっている。通帳を全部娘に渡しているのか年金や支払いの通帳やカードだけを渡しているのかはわからないが毎月何度か娘から現金をもらい買い物に行っている。
車は免許を返納したのでなく歩いて買い物に行っている。
週に二回ほど散歩を兼ねて夫婦で買い物にいくそうだ。

娘を信用して貯金もカードも渡しているのだろう。
娘の旦那がギャンブル好きや金銭感覚に欠ける人だったらと考えてしまう。
子供にみんな渡したら家まで追い出された事例もある。

私は欲どうしいので死ぬまで貯金の事や金の事は子供に教えない。
サラリーマンの少ない貯金でも子供に教えると当てにする。
それと死ぬまでは欲の皮を張ったまま現役で株式投資で儲けたいと思う。(儲けるか損するかは判断と実力しだい)
株式の売り買いは老人の脳活性には最適である。経済ニュースや世界情勢も関心を持って聞くし脳トレで脳活性より現金が掛かっていると真剣さが違う。

しかし、死んでも分かるように資産内容や証券会社や銀行のパスワードは申し送り事項として一冊のクリアーファイルに整理してある。

茅葺き民家 モノクロ 山沿いの民家

2018年02月15日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県篠山市

山沿いに民家が建っていた。手前に田圃、雑草地があり里山がある。
日本の田舎の風景そのものである。こんな田舎、田舎した風景に出合うと大変うれしくなる。

山に入れば枯れ枝や落ち葉をあつめる。
落ち葉は風呂の焚き付けや堆肥に使った。
茅は茅葺きのふき替えに作ったり炭俵を作るのに使った。

落ち葉をかき集め下草や小さな木を伐りはらい風通しを良くしていた頃は松タケも生えていたと思う。
今の山は人が歩けない。イバラや草が生い茂り腐葉土が多すぎて松茸の菌が育たない。
山が痩せている方が松茸の生育に適している。

この場所は現在行くと田圃は造成され20戸ほどの民家が建っている。
私の住む地域に庄屋の屋敷と畑があった。昔からの民家は取り壊されて造成し一区画50坪の団地になっていた。

時代は変わらないようだが刻々と変化しているものだ。
平成生まれの人も30歳である。
面倒くさがらずこれは消えると思うものはカメラに収めておく。
私なと何年も生きられないので余分な写真は撮らない。
増やすより減らす事を考える年代になった。

日本茅葺紀行 NO,428 鳥取県旧西伯町

2018年02月14日 | 日本茅葺紀行
鳥取県の西部の町 島根県に近い

茅は痛みかけていた。もう後は手入れをしないと何年も持たないかもしれない。
茅葺きは維持管理が大変だ。金も手間も掛かる。
瓦屋根は50年使っても地震がなければ割れたりずれたりしない。
自分が亡くなるまでは持ってくれよう。

玄関に石垣があり裏まで撮らせてもらった。
これを撮った時は歩けていたので撮影できたが歩けないとこんな趣味は難しい。
この民家も残っていないだろう。

カメラを持ち茅葺き民家撮りも数が減るとガソリンと高速代を考えると行こうという気になれない。10軒ほど撮れる所ならば行ってもいいが

まだ山陰へは峠に雪が残るので3月中旬になるまで行けない。




私の昭和鉄道遺産 その61 米子機関区8620型

2018年02月13日 | 昭和の古い町並み写真展
撮影場所 鳥取県米子市   米子駅のヤード

8620型蒸気機関車と駅のヤードを撮った。
別に2台の蒸気機関車から煙がでている。
ヤードには客車や貨車、気動車が並んでいる。
懐かしい昭和の風景だと思う。
ごく当たり前の風景で近くに行って写真も撮っていない。

8620型は構内の入れ替え作業や境港から貨物を運んでいた。