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ひとり気ままに

バツイチ女のひとりごと。離婚した人も、離婚を考えている人も、そしてこれから結婚する人も、「気ままな話」を聞いてください。

【展覧会】 江戸にあそび、街道を行く ―北斎・広重競べ―

2018-10-07 23:14:49 | アート・文化

2018年9月8日(土)~2018年10月14日(日)

開館時間:10:00~17:00(入館受付16:30まで)

休館日:木曜日

一般・大学生:1000円、小学生・中学生・高校生:500円

毎週土曜日は小中学生無料

 

今回の展示物は、和泉市久保惣記念美術館所有の6000点を超える浮世絵版画のうち150点ほどを展示している。

第1章 江戸に遊ぶ

江戸の人気浮世絵師が描いた江戸名物。

「鈴木春信」「鳥居清長」「喜多川歌麿」「東洲斎写楽」「歌川国貞」「歌川広重」

私は鈴木春信が好きなので、嬉しかった。

そして、広重が描いた「名所江戸百景」

 

第2章 東海道をゆく・北斎、広重の競演

広重は言うまでもなく「東海道五十三次」

北斎は「春興五十三駄」

街の様子を描いている「東海道五十三次」と、街の特産物や地元の人々を描いている「春興五十三駄」

それぞれが見て、感じた景色なのだろう。

 

第3章 富士をゆく 北斎・富嶽三十六景セレクション―静岡の富士を中心に

富嶽三十六景より11点が展示されている。

刷りものなので、沢山の作品があるため、色々なところで展示されている。

しかし、こんなにゆっくりと見ることができたのは初めてかも。

有名な「凱風快晴」「神奈川沖浪裏」「山下白雨」も並んでいる。

 

今回、私が一番驚いたのが、北斎の「田植図」

これは、佐野美術館が所有しているもので、今回は特別展示をしていた。

制作年は1843年、西洋画の方法を取り入れたという絹本着色の絵。

私はこの画法が好きで、北斎の娘「応為」が描いた、吉原格子先図を見たいと思っている。

もしかしたら、この作品も「応為」が描いたものではないかと思った。

 

ちなみに、佐野美術館では「着衣鬼図」も所有している。

9月29日には特別に見る事ができたらしい。

北斎が亡くなる前年の89歳に描かれた肉筆画である。

 

また、特別展示品には三島市指定文化財になっている、三島信用金庫所有の「三島宿風俗絵屏風」が展示されていた。

作者は小沼満英、江戸時代後期の作品である。

今の三島と比べながら屏風を見る。

三島大明神、今の三嶋大社である。

面白いことに、総門には仁王像がいる。

また、総門の奥に三重の塔が描かれていた。

小浜池も描かれている。

池に船が浮かんでいた。

昔はそれくらいの水量があったらしい。

 

広重と北斎、どちらが好きかと言えば北斎。

なぜだろうと考えた。

北斎の絵は、私が撮影したいと思う構図になっているのかもしれない。

見る者を引き寄せる構図なのである。

 

 

 

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台風じゃなかったの?

2018-10-07 13:05:20 | 日記・エッセイ・コラム

2018年10月6日(土)

 

最近の台風は進路予想が難しい。

今週末も雨かと思えば30℃の天気。

天気が良ければ、洗濯をしなくては。

 

先日、見かけたポスターを思いだした。

来週までの開催である。

午後から出かけたが、小さい美術館のため観覧者は少なく、のんびりと見ることができた。

色々な美術館で北斎の展示を見たが、必ず版画のできるまでの映像が流れている。

版画は決まって「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

今回の映像は15分程度であったがわかりやすく、彫師や刷師の大変さもよくわかった。

 

この美術館の所蔵物の阿弥陀如来が常設展示室に展示してある。

隣には蔵王権現立像と天部像が展示されている。

美術館では彫刻美術品と置かれているため、まじかで見ることができる。

ただ、この像たちは彫刻美術品だけではなく、信仰の対象物でもある。

いつもそうだが、まず手を合わせてご挨拶をする。

美術館に来る人は、特別展を見て帰るので、常設はいつも静か。

心穏やかにして、仏像たちと話ができる。

美術館に展示されている仏像は魂抜きしてあるのだろうか?

 

私にとって仏像、神社、仏閣、お墓、仏壇はあちらの世界の入口。

話しかけることによって、あちらの世界につながると思っている。

では、あちらの世界とは。

実は自分の心の中なのである。

自分が今何に困っているのか、そしてどうしたいのか。

それが祈願なのだと思う。

 

夕食は、先週から食べたかったきのこカレー。

 

夜は美術館で購入した本を読んだ。

葛飾北斎 (BT BOOKS)
美術手帖編集部
美術出版社

芸術の秋、読書の秋。

秋の夜長、外は急に土砂降りの雨。

これが台風の影響なのかしら。

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家族の関係

2018-10-06 23:43:42 | 日記・エッセイ・コラム

2018年10月5日(金)

 

今週も終了。

1週間が早い。

 

早帰りデーだったので定時に帰宅し、実家に行った。

先週、姪っ子が大阪のお土産を買ってきてくれた。

「いつも駐車場を借りているからお礼。届けるね」

そう言われたのに長野に出掛けてしまった。

そのお土産を頂くのと、長野のお土産を届けに。

「栗の羊羹食べたことない」という姪っ子に小布施堂の栗羊羹。

 

母はお葬式に行ってきたという。

「どうして私に連絡してくれなかったの?」

「家庭葬だというから」

 

我が家は近所に親戚が集まっている。

子供のころからみんなにお世話になっているのに、母は「おじさんやおばさんってわけじゃないから」と言う。

血の濃さの問題じゃないんだけど。

お世話になった人の最後ぐらい「ありがとうございました」と送りたい。

 

先日も近所の同級生のお父さんが無くなったのに連絡をしてくれなかった。

仕事が忙しくて疲れているからと気を使っているのだろうか?

それとも、バツイチで子供もいない事をかわいそうだと思っているのだろうか。

 

母は母なりに考えているのだから、文句は言わない。

まあ、私がもっとまめに母に連絡していれば、こんなことにはならないのだ。

 

帰宅して、久しぶりに夕食を作り食べた。

時間は9時前。

残業しないと夜が長くてつまらない。

もしかして、だから残業しているのか?

新たな発見をした気がした。

 

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飲み会の計画

2018-10-06 22:47:40 | 日記・エッセイ・コラム

2018年10月4日(木)

 

毎週、木曜日の午後一番に会議がある。

なのに、毎週忘れてしまう。

なぜだろう。

 

今月末に3人の派遣さんが退社する。

2人は私の部下で、1人は隣の職場。

3人とも長い間働いてくれたので「合同で送別会をしませんか」と隣のグループリーダー。

実は先日、隣の退社する女性と飲み会で一緒だった。

その時彼女が言った言葉

「大きな送別会よりも、本当にお世話になったグループの人たちと焼き肉に行きたいです」

 

「本人の意向は良いのですか?」

「別々で開催すると、2回参加しなくてはいけない人もいるから」

まあ、本人も謙虚になっているのかもしれないけど、本音かもしれない。

 

飲み会の開催はいつもそう。

職場でこじんまり開催するのか、課全体で開催するのか。

 

「夜は参加できない人もいるから、昼食会にしましょうよ。焼き肉弁当が良いって言ってましたよ」

同僚が私に話しかけた。

焼き肉弁当はダメだ。

私の職場には、肉がまったく食べれない人がいる。

 

本当に面倒だ。

昔のように、飲み会も半強制という時代ではない。

参加しない人はいつも参加しない。

理由もまちまち。

嫌いな人がいるから参加しない。

仕事以外に人付き合いしたくない。

楽しくないのに、高いお金払いたくない。

 

一緒に働いてきたのだから、最後くらい感謝の気持ちで送り出してあげられる。

そんな広い心を持ってもらいたい。

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常識は変わる

2018-10-06 12:35:03 | 日記・エッセイ・コラム

2018年10月3日(水)

 

10月になったのに、カレンダーをめくっていなかった。

時代に置いて行かれる。

 

市議会議員が登壇中に飴をなめていたことが問題になった。

この方は、そのほかにも問題を起こしているので、処分が大きくなってしまったのだと思う。

しかし、私の考えとしても登壇中にのど飴とは言え、口の中に物を入れたまま話をするのはどうかと思う。

 

この会議中の飲食について、私も考えることがある。

職場の報告会や、会議においても、昔は飲食するなどありえなかった。

ところがある時から「水分補給は必要だ」と水筒かペットボトルの持ち込みに対し、何も苦情が出なくなった。

また、フリスクやあめ、ガムなどを口に入れても苦情は出ない。

 

のど飴は、乾燥によって咳が出て、会議の迷惑になるからとの理由はわかる。

では、フリスクやガム、また単なる飴は何だ。

これは、眠気防止らしい。

 

飴や飲み物を口に入れることはいいのだが、飴の包装紙をガサガサ、炭酸のペットボトルをプシュ。

これはやめてもらいたい。

「つまんないんだよね。早く終わりにしなさいよ」

という心の声が聞こえている感じがする。

 

報告会や会議の前には、気がきく(?)女子がみんなに飴を配る。

「眠くなるからみんなで飴食べましょう」なのか。

 

飴を口に入れる時点で、「私は何も話しません」宣言をしているのだと思う。

それは、会議に参加している意味がない。

 

中には、ガムを噛みながら話をする人もいる。

人に自分の気持ちを伝えようという感じが出ていない。

 

こんなことを思うのも昔の人だからなのだろうか?

今では小学校には水筒持参。

中身については特に規定がないから、親も何を入れたらよいのか悩む。

「昔は水道のお水だったよね」

 

世の中の常識は固定ではない。

ペットボトルに口をつけて、立って飲むなんて考えられなかったが、今では普通。

合理的な世の中になっていくのだと思う。

ただ、世の中の人すべてがそういう感覚ではないことも覚えておかなくてはいけない。

「あの人古いから」ではなくて、相手の気持ちを考えることも大切だと思う。

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