懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

河津桜

2018年03月22日 | 日記
河津桜 伊豆の河津町にはシーズンには300万人が訪れるそうだ。

混雑種のピンクの早咲き桜を発見して60年それを川沿いに植えて町興しに成功している。
接ぎ木で増やし川沿いに植えた住民のアイデアと努力である。
オオヤマザクラとヒガン桜の混雑種ではないかといわれている。
ソメイヨシノと一緒で元の木は一本で接ぎ木で増やしていった。
プロジェクトXの番組があれば取り上げられていたかもしれない。

プロジェクトXで襟裳岬は強風による砂害が酷く昆布や海草が育たない。貧しい漁村だった。海沿いに防風林の松を住民が長年かけて植えた。苦労の末に松が成長して防砂効果も上がり昆布も採れるようになった。今は日高昆布の産地になったというのをやっていた。

21世紀に入り河津桜の人気で各地でも植えられるようになった。岡山県も岡山市や倉敷市の川沿いや池沿いに植えてある。あと20年もすると立派になるだろう。20年も生きられないので見に行ってきた。


私の昭和鉄道遺産 その66  C56のある風景

2018年03月22日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 肥薩線吉松機関区


C56が機関庫の前で停車していた。山野線を走っていた。
山野線はすでに廃線、無理しても廃線になりそうな路線も訪れておくべきだった。
入場券など切符だけ買って写真も撮っていない路線もある。

過去には決して戻れない。その時その時を撮影するなり時代の物を集めるなりしておくべきだ。肥薩線の駅は古く開通時の建物も残っていた。
その時は40年後、50年後はどう変わっているかは想像できない。
その当時の延長線上で考えてしまう。出来る人は先読みができたのかもしれない。

肥薩線は峠越えの登りもきついし球磨川沿いを走るので土砂崩れも多い。
八代から先は鹿児島本線より先に出来た。鹿児島と宮崎の双方に行けるため。
今の九州自動車道と同じルートだ。


懐かしい物  回り廊下

2018年03月21日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県美作市

トイレに行くのに回り廊下になっている。
近くの人が訪ねて来たら廊下が縁側になり話し込むのだろう。
縁の下は農作業に使う棒なども入り風呂の薪も入れてある。

田舎の一軒家で薪を焚ける家は梱包材の木をもらってくれば燃料に事欠かない。
私も棚を作る時に市の廃棄物置き場に板を貰いに行った事がある。
釘抜やバールは必要だがわざわざ板を買う事はない。

伐採している山でシイタケの駒を植えるホダ木を貰ってきたこともある。
道路の拡張工事や造成工事で伐採した木は言えば貰える。
車のトランクに乗る長さに切るカルスののこぎりはいつも持参で山にいく。
廃棄物をいかにタダで貰いすませるかをいつも考えていた貧乏根性がしみ込んでいた。゛

茅葺き民家 新潟の民家

2018年03月20日 | 茅葺き民家
撮影場所 新潟県旧松之山町

新潟県の民家らしい茅葺き民家だ。
壁が板張りで高い、雪が多いと二階から出入りする。
雪降ろしなどに使う梯子がかけてある。
こんな高い勾配の急な雪降ろしなど怖くて出来ない。
家の下部3メートルくらいはく雪に覆われているのだろう。
雪の消えた時期でないと私などはいけない。
それでも新潟でさえ茅葺き民家は減ってしまった。
昭和の時代には懐かしさ満載の風景が残っていたのだろう。

松之山には天然温泉がある。ゆで卵ができる程の温度がある。
撮影のあと夕暮れ時に松之山温泉に入った。下の渓谷が紅葉の時期で紅葉と温泉が味わえた。

日本茅葺紀行 NO,436 青森県の草棟

2018年03月19日 | 日本茅葺紀行

撮影場所 青森県旧新郷村

青森県も南部藩の領域は草棟が多い。
それに比べて津軽藩の民家は豪壮な民家が多い。
大きな立派な家が多い。
  
草棟の民家は表現が悪いが田舎風で貧しい民家に見える。

中国や韓国の人が日本の田舎の民家を見てカルチャーショックを覚えるそうだ。
砺波平野の民家を見ると整然と緑も多く民家も敷地も大きい。美しさと田舎でも金持ちに見える。道路も家の周りも掃除されている。韓国などは家の庭には木は植えず日本の民家は手入れも行き届いているという。田舎は貧しく貧相な家が多く家の周りも汚いそうだ。

私も各地にカメラを持ち出かけるが田舎の瓦屋根や茅葺き民家のある風景が素晴らしいとおもう事がある。住環境については田舎ほど素晴らしい。都会住まいは土地が高いので狭いし緑はないし貧相に見える。


蒸気機関車 田圃を走る

2018年03月18日 | 蒸気機関車
撮影場所  伯備線倉敷郊外

鉄道沿線には毎日定刻になると大きな遅れも無く列車が走る。
昨日も今日も明日も走る。
余りにも日常的なのでこんなありふれた風景は余り撮らない。
イベント列車が走るとマスコミで報道されるとやっきになりファンはあつまる。

毎日走っているのに気づかず月日は経過してしまう。
面倒くさがらず時間がある時はカメラを持ち鉄道や町の風景を撮っていく。
田圃の鉄道風景も冬の田から田植えの頃、稲刈りと撮っておくとよかった。
何回も通えばこの農道で人に出会ったかもしれない。

人生は小さな事の積み重ね。毎日やるいつまでもやる事が出来る人は偉い。

懐かしい物 枯れススキ

2018年03月17日 | 懐かしい物
撮影場所 兵庫県旧南丹町

痛みのすすんだ茅葺き小屋風の建物に枯れススキ 
うら寂しい光景でもある。
枯れススキには落ちぶれたいう意味もある。
わたしなども身体が動かず傍目から見れば枯れススキの領域であろう。

歌に昭和枯れススキというのがある。150万枚売ったというからヒット曲だ。
さくらと一郎が唄った。世間からも冷たくされた薄幸の男女を唄ったものだ。
昭和49年のヒット曲だという。私の20代の曲だ。
明るい歌謡曲も多かった時代の暗い曲だ。
他にも暗い曲はあった。あがた森魚の赤色エレジー、北原ミレイの石狩挽歌、山崎ハコの織江の唄も暗いね。時々ネットで聞く

自分の生きた時代を記録する

2018年03月16日 | 日記
「自分の生きた時代を記録する」

長く生きてきて反省すべきは自分の生きて来た時代を正確に記録していないことだ。特に誰もそうであろうが子育て期間は会社と家庭中心で長いブランクがあった。昭和から平成の時代は技術革新のスビートが早く時代が大きく変わった。
電話も家庭に無かった時代からダイヤル式電話、プッシュホン電話、自動車電話、PHS、携帯電話、スマホと大きく変わった。カメラに至ってはフィルムがいらず中判や大判をしのぐ高性能の35mmデジタルカメラに取って替わった。町並みも繁華街も鉄道も道路もマイカーの普及や大型スーパーやコンビニにより人々の暮らしも大きく変わった。
そんな中に生きて自分はどのように時代を記録してきたであろうか漠然と時代の流れに生きて来たように思う。
何故、記録が必要なのか別に記録しなくても生きるのに困る事はない。過去の写真や暮らしはネット映像や本で簡単に知る事ができる。
しかし、それは自分の生きた証ではない。自分が車で走り回り歩き続けた体験でないと生きた証にはならない。
また過去を記録する事で少しでも未来や将来が見えるように思う。素人の未来予測など当たるものではないが何もしなければ時代は漠然と過ぎるのである。
どんなものに生きた時代を記録するか

記録するものには書く、描く、撮る、貼る、集めるなどがあろう。

1.書く 書くの代表は日記である。日々の暮らしや出来事を記録す私も日記は長年書いてはいるが自分やった事中心で内容が乏しいと思う。エッセー旅行記 紀行文にまとめる人もいる。メモも記録には必要だ。テレビやラジオ、人との会話でイタダキがあればメモしておき後で調べ転記する。私は趣味のネタになる情報、趣味ネタノート、話のネタノート、番組記録ノート、親父ギャグ川柳ノートを作っている。

2.描く  漫画やイラストを描ける人は日々の出来事をサザエさん風に記録する。ナニコレ珍百景にでてきた青森県鶴田町の竹浪正造氏は57年間にわたり2300冊のノートに家族らの絵日記を残してきた。出版社からの勧めもあり本を発売したら一か月で26万部の売り上げがあった。私の立ち寄るホームページやブログにも茅葺き民家や古い街並み田舎の風景の絵を長年投稿している人がいる。

3.撮る 撮るはカメラで写真を撮る。ビデオやスマホ、デジカメで動画を撮る。撮影機材が子供の小遣いで買える時代だ。
撮影するには一貫して撮るテーマを持った方がよい。それを通して社会の変化が記録に残る。私は消え去る物、懐かしい物をテーマに対象としてきた。老朽化や技術の進歩、生活様式の変化で何十年後には消えるであろう物を対象にしてきた。私が読者にしているブログやホームページには茅葺き民家、古い街並み、鉄道、近代化遺産、路地や火の見櫓、廃村や廃坑をテーマに撮っている人がいる。
若い頃に撮影した物が老齢になり再び見た時に自分が生きて来た時代の変遷に気付くものである。

4.貼る  記録を貼るのはスクラップブックであろうか
生きている間に読む新聞は膨大な量である。しかし、それは資源ごみとして廃棄回収される。新聞には生きた時代の情報が満載である。
ネット社会になり取らない人とも多くなった。
自分も撮影する写真のネタになる情報をスクラップブックに貼ってきた。余り熱心にやらなかったので30冊くらいであろうか
昭和の時代に巨人軍が球団50年史を作る事になった。その時に野球ばかりスクラップ(2000冊)している人が東京にいて読売新聞にも記事が残っていなくて借りにきたそうだ。何事も徹底する人は凄いものだ。いまの時代でもスクラップブックを勧める人がいる。現在は情報が多すぎるサラリと読んで記憶に残らない。将来にも役立つ情報はスクラップに貼り何度も読み直すだと言っている。

5.集める ポスターやパンフレットなども時間が経過すれば時代物になる。
新聞広告のチラシも時代とともに値段や製品が変りおもしろい。昭和40年の広告にペプシ30円というのを見て懐かしいと思った。
鉄道ファンは切符やポスターパンフレット弁当の包装紙、駅のスタンプ、鉄道雑誌から時刻表まで集める。
私は古い時刻表や鉄道雑誌を今も持っている。JTB時刻表が180円くらの時のものだ今の時刻表は1000円以上する。
こんな物は段ボールに10箱にもなるので家内や子供に邪魔になると捨てられかけて生き延びてきた。
時代を記録するには週刊誌や月刊誌も保存しておく。しかし50年も溜めると大変な量になる。普通の家庭では捨てられるであろう。
将来的に役に立つ記事だけ外しクリアーファイルに収納する事であろうか




茅葺き民家  東北の民家

2018年03月16日 | 茅葺き民家
撮影場所 福島県南会津町

東北へ行けば茅葺き民家は残っていると思い行ってみても茅葺き民家はそうあるものでない。
詳しい人に聞いてから行くのが効率的だ。
東北の素朴な茅葺き民家に魅了されて行っても難しくなった。
それでも南会津町には残っているほうだ。
昭和の匂いのする茅葺き民家を発見するとホッとする。

昭和の時代にここへ来たかったが子育ての金の掛る時期に自分だけ撮影に行ってきますとは許されるものでない。
趣味で各地へ遊びに行けるのは独身時代か子育て後である。
一番いいのは老後であるが私のように身体に障害があってはどうしょうもない。
夫婦で定年後に旅行を計画しても連れ合いが亡くなるケースもある。

日本茅葺紀行 NO,435 農作業.

2018年03月15日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 兵庫県篠山市

三田市と篠山市の境の場所
山の中の過疎地である。残る茅葺き民家を探して走る。
農家の主婦が草抜きのところ撮影させてもらう。
山の色は冬色である。落葉樹は葉を落し木の肌色になる。
杉の葉も緑が茶色味を帯びてくる。
季節により山の色も七変化する。

この地域も空き家が増えた。
人が減ると増えるのは野生動物である。
人が動物にとっては天敵である。
殺虫剤も撒かなくなり昆虫も増えそれを食べる鳥や動物も増える。
夏場にここへ何度か行った。長靴を履いて畦道を歩けば蛇に出会う事出会う事。二十数回
見るのも嫌だから長い棒を拾い草むらを叩きながら進む。
田圃にはカエルやネズミもいいるし石垣はのこっているし蛇の棲む環境である。
過疎が進むとマムシや蛇に占領され村を捨てたところもある。

過疎地には冬の雪の無い時に行くべし。