michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

デイ、お母さんも取り組んだよね

2024-09-04 07:47:42 | 介護

書類の整理を進めてます。

その棚が空いてきて、整理済みのバインダーがどんどん増えてく。

こういうのって、成果が目に見えるのでやりがいがある。

ふだん色んなこと「なんか、しんど…」と、なかなか腰が上がらない私でさえ。

 

デイサービスの連絡帳。日々の記録を見ていくと、様々なことがあったのが思い出されてきました。

母の言動に恥ずかしくなったり、申し訳なくなったり。本当に色んなことがあったっけ。

 

 

デイ。母にとって最初は慣れにくいようだったので、週一回、半日にして、お昼に私がカラの車椅子を押して迎えに行った。

少ぅしずつデイに馴染んできて、他の利用者さんとも打ち解けて談笑するようになり、職員の方とも、気軽な口ぶりで話すようになったらしい。(毎回同じことを言ったりしたようですが…)

最終的には、週に4回、行ってくれるように。

 

それでも、毎回、どこへ行くのか分からないと言う。

‘デイサービス’なんてカタカナ言葉じゃダメで、‘日帰りの〇〇〇’と言って、毎回詳しく説明。写真を見せても「どんなとこ~?」。

「家で寝ときたい」と言い始めたらテコでも動かない。ラクなのは分かるけど、家に居たら、寝て食べてトイレ行って…の繰り返しだけで一日終わってしまうでしょ?すぐに寝たきりになっちゃうよーと思い、

本腰いれて説得し、なんとかカントカ誘っていく。

たいていは「…分かんないけど、まぁ、行ってみるわねー」と言って起き上がってくれるのでした。 ほっ。。

 

デイに行けば軽い運動も、母に合わせてやってくれる。遊び感覚でやれるよう職員の方もすごく取り組んで下さったし、母もそれなりに楽しくがんばった(?)ようです。

他の利用者さんたちは、母をそれなりに受け入れて、あたたかく接して下さいました。例えば、お風呂を嫌がったりしたら、優しく誘って下さったり。

周り中の色んな方々のお陰で、母も私も直接間接に励ましてもらい、支えて頂いて、 どうにか100歳まで在宅で――母の希望通りに過ごせたのです。

(結局、母はその間、一度も入院も手術もしないで過ごせた。)

 

 

家の前に階段が10数段。これがなんとも。。

ある時、途中で力尽きてしまって、もう一歩も上れなくなった。ど、どうしよう…と思いながら 必死で抱え上げるような状態で、とにかく家に入れた。

それからは、階段を上がる母の後ろで 私が母のお尻を押し上げるような恰好で 上がるようにしました。

それでも母にとっては大仕事。一生けん命。も、全力です。

下りる時だって、シッカリ手すりに掴まり、杖をついて、慎重に一歩ずつ。

そんな母の姿が、なんだか尊いように見えて、

わたしも精一杯それに応えていきたい、と純粋に思えたものです。

(実際にはイラついて自己嫌悪になったり、途方にくれたり、――それはもうナンダカンダありましたけどね。

 

 

 

 

 


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