ひとり気ままに

バツイチ女のひとりごと。離婚した人も、離婚を考えている人も、そしてこれから結婚する人も、「気ままな話」を聞いてください。

家族の関係

2018-10-06 23:43:42 | 日記・エッセイ・コラム

2018年10月5日(金)

 

今週も終了。

1週間が早い。

 

早帰りデーだったので定時に帰宅し、実家に行った。

先週、姪っ子が大阪のお土産を買ってきてくれた。

「いつも駐車場を借りているからお礼。届けるね」

そう言われたのに長野に出掛けてしまった。

そのお土産を頂くのと、長野のお土産を届けに。

「栗の羊羹食べたことない」という姪っ子に小布施堂の栗羊羹。

 

母はお葬式に行ってきたという。

「どうして私に連絡してくれなかったの?」

「家庭葬だというから」

 

我が家は近所に親戚が集まっている。

子供のころからみんなにお世話になっているのに、母は「おじさんやおばさんってわけじゃないから」と言う。

血の濃さの問題じゃないんだけど。

お世話になった人の最後ぐらい「ありがとうございました」と送りたい。

 

先日も近所の同級生のお父さんが無くなったのに連絡をしてくれなかった。

仕事が忙しくて疲れているからと気を使っているのだろうか?

それとも、バツイチで子供もいない事をかわいそうだと思っているのだろうか。

 

母は母なりに考えているのだから、文句は言わない。

まあ、私がもっとまめに母に連絡していれば、こんなことにはならないのだ。

 

帰宅して、久しぶりに夕食を作り食べた。

時間は9時前。

残業しないと夜が長くてつまらない。

もしかして、だから残業しているのか?

新たな発見をした気がした。

 

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飲み会の計画

2018-10-06 22:47:40 | 日記・エッセイ・コラム

2018年10月4日(木)

 

毎週、木曜日の午後一番に会議がある。

なのに、毎週忘れてしまう。

なぜだろう。

 

今月末に3人の派遣さんが退社する。

2人は私の部下で、1人は隣の職場。

3人とも長い間働いてくれたので「合同で送別会をしませんか」と隣のグループリーダー。

実は先日、隣の退社する女性と飲み会で一緒だった。

その時彼女が言った言葉

「大きな送別会よりも、本当にお世話になったグループの人たちと焼き肉に行きたいです」

 

「本人の意向は良いのですか?」

「別々で開催すると、2回参加しなくてはいけない人もいるから」

まあ、本人も謙虚になっているのかもしれないけど、本音かもしれない。

 

飲み会の開催はいつもそう。

職場でこじんまり開催するのか、課全体で開催するのか。

 

「夜は参加できない人もいるから、昼食会にしましょうよ。焼き肉弁当が良いって言ってましたよ」

同僚が私に話しかけた。

焼き肉弁当はダメだ。

私の職場には、肉がまったく食べれない人がいる。

 

本当に面倒だ。

昔のように、飲み会も半強制という時代ではない。

参加しない人はいつも参加しない。

理由もまちまち。

嫌いな人がいるから参加しない。

仕事以外に人付き合いしたくない。

楽しくないのに、高いお金払いたくない。

 

一緒に働いてきたのだから、最後くらい感謝の気持ちで送り出してあげられる。

そんな広い心を持ってもらいたい。

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常識は変わる

2018-10-06 12:35:03 | 日記・エッセイ・コラム

2018年10月3日(水)

 

10月になったのに、カレンダーをめくっていなかった。

時代に置いて行かれる。

 

市議会議員が登壇中に飴をなめていたことが問題になった。

この方は、そのほかにも問題を起こしているので、処分が大きくなってしまったのだと思う。

しかし、私の考えとしても登壇中にのど飴とは言え、口の中に物を入れたまま話をするのはどうかと思う。

 

この会議中の飲食について、私も考えることがある。

職場の報告会や、会議においても、昔は飲食するなどありえなかった。

ところがある時から「水分補給は必要だ」と水筒かペットボトルの持ち込みに対し、何も苦情が出なくなった。

また、フリスクやあめ、ガムなどを口に入れても苦情は出ない。

 

のど飴は、乾燥によって咳が出て、会議の迷惑になるからとの理由はわかる。

では、フリスクやガム、また単なる飴は何だ。

これは、眠気防止らしい。

 

飴や飲み物を口に入れることはいいのだが、飴の包装紙をガサガサ、炭酸のペットボトルをプシュ。

これはやめてもらいたい。

「つまんないんだよね。早く終わりにしなさいよ」

という心の声が聞こえている感じがする。

 

報告会や会議の前には、気がきく(?)女子がみんなに飴を配る。

「眠くなるからみんなで飴食べましょう」なのか。

 

飴を口に入れる時点で、「私は何も話しません」宣言をしているのだと思う。

それは、会議に参加している意味がない。

 

中には、ガムを噛みながら話をする人もいる。

人に自分の気持ちを伝えようという感じが出ていない。

 

こんなことを思うのも昔の人だからなのだろうか?

今では小学校には水筒持参。

中身については特に規定がないから、親も何を入れたらよいのか悩む。

「昔は水道のお水だったよね」

 

世の中の常識は固定ではない。

ペットボトルに口をつけて、立って飲むなんて考えられなかったが、今では普通。

合理的な世の中になっていくのだと思う。

ただ、世の中の人すべてがそういう感覚ではないことも覚えておかなくてはいけない。

「あの人古いから」ではなくて、相手の気持ちを考えることも大切だと思う。

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