池袋の街は卒業を迎えた女子大生たちで溢れていた。いいなあ、袴姿の女の子たち。私の大学は、卒業式と謝恩会に出るだけで100万くらいかかる(!)という理由で卒業式をボイコットして、そのお金でNYヘ卒業旅行に行ってしまったのだった。
だからあの姿には未だに少し未練が残る。初めて行ったNYの思い出の方が貴重な事は間違いないけど。
その頃通っていた慶応ジャズ研。バンドの仲間たち4人と女は私一人、5人の珍道中。初めてのNYでドキドキだったけど、慶応ボーイたちは紳士でいざとなれば守ってくれるだろうと思い頼りきっていたか弱い女子大生の私。し、しかし、到着3日目には各々好き勝手にライブハウスをはしごしまくり、気がつけば夜中のワシントンスクエアを女一人で横切ってホテルに戻っていた。どこがボディガードじゃ(怒)!
ケネディ空港に降り立ったのは、●十年前の226で極寒のNY。その1週間くらい前にセロニアス・モンクが亡くなったらしく、どこのライブハウスに行っても、追悼の演奏をやっていたのを思い出す。どっぷりとジャズに漬かった初めてのNY。ジャズミュージシャンへの道はここから始まった・・・ような気がする。
だからあの姿には未だに少し未練が残る。初めて行ったNYの思い出の方が貴重な事は間違いないけど。
その頃通っていた慶応ジャズ研。バンドの仲間たち4人と女は私一人、5人の珍道中。初めてのNYでドキドキだったけど、慶応ボーイたちは紳士でいざとなれば守ってくれるだろうと思い頼りきっていたか弱い女子大生の私。し、しかし、到着3日目には各々好き勝手にライブハウスをはしごしまくり、気がつけば夜中のワシントンスクエアを女一人で横切ってホテルに戻っていた。どこがボディガードじゃ(怒)!
ケネディ空港に降り立ったのは、●十年前の226で極寒のNY。その1週間くらい前にセロニアス・モンクが亡くなったらしく、どこのライブハウスに行っても、追悼の演奏をやっていたのを思い出す。どっぷりとジャズに漬かった初めてのNY。ジャズミュージシャンへの道はここから始まった・・・ような気がする。