緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

野鳥写真

2019年01月12日 | 写真
ソニーの新しいカメラを買って、目下野鳥写真の練習中。
野鳥写真を撮る場合、二つの考え方があると思う。

一つは「こんな珍しい鳥の写真を撮ったぞ」という感じの写真。
もう一つは「こんな面白いor楽しいor美しい鳥の写真を撮ったぞ」という感じの写真。
ベストはこの二つが合わさった写真。
つまり珍鳥の、面白いor楽しいor美しい写真。

元々私はバードウォッチャーなので、珍しい鳥を見たいという気持ちはあります。
ただそれを写真に撮ったとしても、撮れた写真は図鑑の写真みたいになりやすいのです。

なかなか見られない珍しい鳥は、見つけること自体苦労しなければならないので、その上その鳥のいきいきとした姿を撮るのはハードルが高いのです。

意外に思われるかもしれないですが、カワセミの写真は、よほどのベストショットでなければ、私に言わせれば恥ずかしい。
プレバト俳句の夏井先生の言葉を借りれば“king of the 凡人”の写真だと思う。
確かにカワセミはきれいですが、カワセミって、それほど珍しくもないですし・・・。

と、さんざんエラソーな事を書いておいて私の写真です。
近所の河川で撮りました。
何の写真かって?
鴨さん達が水中に頭を突っ込んで川底の餌を採っている写真です。
鴨さん達の下手なシンクロナイズドスイミングにしか見えないって?

じゃあこれならどう? 揃ってるでしょ。

鴨の種類はコカモ、オナガガモ、キンクロハジロなど。
もちろん顔を見せる時もあるんですが、川底をゴソゴソやってたせいか汚れてよく分からないのです。

ちなみに河の風景はこんなの。


河の横には大きめの公園があり、そこでも写真を撮りました。
いかにも年金暮らしらしい高齢者と雀が一羽、所在なさげに並んで公園の池を見てました・・・。
雀って可愛い❤️

と思えばコワモテの雀が・・・。


でも私、雀好きです。いつも楽しそうだから。
ここには一体何羽いるのかな。

羽を膨らませたツグミです。


近所の河川や公園は特に珍しい野鳥はいないけど、じっくり撮影できるのが良いですね。



先日は箕面にいつものバードウォッチングのグループと出掛けました。
小雪が降る天気でした。
箕面は去年の秋にようやく一昨年の台風被害の後片付けが終わったばかりで、被害のひどさがうかがわれました。
先生曰く、いつもクロジを観察できる道がまだ通れない。声だけは聞こえると。

でも一羽のクロジが目の前の道に降りてきました。ラッキー!!

拡大すると
このクロジ、口に何か虫を咥えています。
後ろ姿も写してみました。




クロジはクロジというだけあって、黒いイメージがあるのですが、黒いのは雄で、雌は赤茶色みたいです。
この日見たクロジは雌でした。

クロジを見られたのは嬉しかったのですが、写真はパッとしないです。
山の鳥は動きが素早いということもあり、クロジ以外も良い写真は撮れませんでした。

アトリの群ですが入り組んだ木立の中でピントが合いません。
群の撮りかた、工夫しないと・・・・。

せっかくなので箕面大滝の写真も。虹が写り込んでいるの分かるかな。

三脚を持って行っていなかったので、流れる水を撮る時のブラしたり、止めたりはせず。


2月は同じグループで平城宮跡に行きます。
またアリスイやヒクイナが見られるでしょうか。
良い写真が撮れたら嬉しいのですが、その為にはもっと練習が必要です。


試し撮りで淀川散歩

2018年12月08日 | 写真
野鳥撮りに特化して、価格コムで安い時期を見計らい、評判の良いソニーの高機能コンデジを買いました。サイバーショット DSC-RX10M4です。ここ
私が買った時よりずいぶん高くなっています。

取扱説明書を読んで家で色々と撮ってみたのですが、鳥撮りに特化するのなら出掛けないと分かりません。
で先日、淀川河川敷に行ってきました。
珍しい野鳥には出会えませんでしたが、このカメラでどの程度撮れるのか試し撮りはできました。

このカメラの私にとっての欠点は、とにかく重いということ。
私の場合、両手拇指CM関節症+両腕腱鞘炎で、現在、腱鞘炎の悪化で治療中の状態。
このカメラは重さ的には一眼レフカメラに匹敵し、物凄く手に負担がかかります。
私が通常の一眼レフカメラではなく、ミラーレス一眼を使っていたのも、一眼レフカメラは私が扱うには重すぎるのが理由でした。

手や腕に問題を抱えていなければ、このカメラ、オールマイティで使えるかもしれません。
高機能コンデジでレンズの交換が要らないので、それは大きなメリットです。

カメラを抱えること自体が負担なので、三脚を持って行こうか考えたのですが、今回はそれはせず。
手持ちで撮りました。
12月の淀川河川敷の風景です。

歩いていると、河川敷に住んでいる地域猫の餌やり場に通りかかりました。
今年の1月には餌やりのボランティアさんとちょっとお話した場所です。ここ

前日雨だったので、餌には傘が差しかけられていました。
ボランティアさんは、ただ餌を気まぐれにやっているのではなく、猫達一匹一匹の管理や餌場の清掃もきちんとやっておられます。
雨の日は餌が濡れないようにもしているのです。

でもこの日はボランティアさんには出会えず、黒猫が一匹いるだけでした。

ちゃんと耳カットして、不妊手術も済ませた猫ちゃんです。

相手にストレスをかけるといけないので、近寄ることはしませんでした。
警戒して私の方を見ています。


肝心の野鳥撮りですが、ヨシ原にいるスズメを取って見ました。
肉眼ではスズメだと識別できず、鳴き声でスズメと分かる距離です。
これだと、どこにスズメがいるんだって感じですが、同じ写真をトリミングするとこうなります。

そこそこピントも合っています。
こういう場所での鳥撮りは難しいものですが、思いの外撮り易かったです。
評判通りだと思いました。

でもまだまだ練習が必要です。
暇を見つけて出掛けてみます。



奈良で撮影会

2018年07月03日 | 写真
この暑いのに奈良に出掛けました。
カメラ教室の時の班仲間と撮影会です。
とにかく蒸し暑かったです。

鹿さんをじっくり撮りました。
よく見ると可愛い。

鹿園で子鹿の公開をしていて、そこに行きました。

鹿園では怪我をして普通に生活できない鹿などを保護しているのですが、妊娠している鹿も保護し、子鹿が少し大きくなる7月半ばくらいまでそこで暮らすのだそうです。
母鹿は気が立っているので人との間のトラブルを避ける為だそうです。

子鹿の公開は6月末日まで、私達が行ったのは公開最終日でした。
おっぱいを飲む子鹿です。




よく見ていると、子鹿は自分のお母さんの鹿からだけお乳をもらうのではなさそうです。
鹿園にいる大人の鹿は授乳中の雌鹿ばかりですので、あちこちでお乳をもらっているみたいでした。

鹿園見学の後はお昼ごはんを食べ、それから春日大社へ。
もちろん鹿はあちこちにいます。

今の時期、雄鹿は立派な角を持っていて、ちよっと恐かったです。
お土産店の中まで入り込む雄鹿です。

これは雄鹿と子鹿のツーショット。

妊娠している雌鹿はすべて鹿園に収容されるわけではなく、外で子供を産み育てる雌鹿もいるとのこと。
この子鹿は鹿園の外で生まれた子鹿みたいです。
お父さん鹿かどうかは分かりませんが、同じ群の雄鹿と一緒に歩いていました。

春日大社に行きました。

藤の花の髪飾りを付けた巫女さんです。


春日大社は藤原氏の神社で、藤原というだけあって、藤の木を大切にすると聞いたことがあります。
藤の木は他の木にまきついて枯らしてしまうので、通常ならば伐採の対象なのですが、奈良では刈られず置いておかれるとか。
髪飾りが藤なのも所縁があるからでしょうか。

春日大社には藤棚もありました。
藤棚からはミストが噴き出すようにしていました。

春日大社で忙しく働いている人達は巫女さんだけでなく、皆さん意外と若かったです。



真っ白な狩衣が涼し気でした。(実際は蒸し暑かったと思います。)

それから東大寺の三月堂、二月堂と廻ったのですが、とにかく蒸し暑くて体中汗でペトペト。
それだけでも気持ち悪い状態。色々写真は撮りましたが気合が入りません。

二月堂から大仏殿を望む外国人観光客です。


ソフトクリームを食べて一息いれたところで次なる目的地、元興寺へタクシーで行きました。
元興寺はとても古い歴史のあるお寺です。詳しくはこちら

庭には石仏がいっぱい。

ボランティアの人の説明によれば、明治初期の廃仏毀釈の時、壊されそうになっていた野や町中の石仏を人々が元興寺に持ってきて守ったのだそうです。

日本中を吹き荒れたという廃仏毀釈を知ると、明治維新はとかく美化されていますが、その精神構造には病的なものがあったということが分かります。

元興寺の石仏達は今は花に埋もれています。







この後は近くの奈良町を通り抜けて帰りました。

奈良町で見つけた荒物屋の店先です。
懐かしい物でいっぱいでした。


奈良は魅力のある街で、散策はしたいのですが盆地特有の蒸し暑さには参りました。
今度行くとしたら季節の良い時ですね。


梅雨が待ち遠しい

2018年05月27日 | 写真
写真教室の同じ班だった人達と京都御苑に撮影に行きました。

京都御苑と言えば、いつもは野鳥なんですが、この日は3日間限定で開いているトンボ池で撮影。
ビオトープになっているんです。

自然状態を保つために普段は人が入れません。
ワンコを連れて来た家族は、係の人に「犬は入れません」と言われていました。
御苑内の他の場所なら大半はOKなんでしょうけど。

で撮ったのは・・・。
モリアオガエルの君です。
この子は来た人が見やすいように水槽の中に入れられてた子。
3日間の限定期間が済んだら放されるのでしょうね。

こっちは葉っぱの間に隠れていた子。

これはモリアオガエルの卵塊。

池に突き出た枝に産み付けられていました。
卵が孵ったら小さなオタマジャクシが池に落ちる仕組みです。

これは池。
手つかずのせいか、なんだかドロドロ。

トンボもいましたよ。

モノサシトンボ。真正面から見たところです。

カエルさん達、「グッケケケ」と鳴きながら、梅雨が来るのを待っているみたいでした。


高岡御車山祭を見る (3)

2018年05月14日 | 写真
翌朝は10時に荷物を預けてホテルを出発。
朝がゆっくりできたので助かりました。

フロントに集合だったのですが、少し早い目に行って、ホテルの前、ということは駅前なのですが、ドラえもんやら、のび太君やらを撮影。





こんな銅像がある理由は、ドラえもんの作者の藤子・F・不二雄氏が高岡の出身だからだそうです。

ツアーでは桟敷席で御車山の勢揃いが見ることになっていましたが、それまでに時間があり、高岡の金屋町の見学にいきました。

普段の高岡は路面電車が走っていますがその日は祭の為、一時的に撤去。
市内の交通規制もあり金屋町までタクシーに分乗して行きました。

金屋町だけでなく、高岡という町は、そもそもは加賀藩の二代藩主前田利長が隠居して高岡に城を築き、町づくり、産業づくりをしたことが最初だったらしいです。

金屋町の場合は鋳物師を招いて鋳物の産業を興したわけです。
金屋町は国によって重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。





鋳物も最初は農耕具を作っていたようです。
でも段々と金属加工の高度な技術を会得して、明治以降は美術工芸品などで世界に知られるようになったとのことです。

前田利長は鋳物だけでなく、漆工や染織、菓子の職人まで招いたとか。
御車山の華麗な装飾には、そうした技術が用いられているとのこと。

実は高岡城は一国一城令により直ぐに廃城となっています。
通常、城が無くなると、そこにあった町も廃れるのだそうですが、利長亡き後も産業づくりは続いたみたいです。

高岡が栄えたのは、そうやって商工業を誘致・優遇したことにあったようです。
何もない場所に豊かな町を作ったのですから、半端ない町おこしをやったみたいですね。


                                

というわけで、いよいよ高岡御車山祭の本番です。

ここは町の中心部、御車山の勢揃い式が行われる四ツ辻です。
手前の椅子が桟敷席で、ツアー客が座る場所。
まだ始まってません。

私はくじ運悪く3列目でした。

実はこの席、ちょっと問題ありで、ここに曳かれてきた御車山は向こうを向いて勢揃いするのです。
つまり勢揃いはお尻からしか見えないってこと。

一台一台、左手からやって来る御車山。

















やって来た御車山はドッコイショといった感じで前が持ち上げられ、向こうを向きます。













お尻からしか見られなかったこと、添乗員さんは観光協会の方に後で文句を言ったそうです。
確かに、ツアー代には桟敷席料も入っていますから。
後で見たのですが、正面の席には緋毛氈(レッドカーペット)が敷かれ、町のお偉い方達の席のようでした。

私も最初の内こそ3列目の自席で写真を撮っていたのですが、桟敷席の前に行って写真を撮る人もいて「あんたも遠慮したらいかん」と隣の席の人に促され、桟敷席の前、邪魔にならないように地べたに座り込んで写真を撮りました。
前日SDカードを貸してくれた人も前にやってきて、お互い撮ることに夢中。

添乗員さんは後ろ向きの席のことで責任を感じたみたいで、7台の御車山が揃った頃、前で写真を撮っている人達のところにやってきて、御車山が奉曵されるルートを教えてくれました。
そこで私達写真組は移動。

道路の縁石に腰かけて御車山を待ちました。
やって来た御車山。













曳いている人達、ホントしんどそうでした。







写真を撮っていて思うことは、勝手だけど写真を撮る人が邪魔だってこと!
「あんた、どけ!」と言いたくなる。
しまいには撮る人を撮っちゃう。

実は私も撮られてました。
地元の富山チューリップテレビのカメラマンに私が写真を撮るところを撮られました。
その日のテレビには私が映っていたかもね。

これは御車山に乗っている人達。人形は「尉と姥」。

なぜかドヤ顔のおっちゃん。


というわけで、写真はここまで。
この日は暑くもなく寒くもなく。ちょうどよい季節のお祭りです。
ちなみに去年は雨が降って中止だったそうです。

日本の地方は昔から頑張ってきたし、今も頑張っていることが分かる祭でした。

ここまで見て下さった方、ありがとうございました!