最近、掲示板などで反応しようとしかけたけれど、
なんだか「言葉」に反応しているようで、止めました。
「言葉」そのものじゃないんですよね。
その奥にあるものを求めて、
こちらから寄っていって、丸ごと抱きかかえるようにして受けとめたい。
なんとなく、そんな風に思えてきました。
私の大好きな国ブータンの 若き国王、
素敵ですね。
ニュース、食い入るように見ました。
『ブータンとは「竜の国」という意味で、国旗や国の紋章にも竜が描かれています。国王はブータンの子どもたちに「竜は心の中に住んでいる。自分の竜を育てなさい」と普段から話しています。そして、福島の子どもたちには「人は経験を積み重ねて強く大きくなる」と語り、励ましました。』
目を輝かせ 惹きこまれるようにして聴いていた子どもたちの様子が
印象的でした。
――「竜」、なるほどね――。
「 自分の中にある人格を認識なさい。
辛いことなどあっても、そのことで自分自身が育っていけるんだよ。」
ということでしょうか。
私の中には、強い竜がいるようには…思えないんですが、、
替わりに、というか、
もう1人の自分がいるみたいなんです。
なにかあったとき、たとえば
「あんな言い方しなくったって良いじゃない…」
なんて思ったときなども、
1人、木や花など眺めながら歩いているうちに、
「あら~、あの人は知らなかったんじゃない?
勘違いしてるだけとちがうの?」とか、
「もっと別の感じ方する人だって、いるかもね~」
なんて声が聞こえてきたりするんです。
また、自分の言動などについても、
「あれで良かったんかねぇ。――」
と聞こえてくると、自然と素直になれて省みる姿勢になる。
そういえば昔、激しく落ちこんでいた頃は、
そんな声は聞こえてこなくて、
どんどん、泥沼の中に入ってしまったっけ――。
もう1人の私がいる限り、あんな風にはならないよね、
たぶん。 (って願望)
いろんな経験を経て、チョットは育ってきたのかな。