Olive☆。.:*:・'゜

つれづれなるままに・・・雑感を

カトリックだって過去には

2006-09-16 21:53:06 | 雑感・海外
ローマ法王ベネディクト16世が「暴力による布教は論理的ではない。
暴力は神の本質と両立しない」などと話し、イスラム教の聖戦について
批判的な発言をした、というニュース。
歴史を遡れば、カトリックの布教と植民地政策など いっぱい出てくるというのに。。。

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原文はこちら
国際 ローマ法王の聖戦批判発言とは? 要約 - goo ニュース
「クーリ教授が編集した7つ目の対話の中で、皇帝は聖戦について触れている。皇帝は(コーランの)第2章256に「宗教に強制はない」とあるのを知っていたに違いない。専門家によると、この章(スーラ)は初期に書かれたもの、ムハンマドがまだ無力で危険にさらされていた時期のものだという。しかしもちろん皇帝は、後に唱えられコーランに記録された、聖戦についての指示も知っていた。皇帝は『聖書』を信仰する者たちと『異教徒』たちへの扱いの違いなど、細かい議論には触れることなく、一般論としての宗教と暴力の関係について、驚くほど直接的に、対話相手に問いかける。皇帝は『ムハンマドがどんな新しいものをもたらしたか、見せてほしい。自分が唱える信仰を剣で広めよという教えをはじめ、邪悪で非人間的なことばかりだ』と言った。

「皇帝は、自らの考えをこうして力説した後、暴力による布教がなぜ理性に反するものか、その理由を詳細に論じ始める。暴力は、神の本質、魂の本質とは相容れないものだと。皇帝は言う。「神は、流血をお喜びにならない。また理性的でない行動は神の本質に相反するものだ。信仰は魂から生まれるもので、肉体から生まれるものではない。他人を信仰へ導く者は、暴力や脅迫を使わずに、よく語りよく議論できる者でなくてはならない。理性的な魂を説得するには、豪腕も武器も必要なく、死をもって人間を脅すようないかなる手段も必要ない』と。

「皇帝が対話で、暴力的な布教活動に反対して主張いるのはつまり、こうだ。理性なき行動は、神の本質に反するものだということだ」
コメント (2)
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風神雷神図屏風

2006-09-16 21:14:23 | お出かけ
先月青磁の美しさというタイトルで書いた時に
触れた『国宝 風神雷神図屏風』を
観に行ってきました。
江戸の初期・中期・後期にそれぞれ琳派絵師の
手で描きあげられた、三つの風神雷神図。
俵屋宗達(建仁寺蔵)尾形光琳(東京国立博物館
蔵)酒井抱一(出光美術館蔵)。
それぞれを見比べ、徹底解剖してみるのも
この機会ならではです

どこか彫刻的な顔の描き方、重厚で厳かな雰囲気の宗達の作品。
それを完璧に模写しつつも表現が柔らかく、風神・雷神を擬人化した描き方を
している光琳。光琳の絵を模作する上で独創性とちょっと面白さを加えた抱一。
顔、手、髪、角などの部位を取り出して、比較できるような詳しい展示の仕方が
なされていて 非常に分かりやすいです。
宗達の絵の前で しばし時が経つのも忘れて見入ってしまいました。
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