原田芳雄さんのライブで鴬谷に行った時にも触れたが「新世紀」というお店が私の初仕事だった。ダンスホールで、2つのバンドが30分づつ交代で演奏するシステム。1つはビッグバンド、もう1つはコンボだったようだ。私がトラで行ったのはビッグバンドの方。
初めての仕事で緊張と興奮を覚えながらダンスホールを目指した。楽屋に入ると、紅いジャケットが沢山ハンガーにかかっているロッカーの前に暗い顔のおじさんたちが沢山いた。バンマスらしき男の人が私の顔を見るや否や「女の人ですよね?」と真顔で覗き込むようにして聞いてきた。「(ムッとしながら)はいそうです。Uさんのトラで来ました、宜しくお願いします。」と挨拶すると「では、このジャケットを着てください。」とみんなとお揃いの紅いジャケットを手渡された。
女がサックス吹いちゃ悪いのか?当時は反体制的な意味でつっぱっていた自分がおかしい。誰もいないからこそ、サックス吹く快感があったのも事実。今みたいに上手で可愛い女性サックス奏者がうじゃうじゃでてくるなんて予想もしなかったなw。
男子ラグビー部の部室のような男たちの楽屋に、女性、しかも大学生の私がぽつんと入り、誰も話かけてくれるような気配もないまま本番の時間がきた。テナーのおじさんの後ろに着いてステージにあがり「89番!」とバンマスが叫ぶと譜面台に乗っていた分厚い楽譜の束から89番を見つけ出し、ささっと初見で演奏する。初めてのビッグバンドは初見と緊張でへとへとになりながらも楽しい経験だった。どんな人たちがダンスをしているのか、ホールを見渡す余裕も殆どなかった。
確か、30分ステージが5回くらいあったと思う。交代の間、おじさんたちは楽屋で当時大流行だったルービックキューブを黙々とやっている異様な光景が印象的で今も忘れられない。11時過ぎ、サックスを抱えて人気の少ない山手線に乗り込み、夜の鴬谷を後にした。
「私はサックスで稼いだんだ」という充実感で一杯の大学生3年の春。1日のトラ代、6000円也。青春の思い出プライスレス‥‥‥(しかし、その後2度とキャバレーやダンスホールの仕事はなかった)。
6000円と言えば当時は結構な額で今の倍くらいの価値があったと思う。こんなに楽しくサックス吹いてたったの2、3時間で6000円もらえるんだ、音楽で稼ぐってボロ儲け!と・・・ああ、大きな勘違い。物価はあがっても、ミュージシャンのギャラはそのまま・・・とは夢にも思わなんだ。とほほ。
初めての仕事で緊張と興奮を覚えながらダンスホールを目指した。楽屋に入ると、紅いジャケットが沢山ハンガーにかかっているロッカーの前に暗い顔のおじさんたちが沢山いた。バンマスらしき男の人が私の顔を見るや否や「女の人ですよね?」と真顔で覗き込むようにして聞いてきた。「(ムッとしながら)はいそうです。Uさんのトラで来ました、宜しくお願いします。」と挨拶すると「では、このジャケットを着てください。」とみんなとお揃いの紅いジャケットを手渡された。
女がサックス吹いちゃ悪いのか?当時は反体制的な意味でつっぱっていた自分がおかしい。誰もいないからこそ、サックス吹く快感があったのも事実。今みたいに上手で可愛い女性サックス奏者がうじゃうじゃでてくるなんて予想もしなかったなw。
男子ラグビー部の部室のような男たちの楽屋に、女性、しかも大学生の私がぽつんと入り、誰も話かけてくれるような気配もないまま本番の時間がきた。テナーのおじさんの後ろに着いてステージにあがり「89番!」とバンマスが叫ぶと譜面台に乗っていた分厚い楽譜の束から89番を見つけ出し、ささっと初見で演奏する。初めてのビッグバンドは初見と緊張でへとへとになりながらも楽しい経験だった。どんな人たちがダンスをしているのか、ホールを見渡す余裕も殆どなかった。
確か、30分ステージが5回くらいあったと思う。交代の間、おじさんたちは楽屋で当時大流行だったルービックキューブを黙々とやっている異様な光景が印象的で今も忘れられない。11時過ぎ、サックスを抱えて人気の少ない山手線に乗り込み、夜の鴬谷を後にした。
「私はサックスで稼いだんだ」という充実感で一杯の大学生3年の春。1日のトラ代、6000円也。青春の思い出プライスレス‥‥‥(しかし、その後2度とキャバレーやダンスホールの仕事はなかった)。
6000円と言えば当時は結構な額で今の倍くらいの価値があったと思う。こんなに楽しくサックス吹いてたったの2、3時間で6000円もらえるんだ、音楽で稼ぐってボロ儲け!と・・・ああ、大きな勘違い。物価はあがっても、ミュージシャンのギャラはそのまま・・・とは夢にも思わなんだ。とほほ。