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として建設されましたが、幾度かの
焼失を経て、537年、時の皇帝ユス
ティニアヌスによって6年近くの歳月
を掛けて再建。1453年にコンスタン
ティノープル陥落するとオスマン帝国
にはモスクに転用され、ミナーレを
備える姿になりました。その後、トル
コ共和国になってからは博物館として
公開されています。
教会の祭壇があったと思われる場所からちょっとずれた位置にメッカの方向を示すミフラープが
造られていました。漆喰で塗りつぶされていたモザイク画が再び姿を現したことでキリスト教的なものとアラビア語のカリグラヒフィーなどイスラム教的なものが共存している空間となっています。
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内部はあちらこちらに足場が組まれ、建物の修復作業が行われていました。
よく見ると絵が剥がれ落ちてしまっていたり、十字架の部分を削った跡と思われるものが
あったりしました。
一昨年にスペインを旅行した時にコルドバにあるメスキータに行きました。
元々西ゴート王国時代に建設されたカトリック教会が後ウマイヤ朝が建国されるとイスラム教の
モスクとしても使用されるようになり、その後レコンキスタによってカスティージャ王国がコルドバを
再征服すると、巨大モスクはカトリック教会の聖堂として転用され、モスク中央に教会が造られた
とても印象的な建物でした。
アヤソフィアは今は博物館となっていることもあり、ギリシア正教とイスラム教、それぞれの宗教色
が混ざり合った内部はどれも物珍しく、もっと見て回りたいと思いました。
それからいわゆるシーズンの頃は天気も良く、窓から差し込む光でより内部をよく見学出来るのか
も知れないなとも思いました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/49/3bf75c248ab9b40f36fe85061c8c9691.jpg)
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中央にイエス・キリスト、左は聖母マリア、右に洗礼者ヨハネ。
ビザンティン美術の傑作とされ、正教会芸術において伝統的なイコン(聖像)で、このデイシス
(ギリシャ語で「嘆願」とか「懇願」という意味)の前で祈る際には、悔い改めの心を持って、
聖母マリアや洗礼者ヨハネの執り成しを願い、罪の赦しを願うように祈るのだそうです。
正教会では「聖母」という言葉は用いず「生神女」という表現だそうで、キリスト教でも
宗派によって色々違いがあって勉強になりました。
2階のギャラリーには他にもモザイク画を見ることが出来ます。
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皇帝ヨハネス2世と皇后イレーネが聖母マリアとイエス・キリストに捧げ物をするモザイク画。
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キリストを挟んで左にコンスタイティン4世、右に女帝と言われたその妻ゾエ。
実はコンスタンティン4世はゾエの3番目の夫で、夫が変わる度に書き直させたと言われています。
その辺りからも当時ピザンチン帝国で絶対的な権力を握っていたのだろうと想像出来ます。