ひとり気ままに

バツイチ女のひとりごと。離婚した人も、離婚を考えている人も、そしてこれから結婚する人も、「気ままな話」を聞いてください。

高野山旅行記3/20(金) ③

2009-05-05 22:37:30 | 旅行記
時間はすでに10時30分。
御廟橋まで戻った。橋の手前に「水向地蔵」があった。
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よくわからないけど、思いっきり水をかければ願い事でもかなうのかと、水をかけた。
次の順番の男性にかかってしまい、すみませんと頭を下げた。
仕方がないので、足元にちょろちょろと水をかける。
実は、御供所で水向塔婆を求めて、このお地蔵さんに納め、水を手向けて冥福を祈るのが正しかったようだ。

奥の院の参道を歩き始める。
こちら側は、企業の供養塔が多い。
いろいろな企業が、労働災害等でなくなった人の供養をしているのだ。
面白かったのは、某シロアリ退治の会社。シロアリの供養塔だった。

参道が終わり、国道371号線にぶつかった。
ここからどうしようか?
昨日の語り部のクラタさんが、高野山内の語り部さんを紹介してくれた。
時間があれば、いろいろなお話が聞けると言う。
とりあえず、その方のいる金剛峰寺に行く事にする。
ここからバスに乗ればいい。
今回のツアーの中に、3日間バス乗り放題の券も含まれている。
バス停に行くと、バスはさっき出たばかり、次のバスまでには時間がある。
それなら歩きましょう。と国道を歩き始めた。

少し歩くと、国道に沿って、奥の院内の道があることに気づいた。
垣根の切れ目から、再び奥の院側に入る。
昔の道なのか?人気がまったくない。
途中、墓地があった。お彼岸と言うこともあり、お墓参りをしている人がたくさんいた。

少し広い場所があり、明らかに何かあった場所だと感じた。
中央に昔の説明文が書いた板があったので読んでみた。
どうも、このあたりは、高野山で罪を犯したものの処刑場であったようだ。
悪や未練などの黒いものが渦巻いて蛇と化して人々を苦しめた。
それを弘法大師が退治した場所らしい。
しかし、なぜここだけ看板を新しくして、観光スポットのひとつにしないのだろうか?
雨が降ったからなのか、ジメジメして暗い感じのするところだった。

それを過ぎると、国道側に燈籠が並んでいた。
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最後は国道への出口になっていた。
よく見ると、一つ一つが四国八十八ヶ所のお寺の名前を刻んであった。
つまり、ここから一つ一つお参りをして、最後に御廟に行けば、お遍路さんをしたことになるのではないのだろうか。
かなり新しいものである。そのうち観光スポットになるのであろうか?

11時20分宿坊である「遍照光院」に戻ってきた。
今から金剛峰寺に行くと、確実にお昼になってしまう。
先に昼食を済ませてから行く事にした。

「中央食堂さんぼう」で麦大豆御飯を食べた。
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時間はちょうど12時。。クラタさんがぜひ行くようにとすすめてくれた「高野山霊宝館」を先に見学することにした。
ここでは山内の重要な文化遺産を保存している。
近くで見る仏像たちに私は吸い込まれた。
心が安らぐものばかりである。
ゆっくりこの場にいたかったが、次に行かなくてはいけない。

後ろ髪を引かれる思いで、総本山金剛峰寺に向かった。 
金剛峰寺とは、弘法大師が名づけた高野山の総称であり、高野山真言宗3600ヶ寺、信徒一千万の総本山である。
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ここで、クラタさんから紹介された方を訪ねたが
「午後から女人堂のほうへ行きました」
と会うことが出来なかった。やっぱりアポなしではダメだった。

中に入り、いろいろな部屋をみた。
ふすまには立派な絵が描かれている。
その中の「柳の間」ここでは豊臣秀吉に追放された、秀次が自刃した間である。
きっと、語り部さんがいたら、もっといろいろな話が聞けたのだろう?
新別殿ではお茶とお菓子振舞っていた。
そして、尼さんが高野山のお話をしてくれた。

お話が終わって、また中を見学する。
白砂の綺麗なお庭があった「蟠龍庭」(ばんりゅうてい)である。
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雲海の中で、雌雄一対の龍が、奥殿を守っているように表現されている。
そういえば、屋根の彫刻は面白かった。龍が飛び出していた。
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語り部さんにきっと会える。と思っていたのでちょっと残念だった。
これなら、レンタルの高野山音声ガイド機を借りておけばよかった。
奥の院にも、ガイド機の番号がたくさんあった。
背景を聞きながらまわったほうが、見落としもないし、そのものに対しても理解が出来る。
すでに時間は13時45分。今から借りても無駄だろう。
今日は16時までに宿坊に帰らなくてはいけない。







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