時間はすでに10時30分。
御廟橋まで戻った。橋の手前に「水向地蔵」があった。
よくわからないけど、思いっきり水をかければ願い事でもかなうのかと、水をかけた。
次の順番の男性にかかってしまい、すみませんと頭を下げた。
仕方がないので、足元にちょろちょろと水をかける。
実は、御供所で水向塔婆を求めて、このお地蔵さんに納め、水を手向けて冥福を祈るのが正しかったようだ。
奥の院の参道を歩き始める。
こちら側は、企業の供養塔が多い。
いろいろな企業が、労働災害等でなくなった人の供養をしているのだ。
面白かったのは、某シロアリ退治の会社。シロアリの供養塔だった。
参道が終わり、国道371号線にぶつかった。
ここからどうしようか?
昨日の語り部のクラタさんが、高野山内の語り部さんを紹介してくれた。
時間があれば、いろいろなお話が聞けると言う。
とりあえず、その方のいる金剛峰寺に行く事にする。
ここからバスに乗ればいい。
今回のツアーの中に、3日間バス乗り放題の券も含まれている。
バス停に行くと、バスはさっき出たばかり、次のバスまでには時間がある。
それなら歩きましょう。と国道を歩き始めた。
少し歩くと、国道に沿って、奥の院内の道があることに気づいた。
垣根の切れ目から、再び奥の院側に入る。
昔の道なのか?人気がまったくない。
途中、墓地があった。お彼岸と言うこともあり、お墓参りをしている人がたくさんいた。
少し広い場所があり、明らかに何かあった場所だと感じた。
中央に昔の説明文が書いた板があったので読んでみた。
どうも、このあたりは、高野山で罪を犯したものの処刑場であったようだ。
悪や未練などの黒いものが渦巻いて蛇と化して人々を苦しめた。
それを弘法大師が退治した場所らしい。
しかし、なぜここだけ看板を新しくして、観光スポットのひとつにしないのだろうか?
雨が降ったからなのか、ジメジメして暗い感じのするところだった。
それを過ぎると、国道側に燈籠が並んでいた。
最後は国道への出口になっていた。
よく見ると、一つ一つが四国八十八ヶ所のお寺の名前を刻んであった。
つまり、ここから一つ一つお参りをして、最後に御廟に行けば、お遍路さんをしたことになるのではないのだろうか。
かなり新しいものである。そのうち観光スポットになるのであろうか?
11時20分宿坊である「遍照光院」に戻ってきた。
今から金剛峰寺に行くと、確実にお昼になってしまう。
先に昼食を済ませてから行く事にした。
「中央食堂さんぼう」で麦大豆御飯を食べた。
時間はちょうど12時。。クラタさんがぜひ行くようにとすすめてくれた「高野山霊宝館」を先に見学することにした。
ここでは山内の重要な文化遺産を保存している。
近くで見る仏像たちに私は吸い込まれた。
心が安らぐものばかりである。
ゆっくりこの場にいたかったが、次に行かなくてはいけない。
後ろ髪を引かれる思いで、総本山金剛峰寺に向かった。
金剛峰寺とは、弘法大師が名づけた高野山の総称であり、高野山真言宗3600ヶ寺、信徒一千万の総本山である。
ここで、クラタさんから紹介された方を訪ねたが
「午後から女人堂のほうへ行きました」
と会うことが出来なかった。やっぱりアポなしではダメだった。
中に入り、いろいろな部屋をみた。
ふすまには立派な絵が描かれている。
その中の「柳の間」ここでは豊臣秀吉に追放された、秀次が自刃した間である。
きっと、語り部さんがいたら、もっといろいろな話が聞けたのだろう?
新別殿ではお茶とお菓子振舞っていた。
そして、尼さんが高野山のお話をしてくれた。
お話が終わって、また中を見学する。
白砂の綺麗なお庭があった「蟠龍庭」(ばんりゅうてい)である。
雲海の中で、雌雄一対の龍が、奥殿を守っているように表現されている。
そういえば、屋根の彫刻は面白かった。龍が飛び出していた。
語り部さんにきっと会える。と思っていたのでちょっと残念だった。
これなら、レンタルの高野山音声ガイド機を借りておけばよかった。
奥の院にも、ガイド機の番号がたくさんあった。
背景を聞きながらまわったほうが、見落としもないし、そのものに対しても理解が出来る。
すでに時間は13時45分。今から借りても無駄だろう。
今日は16時までに宿坊に帰らなくてはいけない。
御廟橋まで戻った。橋の手前に「水向地蔵」があった。
よくわからないけど、思いっきり水をかければ願い事でもかなうのかと、水をかけた。
次の順番の男性にかかってしまい、すみませんと頭を下げた。
仕方がないので、足元にちょろちょろと水をかける。
実は、御供所で水向塔婆を求めて、このお地蔵さんに納め、水を手向けて冥福を祈るのが正しかったようだ。
奥の院の参道を歩き始める。
こちら側は、企業の供養塔が多い。
いろいろな企業が、労働災害等でなくなった人の供養をしているのだ。
面白かったのは、某シロアリ退治の会社。シロアリの供養塔だった。
参道が終わり、国道371号線にぶつかった。
ここからどうしようか?
昨日の語り部のクラタさんが、高野山内の語り部さんを紹介してくれた。
時間があれば、いろいろなお話が聞けると言う。
とりあえず、その方のいる金剛峰寺に行く事にする。
ここからバスに乗ればいい。
今回のツアーの中に、3日間バス乗り放題の券も含まれている。
バス停に行くと、バスはさっき出たばかり、次のバスまでには時間がある。
それなら歩きましょう。と国道を歩き始めた。
少し歩くと、国道に沿って、奥の院内の道があることに気づいた。
垣根の切れ目から、再び奥の院側に入る。
昔の道なのか?人気がまったくない。
途中、墓地があった。お彼岸と言うこともあり、お墓参りをしている人がたくさんいた。
少し広い場所があり、明らかに何かあった場所だと感じた。
中央に昔の説明文が書いた板があったので読んでみた。
どうも、このあたりは、高野山で罪を犯したものの処刑場であったようだ。
悪や未練などの黒いものが渦巻いて蛇と化して人々を苦しめた。
それを弘法大師が退治した場所らしい。
しかし、なぜここだけ看板を新しくして、観光スポットのひとつにしないのだろうか?
雨が降ったからなのか、ジメジメして暗い感じのするところだった。
それを過ぎると、国道側に燈籠が並んでいた。
最後は国道への出口になっていた。
よく見ると、一つ一つが四国八十八ヶ所のお寺の名前を刻んであった。
つまり、ここから一つ一つお参りをして、最後に御廟に行けば、お遍路さんをしたことになるのではないのだろうか。
かなり新しいものである。そのうち観光スポットになるのであろうか?
11時20分宿坊である「遍照光院」に戻ってきた。
今から金剛峰寺に行くと、確実にお昼になってしまう。
先に昼食を済ませてから行く事にした。
「中央食堂さんぼう」で麦大豆御飯を食べた。
時間はちょうど12時。。クラタさんがぜひ行くようにとすすめてくれた「高野山霊宝館」を先に見学することにした。
ここでは山内の重要な文化遺産を保存している。
近くで見る仏像たちに私は吸い込まれた。
心が安らぐものばかりである。
ゆっくりこの場にいたかったが、次に行かなくてはいけない。
後ろ髪を引かれる思いで、総本山金剛峰寺に向かった。
金剛峰寺とは、弘法大師が名づけた高野山の総称であり、高野山真言宗3600ヶ寺、信徒一千万の総本山である。
ここで、クラタさんから紹介された方を訪ねたが
「午後から女人堂のほうへ行きました」
と会うことが出来なかった。やっぱりアポなしではダメだった。
中に入り、いろいろな部屋をみた。
ふすまには立派な絵が描かれている。
その中の「柳の間」ここでは豊臣秀吉に追放された、秀次が自刃した間である。
きっと、語り部さんがいたら、もっといろいろな話が聞けたのだろう?
新別殿ではお茶とお菓子振舞っていた。
そして、尼さんが高野山のお話をしてくれた。
お話が終わって、また中を見学する。
白砂の綺麗なお庭があった「蟠龍庭」(ばんりゅうてい)である。
雲海の中で、雌雄一対の龍が、奥殿を守っているように表現されている。
そういえば、屋根の彫刻は面白かった。龍が飛び出していた。
語り部さんにきっと会える。と思っていたのでちょっと残念だった。
これなら、レンタルの高野山音声ガイド機を借りておけばよかった。
奥の院にも、ガイド機の番号がたくさんあった。
背景を聞きながらまわったほうが、見落としもないし、そのものに対しても理解が出来る。
すでに時間は13時45分。今から借りても無駄だろう。
今日は16時までに宿坊に帰らなくてはいけない。