懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

懐かしい物 辻堂

2018年02月12日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県旧賀陽町

三叉路の真中に辻堂と火の見櫓が立っていた。
辻銅は茅葺きで葺いて間がなかった。しかし、15年もすると痛みが酷くなり解体された。
三叉路の真中にあった火の見櫓も解体されてすっきりとした道路になった。

辻堂も火の見櫓も時代の変化で必要なくなった。
歩いていた時代は休み堂として利用された。村を守るため民間信仰としての役割もあったが時代の趨勢であろうかほとんどの茅の辻堂は姿を消した。
瓦屋根の辻堂は少しは見かける。屋根を葺き替えるより解体撤去されている。

福井県の名田庄村納終田に茅葺きの山門があるがここは地域の人がみんな出て茅場で茅刈をやっていた。
今は若い人もいないし老人ばかりで維持が難しい。
親が死んでも白骨化するまで放置したりゴムボートで親の死体を海に投棄したりと親に対して尊厳も信仰心もない時代になってしまった。


茅葺き民家 モノクロ 二棟並び

2018年02月11日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県旧千種町西河内

千種町には点々と茅葺き民家が残っていた。
観光客がくるわけでもなくカメラを持った人がくるわけでもない兵庫県の北西端の町である。人々の暮らしや民家が素面のままで現れる。
そんな集落の風景も10年もすると姿を消した。
数軒を残し茅葺き民家は消えた。
時代や風景は少しづつ変化していく。
田舎の民家は消滅して姿を消すこともある。

あの日あの時に訪れ記録はカメラの映像しか残っていない。
写真集のタイトルの下に「あの時 行かなきゃ撮られない。あの時 撮らなきゃ残らない」
と書いてあった。なるほどである。
カメラの映像は自分の生きて来た軌跡であり行動の記録でもある。
写真に残っていなかったら自分の人生はなにも残らない。

ランニングをする人はいろんな大会に出場し撮影した写真や資料のスクラップが自分の生きた記録になる。
趣味や人々の交流も人生の記録である。
写真であれ日記であり収集品であれブログであれ自分の生きた記録である。
残すことに意味があるように思う。

日本茅葺紀行 NO,427 空き家になった民家

2018年02月10日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 京都府旧美山町

美山町の奥まった集落、以前来た時は人が暮らしていたが今は空き家になったようだ。
住む人が亡くなったり老人ホームでの暮らしになると子供は実家に帰らず転売される。
都会の人のセカンドハウスや芸術家(陶芸.染色)の人が買う事が多い。

普通の民家も空き家が増えて行くだろう。
それでも美山町は観光客が大勢来るので金を落としてくれる。
保存地区でも昔ながらの日本の風景が残るところは大切に残さないといけない。
都会暮らしでは昔の日本の農村風景や暮らしを見た事のない人も多くなる。
電磁調理器に電子レンジにエアコンの生活では想像も出来ない50年前の生活
あんな時代には戻りたくないが地震災害後のサバイバルな暮らしでは知っていても悪くない。

里芋とサツマイモ、ジャガイモの葉っぱや形状くらいは知ってほしいものだ。
コマツナとほうれん草の違いも


株暴落

2018年02月09日 | 日記
今週は日本も米国、世界中の株価が暴落した。
これがいつ下げ止まるのかわからない。
暴落があるとそれに付随していろいろな問題が出てきてまた乱高下する。トランプの政策まで
下げの要因になるかもしれない。

先週金曜にニューヨークで暴落があり今週月曜に日本も大幅に下げた。
これはチャンスと暴落したところを買った人は落ちるナイフを手で握るの言葉通りそれからの暴落で痛い目に遭っている。

これからもまだいろんな問題が出てきて下げることもある。
暴落があれば一週間か10日は静観して手を出さない方がよいと思う。
一度10パーセントも落ちるとV字回復する事は難しい。痛手を受けた傷が治るまで時間かかる。
持ち株も10パーセントみんな下がった。資産価値は90%になった。
しかし上り下がりは株の常、三月の配当をもらうため気長くもっていく。これは絶好の買い場と思う。

これからニューヨークはどうなるか大天井で打ったのか、一時的な下げなのか時間を待たないと分らない。

暴落になってから株価のチャートや暴落の記事を一日みている。
10年に一度の暴落なので目が離せない。
一日株価を見られるのは現役の人には味わえない楽しみである。(現役の人もトイレに入りスマホで株価を見ているのか)

今回の下げは騰がりすぎた分、下落しただけだという人がいる。
日経平均は19000円台まで下がりニューヨークは22000ドルまで下がり落ち着くという。(雪が沢山降り降った分がトタン屋根からずり落ちたようなものか)
21000円位で下げ止まるという人もいる。
さてこれからどうなるか。過ぎ去らないと結果はわからない。

蒸気機関車 函館本線倶知安駅発車

2018年02月09日 | 蒸気機関車
倶知安には夏冬と何度か行った。
蒸気機関車を撮っている人と一緒になり蕎麦屋に蕎麦を食べにいった。
彼は東京から北海道に何度も来ているので美味しい店や温泉を教えてくれた。
倶知安の駅近くの蕎麦屋に連れて行ってくれたがここの蕎麦は美味しかった。
蒸気機関車を撮っていると食べる物をろくな物を食べていない。
駅の立ち食い蕎麦かパンが多かった。
コンビニの無かった時代は弁当やおにぎりはあまり売っていなかった。
冬の北海道は弁当も凍るので美味しくなかったかもしれない。
冷凍のトウモロコシを温めたのが美味しかった。

東京の彼は私と年代は変わらない。私より沢山写真を撮っているのでホームページやブログなどで発見できないないと見ているが分からない。

倶知安駅を発車の普通列車、こんな客車も見なくなった。
余りにも沢山いたので意識して撮っていない。
客車も一からげでなく型式名称、用途の違いがあるのだ。
鉄道ファンになると電車.気動車.機関車.客車.貨物の記号を覚えているのだ。


エアコンが休止する

2018年02月08日 | 日記
この寒さエアコンなしでは生きられない。
動かないので身体が暖まらず生きるのにコストの掛かるジジイである。

エアコンを暖房運転して一時間程度するとプスーと音がして暖房が休止する時がある。
再度運転を始めるのに25分くらい掛かる。いつも休止するわけでもない。
冬場はファンヒーターが早く暖まるしファンヒーターの前に陣取れば天国だ。

しかし、ファンヒーターは燈油を買わないといけないし燈油切れで夜中に補給にいかないといけない。日中私一人では燈油の補給も出来ずエアコンに頼るしかない。
歳を取ると燈油を買いに行ったり捕球も大変で来年はエアコンにしようと思う。
北陸など豪雪の時に停電したらゆたんぽもないし困ったものだ。

株の配当金が入ればエアコンを設置してきて更新してきた。
しかし、暖房中のプシュと休止するのは困ったものだ。身体が暖まらない。
調べると寒さの厳しい日は室外機の熱交換機の中に霜が出来効率が低下するので冷媒の流れを逆の冷房にして熱い冷媒を流し解凍してやるのだ。
プシュの音は四方弁の切り替わる音だった。

この機会にエアコンの暖房の冷媒の流れを勉強してみた。
エアコンの冷媒はフロンだがオゾン層破壊の少ない代替フロンになっている。
フロンが凍るのはマイナス100℃、蒸発を始めるのがマイナス30℃

暖房運転の時はフロンをコンプレッサーで15気圧まで加圧する。気体は加圧すると温度が上昇する。ディゼルエンジンは100気圧以上に加圧するので550℃まで温度が上り軽油を噴射すればプラグなしで引火爆発する。
コンプレッサーで温度上昇した80℃の気体が室内機の熱交換器で暖気として吹き出す。
室内の空気で冷やされたフロンは膨張弁で圧力を下げる。気体の圧力を下げると温度も低下する。室外機の熱交換器で冷媒はマイナス20℃に低下しているので外気温5℃で蒸発させる。
外気温も冬場は低いが冷媒はマイナス20℃なので温められ気体になる。それがコンプレッサーに吸い込まれる。

懐かしい物 子供のいる茅葺き民家

2018年02月08日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県旧上齋原村

上齋原は岡山県の北部で人形峠を越えたら三朝町である。
冬は雪が多く恩原スキー場もある。

茅葺き民家も何軒かあった。その中に小さな女の子のいる家があった。
茅葺き民家に子供がいるのは珍しい。
子供が居ればなるべく撮らせてもらっている。
子供いれば集落も明るくなる。地域の宝でもある。

三世代、四世代同居の家が珍しい。
大体夫婦二人が一人の民家が多い。

若い人が同居するには働くところがないと住めない。
山間部の仕事は限られている。
役場や郵便局に上手く就職できればいいが普通は都市部に出て行く。

この女の子も今では成人し結婚していればこんな子供の親になっている。

茅葺き民家 モノクロ 池のある家

2018年02月07日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県旧吉田村

小屋も茅葺き民家の家に池がある。
山間に行くと農業用水が流れていてそれを池に引き込んでいる家がある。
そこに鯉や川魚を飼っている家がある。
ご飯の残りなどを餌にしている。
何を飼っているのかを見るのが楽しみだ。アヒルや鴨を飼っている家もあった。

真鯉を何匹も飼っていたので聞いてみた。最初は洗いか鯉コクにして食べようと思ったが10年も飼っていると慣れてきて可哀そうで今は観賞用と言っていた。

ヤマメやニジマスの幼魚を買ってきて大きくして夕食で食べている。
山間地は水も冷たく美しいのでスイカやビールも冷やしている。
糠漬けも夏場温度が上がり発酵が進み糠床の管理が難しいが樽を水に浸けるおくと20℃くらいでいい糠漬けができる。
山間地は土地ならではの生活がある。

日本茅葺紀行 NO,426 兵庫県小野市の民家

2018年02月06日 | 日本茅葺紀行
岡山から兵庫県に入り姫路を過ぎるまで茅葺きはない。茅葺の気配もしないが小野市に入ると茅葺きがあり神戸市までは沢山残っていた。

小野市の茅葺きは下屋があり日本瓦の黒い落ち着いた瓦だ.
棟は両サイドが少し下がった入母屋造り。
日本の田舎の風景が残っていてくれた。
土塀なども残っていて懐かしい風景だ。

日本の昔の民家は派手な色彩や形はなく余り目立たない。
階級による格差もあったのか本家分家の格差もあったのか目立たぬような民家が多い。





私の昭和鉄道遺産 その60 五稜郭D52灰掃除

2018年02月05日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 北海道函館本線 五稜郭機関区


五稜郭でD52型蒸気機関車の灰掃除をしている風景を撮影
機関車の缶に残った灰を掃除して外に取り出している。
下に捨てられている灰が掃除で出て来たもの。
灰をそのままにしておくと空気、火炎の通りが悪くなり効率が低下する。
エアーで配管に付いた灰を吹いて炉底に落しスコップで外に出す。

石炭には5パーセントくらいの灰分があるので一トン燃やせば50キログラムの灰がでる。

全国の機関区を巡り機関庫や給水給炭設備、掃除やメンテナンスの風景を撮影しておけばよかったのにと思う。

駅の風景や駅前の風景、町並み人々の暮らし消えて無くなるであろう昭和の光景を計画的に撮って置かないといけなかった。
過ぎ去った昭和に生きた者としては撮るチャンスはいくらでもあったのに徹底して実行していない。心の底にはそんなの撮っても何の役にも立たない。金と撮影した時間惜しいだけの思いがあった。
昭和が過ぎて長い時間が経たないと気付かないものだ。

そんなのが自由に出来るのは独身時代と子育て後、定年後であろうか