2023年5月1日(月)
4時に目覚ましが鳴ったのに、気がついたら4時45分だった。
慌てておにぎりを2個握り、日焼け止めを塗って出発した。
善光寺に着いたのは6時だった。
タイミングよくお数珠頂戴に並びいただくことができた。
本堂のお朝事でご本尊様に頭を下げて出発となった。
ずっと歩きたかった「戸隠古道」
一の鳥居から奥社までは10年前にツアーで歩いた。
今度は善光寺から。
昨年挑戦の予定が、コロナになってしまい今年に延期となった。
とりあえずの目標は一の鳥居。
ここで、体調と時間によって奥社まで行くか決めることにする。
善光寺宿坊の一つ「蓮華院」で九頭龍神社の本地仏であった「弁財天」様にご挨拶。
そして、マイ神社である「湯福神社」にご挨拶。
早々に四つ葉のクローバーが見つかり幸先が良い。
桜枝町の通りを西に向かって歩く。
この通りは西から善光寺に向かうメイン通りだった。
昭和の頃には商店街であり、地元の人たちはこの通りに買い物に来ていたそうだ。
今は古い町並みが残るだけである。
ここに善光寺七池の一つ「来間池(くるまいけ)」がある。
大正時代の上水道が完備される前には多くの人が水汲みに訪れた。
豊富な水に「来る間に水が戻る」ということからこの名前がついたそうだ。
今も防火用水として活用されている。
延命赤地蔵
善光寺近辺には、このように赤いお地蔵様がいくつもある。
ここから住宅地を抜けて山の中に入る。
善光寺七清水の一つ「瓜割清水」
この清水に漬けておいた瓜が割れるくらい冷たかったので、この名前になったとか。
この辺りまではグーグルの地図で確認できるが、この先はウォーキング道。
「靜松寺まで西国三十三箇所観音石仏群(江戸時代)」とパンフレットにはある。
江戸時代の人もこの石仏を拝みながら歩いたんだろうな。と思いながら進む。
道からは早朝の長野市内がよく見えた。
山道を抜けて「靜松(じょうしょう)寺」に到着。
「靜松寺」のの開祖は頼朝坊(らいちょうぼう)智盛。
なくなる時に左手の手のひらに「頼朝」と書いて亡くなった。
頼朝は生まれた時、手のひらに「頼朝」と書いてあり、ここから元服してからの名前が決まったとか。
つまり、頼朝は頼朝坊の生まれ変わりだということ。
今は通ることができないが、この石段は大竹屋平兵衞が寄進したもの。
この方は善光寺参道の敷石を寄進した方。
1714年頃に造られたものだそうだ。
地図の次の目標地点は「桜」
桜は地名なのだろうか?
頼りない地図とGoogle Mapを見ながら歩き出す。
時間は7時20分だった。