ひとり気ままに

バツイチ女のひとりごと。離婚した人も、離婚を考えている人も、そしてこれから結婚する人も、「気ままな話」を聞いてください。

【建築】 茅野市神長官守矢史料館

2019-02-25 10:31:49 | アート・文化

茅野市神長官守矢史料館を設計したのは茅野市に生まれた「藤森照信」氏である。

藤森氏は建築史が専門であり、建築士ではなかった。

その彼が初めて設計をしたのがこの建物である。

とても面白い建築をしている。

「見学に来る方が、色々な発見をして行く」と館長が話していた。

屋根からつきぬけている4本の木。

この木の1本には御柱に使用する木を選ぶ時に使用する「薙鎌」が打たれている。

遠近法を利用した階段。

石段のの上に木製の階段があるが、これは電気式の跳ね上げになっている。

普段は上に上がって昇れなくなっている。

 

昔ながらのガラス板の窓。

光のゆがみが懐かしい。

1枚割れているが、今はこの板硝子が手に入らなくて割れたままになっているらしい。

鍵はこの横棒1本。

 

部屋の壁や柱を見ていると、平衡感覚がおかしくなる。

いたるところ歪んでいる。

それも故意的に。

1階書庫の扉は扉を重ねると間に隙間ができる。

トイレの窓から外を覗くと黄色い建物がある。

あれも藤森氏が建築した「高過庵(たかすぎあん)」

今日は雨だったので気がついた。

建物に付いている傘立て。

また、外壁に使われている割板はサワラの割り板で木その物の風合いを出している。

 

史料館を出て、窓から見えた建物に向かう。

藤森氏が私有地に建てたもの。

お茶室である。

低過庵(ひくすぎあん)と高過庵(たかすぎあん)

空飛ぶ泥舟

天気が悪かったので残念であるが、青空の中では空に浮いている船となる。

 

藤森氏が何を思ってこれらの設計をしたのだろうか。

史料館は見かけは木造のようだが、実際は鉄筋コンクリートである。

私が説明を聞きながら感じたのは、日本の昔からある建物の伝統。

庶民がどんな生活をしていたのかを表現したかったのでないかと思った。

藤森氏は建築史専門である。

日本の家の歴史表現であるのだろうか。

 

藤森氏については、この本を読んでみようと思っている。

藤森照信の茶室学―日本の極小空間の謎
藤森 照信
六耀社

 

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【史料館】 茅野市神長官守矢史料館

2019-02-25 08:48:05 | アート・文化

諏訪大社上社宮前の近くに史料館はある。

神長官守矢氏は諏訪上社の神事を取り仕切る神長官という役職を務めた家である。

展示室には土器や国産陶器、貿易陶磁器などの破片が展示されていた。

また、神長官守矢家の敷地には古墳がある。

この場所は昔から人が住んでいた場所なのである。

 

大和朝廷の力が諏訪に入る以前は守屋山の自然信仰があり守矢氏が統治していた。

縄文時代からここに住みついた人々は狩猟生活をしていた。

そこへ出雲より農耕生活をする民族が入ってきた。

それが国津神であり、諏訪社の始まりとなる。

戦いに敗れ、統治権を譲った守矢氏ではあるが、祭祀については実権を握ることになった。

 

守矢氏の年中行事や秘法は一子相伝であった。

今から3代前の宮司が「記録として残さなくてはいけない」と思い書き残した。

また、戦国時代には武田信玄が諏訪社を厚く崇拝し守矢氏にも手紙を出していた。

そのため、守矢家には多くの資料が残っている。

 

その中に「鹿食免(かじきめん)・鹿食箸(かじきばし)の版木」がある。

鎌倉幕府以来、肉食は禁じられていたが、諏訪社では鹿がなくては神事ができない。

そのため、鹿食免・鹿食箸を所有していれば食べることを許された。

他の神社では鹿は「神の御使い」とされている。

ところが、もともと狩猟民族であったため、野山の動物を食べ、神にもささげていた。

1年間に諏訪社の神事は75あり、そのたびに鹿の頭を供えて神事を行ってきた。

その時の頭が展示されている。

不思議なことに、みんな穏やかな顔をしている。

まるで笑っているようである。

今は「御頭祭(おんとうさい)」が4月15日に取行われているのみであるが、この時は剥製の頭を使用している。

 

守矢氏の敷地内に建てられているが、他に祈祷殿、古墳、ミシャグジ社もある。

雨のため回らなかったが、今度はゆっくり見たい。

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曼荼羅アート

2019-01-31 11:07:21 | アート・文化

2019年1月28日(月)

 

朝起きたら、腹痛は治まっていた。

頭を触っても熱くないから発熱もしていないだろう。

 

今日は気になっていたワークショップに参加する。

「曼荼羅アート」はちょっと前に塗り絵が流行った時によく見かけた。

マンダラ模様塗り絵 (ブティックムックno.1275)
Valentina Harper
ブティック社

塗り絵は沢山の本が出ているが、曼荼羅アートを書いてみたいと思った。

 

電車に乗って2時間。

先生は若くて可愛い方。

マンツーマンですが、、基本の構図の作り方のみ指導いただいた。

後は、先生が描いた沢山の曼荼羅アートを見ながら自分の思うように描いて行く。

 

「曼荼羅アートに正解もなければ、失敗もありません。自分の思うように書いてください」

とは言われたものの、絵心のない私には何を書けばいいのかわからない。

自分が描ける範囲で描いてみた。

 

 

線が曲がっている。

私の大雑把さがよくあらわれている。

花弁のような円には下書きの線が入っているのだが、それをきちっとなぞることができない。

最後に下書きの鉛筆を消しゴムで消す時に反省した。

ただ、これはよく線が見えなかったということもある。

こんな時はHazukiルーペが重宝するかも。

Hazuki ハズキルーペ ラージ 1.85倍 カラーレンズ 黒
ハズキ(Hazuki)
ハズキ(Hazuki)

 

そして、私の失敗は隠そうという性格も出た。

真ん中の円の細かい縦線の端が塗られている。

これは、円の線が曲がってしまったため、塗って隠した。

緑の葉っぱのようなデザインの上のシルバーの点もそう。

消しゴミで消していたら線が伸びてしまった。

そこで点で隠した。

 

写真もそうであるが、やはり沢山の作品を見て、真似して、自分のものにして行くことが必要だと感じた。

紙とペンがあればできる。

私が子供の頃、両親は共働きだった。

駄菓子屋の店番をしながら私のお守をしてくれた祖母。

与えられたのが、広告と鉛筆。

裏が白い広告に絵を描いたり字を書いたりした。

紙とペンは私の子供のころからの遊び道具なのである。

 

通勤ラッシュの18時過ぎに電車に乗って帰宅。

明日は最後の出勤日

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【展覧会】 めがねと旅する美術展

2019-01-27 22:21:55 | アート・文化

2019年1月23日(水)

 

疲れたから休もうと思ったが、体調が良くなったので出かけることにした。

静岡県立美術館で開催している「めがねと旅する美術展」

どんな美術展なのかあまり把握していなかったが「めがね=レンズ」で、写真と関係するのかと気になっていた。

 

今回は「めがね」をキーワードとしているが「みる」ことについての展示であった。

みるとは、見る、観る、視る、診る、看る、と色々な意味がある。

そのため、展示されている物の範囲は広い。

美術品だけではなく、JAXAの「かぐや」や、人工衛星「だいち」の映像も流れていた。

そして時代も浮世絵から現代のアニメまで。

 

「みる」とは、見る者をドキドキさせ、新たな発見を楽しむものだと私は思った。

人は物を光として、目から入れる。

目のレンズを通した映像は逆に写る。

それを脳が反転させ、物として認識する。

昔、NHK教育で牛の眼球を使って説明をしていた。

 

人の脳は素晴らしい。

気持ちと言うもので、同じものを見ていても人によって感じ方が違う。

それは、脳が見たものに対してプラスアルファーされて映し出しているからだと思う。

そんなことを感じ展覧会だった。

 

展示の中での出会いもあった。

最近「覗く」に興味がある。

桑原弘明さんの「スコープアート」である。

小箱の中に部屋の模型があり、箱の穴から光を当て、光の当て具合で箱の中が変わる様子を眺める。

 

昭和40年代の現代の家庭医学の下絵。

内臓や眼球などの絵も好きである。

気持ち悪いと言う人もいるが、自分が持っているのに知らない部分。

 

関東大震災前まで建っていた「浅草凌雲閣」

先週の大河ドラマ「いだてん」に出ていて、こんな建物があったんだと思った場所。

そしてそこが出てくるアニメ。

「押し絵ト旅する男」

これ「江戸川乱歩」の作品をアニメ化したもの。

乱歩らしい作品を素敵にアニメ化していた。

 

沢山の作品で、それを理解してみるところまでできなかった。

出来れば何回か足を運びたい展覧会であったが、1月27日が最終日。

体調が良い時にもう一度足を運びたかった。

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【展覧会】 江戸にあそび、街道を行く ―北斎・広重競べ―

2018-10-07 23:14:49 | アート・文化

2018年9月8日(土)~2018年10月14日(日)

開館時間:10:00~17:00(入館受付16:30まで)

休館日:木曜日

一般・大学生:1000円、小学生・中学生・高校生:500円

毎週土曜日は小中学生無料

 

今回の展示物は、和泉市久保惣記念美術館所有の6000点を超える浮世絵版画のうち150点ほどを展示している。

第1章 江戸に遊ぶ

江戸の人気浮世絵師が描いた江戸名物。

「鈴木春信」「鳥居清長」「喜多川歌麿」「東洲斎写楽」「歌川国貞」「歌川広重」

私は鈴木春信が好きなので、嬉しかった。

そして、広重が描いた「名所江戸百景」

 

第2章 東海道をゆく・北斎、広重の競演

広重は言うまでもなく「東海道五十三次」

北斎は「春興五十三駄」

街の様子を描いている「東海道五十三次」と、街の特産物や地元の人々を描いている「春興五十三駄」

それぞれが見て、感じた景色なのだろう。

 

第3章 富士をゆく 北斎・富嶽三十六景セレクション―静岡の富士を中心に

富嶽三十六景より11点が展示されている。

刷りものなので、沢山の作品があるため、色々なところで展示されている。

しかし、こんなにゆっくりと見ることができたのは初めてかも。

有名な「凱風快晴」「神奈川沖浪裏」「山下白雨」も並んでいる。

 

今回、私が一番驚いたのが、北斎の「田植図」

これは、佐野美術館が所有しているもので、今回は特別展示をしていた。

制作年は1843年、西洋画の方法を取り入れたという絹本着色の絵。

私はこの画法が好きで、北斎の娘「応為」が描いた、吉原格子先図を見たいと思っている。

もしかしたら、この作品も「応為」が描いたものではないかと思った。

 

ちなみに、佐野美術館では「着衣鬼図」も所有している。

9月29日には特別に見る事ができたらしい。

北斎が亡くなる前年の89歳に描かれた肉筆画である。

 

また、特別展示品には三島市指定文化財になっている、三島信用金庫所有の「三島宿風俗絵屏風」が展示されていた。

作者は小沼満英、江戸時代後期の作品である。

今の三島と比べながら屏風を見る。

三島大明神、今の三嶋大社である。

面白いことに、総門には仁王像がいる。

また、総門の奥に三重の塔が描かれていた。

小浜池も描かれている。

池に船が浮かんでいた。

昔はそれくらいの水量があったらしい。

 

広重と北斎、どちらが好きかと言えば北斎。

なぜだろうと考えた。

北斎の絵は、私が撮影したいと思う構図になっているのかもしれない。

見る者を引き寄せる構図なのである。

 

 

 

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