緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

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疑問解消 鴨なんば

2024年03月08日 | 話題
久しぶりに大風邪をひき、家で何もせず休んでいます。
ここ2週間ほど、雨もよく降って、庭仕事もままなりませんでした。

一昨年、家庭園芸の講座の仲間からもらったイチゴの苗、大きなプランターに植え替えたいのですが、今は無理は禁物、おとなしくしています。

書くこともないのですが、家庭園芸の講座で目から鱗というか「そういうことだったのか」と思ったことを書いてみます。

一つは「鴨なんば」について。
「鴨なんば」はなぜ「鴨なんば」というのか、やっと分かりました。
それは大阪の伝統野菜についての講義からでした。

大阪には元々なんばネギと呼ばれるネギが伝統野菜としてあったのでした。
今の難波周辺、そのネギの畑が広がっていたらしいのです。
そのネギの種を京都の人が持ち帰って育て、九条ネギと呼んだらしいのです。
ですからなんばネギと九条ネギは基本同じものです。

ところが京都は早々と九条ネギを京都の伝統野菜として登録してしまいました。
だから大阪がなんばネギを伝統野菜として登録しようとしても「これは九条ネギではないですか」と言われて、なかなか取り合ってくれなかったらしいです。
そこを縷々説明して、なんばネギを大阪の伝統野菜として登録することができたとのことです。

この話を聞けば「鴨なんば」がなぜ「鴨なんば」と呼ばれるか理解できます。
鴨肉となんばネギを乗せた蕎麦という意味なわけです。

ちなみに「鴨なんば」のことを「鴨南蛮」と呼ぶ輩もいますね。
私に言わせると鴨なんばは鴨なんばであって、決して鴨南蛮ではありません。
なんばんとは発音しないのです。
関西人が鴨なんばを鴨南蛮と呼んでいたら、その人はもぐりの関西人で、関西人のDNAをもはや持ってはいないと言っていいです。

関西以外では鴨南蛮と呼ぶところが多いみたいです。
ネギも白ネギを使ったりしている。
なんばネギや九条ネギは高価だし、手に入りにくいので仕方ないですが白ネギは違うだろうと思います。
なんばネギの特徴は緑色の葉の部分を食べることだったらしいですから、せめて葉ネギを使いたいです。

なんばネギの写真です。


実は私もなんばネギを食べたことがありません。
九条ネギはあります。
でも九条ネギはなんばネギを品種改良したネギという位置づけらしいです。
(まったく同じものではやはり具合が悪い?)
なんばネギ、その緑の葉の部分の糖度はフルーツトマト並みらしいです。
いつか食べてみたいです。


陸山会事件

2024年01月25日 | 話題
私にしては珍しく固い政治の話題です。
立憲民主党の小沢一郎議員の陸山会事件のことです。
実はちょっとショックでした。
私は政治家として小沢氏のことは全く好きではありません。
それでもこの事件当時、なんかおかしいという雰囲気はあり、私も注目していたのは記憶しています。

ですがちょうど2011年3月11日、東日本大震災が起こり、陸山会事件のことは私の頭から吹っ飛んでしまいました。
小沢議員は結局検察審査会で強制起訴されながらも無罪になっています。
当時から陸山会事件は、単純な期ずれによる帳簿上のミスと言われていましたので、私はそれで納得でした。

しかし今になって知ったのは、この事件、単純なものではなく、検察による捏造、冤罪事件だったことです。
それを知ったのは、たまに見ている「哲学系ゆーちゅーばーじゅんちゃん」の動画からです。


陸山会事件と松本人志が何の関係があるのかですが、文春を訴えるつもりらしい松本人志が雇った弁護士が、陸山会事件当時、証拠を捏造し、冤罪を作り出そうとした検事だったからです。
ちなみにじゅんちゃんは政治を語るユーチューバーの中でも、常にエビデンスを示し、緻密に語る人で、私は一定の信頼を置いています。

検事が一人の政治家を陥れるために冤罪を作り出す捏造に手を染めるなんて、考えられますか。
この事実、私は全く知らなかった。
3.11でそれどころではなかったということもあります。
この事実、当時ほとんど報道もされなかったのではないかと思います。

これは小沢一郎という政治家が好きか嫌いかとか、彼が政治家としてやってきたことにくみ出来るか出来ないかとかいうこととは全く関係なく、日本という国の政治と司法の根幹にかかわる問題だと思います。
自分達はどんな国に住んでいるのか、もう一度問い直さなくてはならないことです。

陸山会事件については以下のXの記事を参照してください。




松本人志の一件が途方もないものを表に出させたという意味でも驚きですし、色々と考え込むこともあります。



もう1つのクライアント

2023年10月05日 | 話題
昨日、NHKの7時のニュースを見てたら、ジャニーズ事務所の記者会見に質問させない記者を決めたNGリストなるものが存在していたというニュースが流れた。
そのニュース見ていて、なんだか凄い違和感を感じた。
というのも、それは一応NHKのスクープだったんだけど、変に出来すぎた映像だったから。
ジャニーズ事務所が記者会見の運営を委託したコンサル会社の女性スタッフが『さあ撮してください』といわんばかりにNGリストと印刷された紙のNGリストの文字部分がはっきり分かるように撮されていたから。
後で知ったのだけど、NHKは事前にNGリストがあるという情報をもらっていて、いわば待ちかまえていて撮った映像だったみたい。
情報を流したのは件のコンサル会社だったらしい。
いわゆる公共の利益の為の内部通報というやつ?
でもNGリストを頼まれもしないのに、それどころか当のジャニーズ事務所から使わないで当ててくださいと言われていたのに、作って、リストの記者逹を当てなかったのはコンサル会社ですよね。
結果、ジャニーズ事務所は計りしれないダメージを受けてます。
やれ、責任転化したの、忖度される体質の、まともに記者会見もできないの。
でもこれって、分かりやすく陥れられてますね。
さすがにジャニーズ事務所は即座にコンサル会社との契約を解除してます。
件のコンサル会社には、今回の記者会見ではジャニーズ事務所だけでなく、もっと重要なクライアントがいたとしか考えられない。
ジャニーズ叩きに夢中な人達には見えないことだと思うけど。




ジャニーズ問題

2023年07月24日 | 話題
前々回、末尾でジャニー喜多川の性加害問題について少し書きました。
その直後、snsを中心に大きな話題となった出来事がありましたので、それについて私の思うところを書いてみます。

ジャニーズ事務所の性加害問題については、テレビや新聞といった大手メディアではあまり触れられません。
ですからネットで大炎上した音楽家、山下達郎氏の発言についても知らない人は多いと思います。
というわけで、まず、何があったか簡単に書きます。

最初に断わっておくと、私はジャニーズのアイドル達はむろんのこと、芸能界については興味はありません。
また日本の音楽シーンについてもほとんど知りません。
(最低レベルの常識的なことを知っているくらいです。)
私が書くことは、そういう事柄とは異なることだと思ってください。

と、この記事を書いていて、国連の人権理事会がジャニーズの性加害問題を聴き取り調査するというニュースが入ってきました。
事程左様に、この話題はすでに芸能人の不倫とか、「芸能界ってそういうところだから」とか、そういった次元で捉えてはならないものになっています。

事の発端は音楽プロデューサーの松尾潔氏が、業務提携の契約を結んでいた芸能プロダクションのスマイルカンパニーから、突然、中途で契約を解除されたことでした。
理由はメディアで例の性加害のジャニーズ問題に触れたことでした。

松尾氏側からの詳しい事情は以下の通りです。

「スマイルカンパニー契約解除の全真相」弁護士を通じて山下達郎・竹内まりや夫妻の“賛成事実”を確認|松尾潔のメロウな木曜日

 おだやかな時間をこよなく愛して生きてきた。そんな自分が、55歳にもなって週刊誌記者に初直撃されようとは。ちっとも...

日刊ゲンダイDIGITAL



スマイルカンパニーは、そもそもミュージシャンの山下達郎・竹内まりや夫妻のマネジメントを主な業務とする会社ですが、ジャニーズ事務所とも深い関わりがあり、山下氏はジャニーズタレントへの楽曲提供なども行っています。

松尾氏は山下氏から誘われてスマイルカンパニーと提携したようです。
ちなみに私は松尾氏の名前は今回初めて知りましたが、音楽プロデューサーとして実績も実力もある業界では著名な方だそうです。
そして松尾氏は共にブラックミュージックを愛する者として、山下氏を敬愛していたようです。

松尾氏の発言に対して山下氏はラジオ番組「山下達郎の楽天カード サンデー・ソングブック」で答えました。
それが大炎上必至の主張でした。

以下に山下氏の主張を要約すると、松尾氏は憶測に基づいてジャニーズ事務所の社長である藤島ジュリー氏を批判した。
松尾氏の契約解除の理由は他にもあるがここでは触れない。

自分(山下達郎)は、ジャニー喜多川の性加害問題については今回の報道(BBCの番組以降の報道?)が始まるまで漠然とした噂でしかなく、1999年の裁判のことも聞かされていない。
性加害が本当にあったとすれば許されないことだが、自分が何も知らされていない以上コメントの出しようもない。

以下ジャニー喜多川との関わりや彼のプロデューサーとしての才能の素晴らしさに長々と触れ、彼に尊敬の念と恩義を感じているとしてます。
そして自分が大切にしているのはご縁とご恩だとして、ジャニーズを礼賛しています。
最後に、そのような自分の姿勢を忖度、あるいは長いものには巻かれろと考えるのならそれでも構わない。
そう考える人には自分の音楽は不要なんだろうと言ってます。

以上は私の要約ですが、山下達郎氏の全コメントはこちらにあります。興味のある人は読んでください。⇒MSN

山下氏のコメントで最も炎上したのは最終部分、実質的に、自分の姿勢を忖度だと思う人は自分の音楽を聴かなくてもよいと言っている部分みたいです。
その言葉は山下達郎の音楽のファンだった人を深く傷つけ、Twitterを見ると、ファンを止めるという人が続出しています。

私はファンではないので冷静ですが、ファンの気持ちは分かります。
何よりそれは、敬愛していた相手から突然関係を絶たれてしまうという意味で、今回スマイルカンパニーから途中で契約を打ち切られた松尾潔氏が受けたであろう衝撃と重なるものだったろうと推察します。

松尾氏が言った事は批判というよりは提言で、言葉使いも穏当なものでした。
それに対してスマイルカンパニー及び山下氏が取った対応は第三者から見ても『えっ?!』と思う程激烈なものでした。

当然、言っていることもツッコミどころ満載と言おうか、破綻しています。
大炎上もむべなるかな、です。

傷ついた山下達郎のファンは別にして、多くの人が一番問題にしたのは、山下氏が、松尾氏は憶測に基づいてジャニーズ事務所の社長である藤島ジュリー氏を批判したと言ったその中で「憶測に基づいて」の部分だったと思います。

聞き手は『いや裁判でジャニー喜多川自身が認めてるでしょ』と思っても、山下氏は裁判のことも聞かされていなかったと言うのです。
要するに、直接ジャニー喜多川や会社関係者の口から聞かされてないんだから知るわけもないと言っているわけです。
その理屈は、同じくジャニー喜多川の性加害を知らなかったと言った社長の藤島ジュリー氏とよく似てます。

二人とも、性加害があった事実そのものを認めていないのです。
どうやら直接本人(被害者ではなく加害者のジャニー喜多川)の口から聞くか、自分の目で性加害の現場を見ない限り認めないみたいです。
(というより、二人とも、言われなくても知っているけど認められないということでしょうか。)

実は私、この山下氏の言い方というか、論理の立て方には既視感があります。
昔、数十年前のこと、ある市民運動の場で活動していた頃、私があることに疑問を持って問題にした時、周囲の人達が一斉に取った態度がそれだったのです。
「そんなこと聞いたこともない」「知らないし関心もない・・・」
もちろん私は事実関係を提示していたのですが。

その時に私が指摘したことは、彼らがそんな風に言ったら、今までその人達が主張していたことの全てが意味のない嘘になるような事柄でした。
それでも「そんなこと聞いたこともない」みたいな言い方をした理由は、今なら分かります。
要するにその問題を取り上げれば、自分達が身を置くある種の“業界”の身内批判になるから、だったようです。
私にはそういう身内意識が皆無だったので、当時は訳が分からず驚愕しました。

そこの人達の中には私の100倍どころか1000倍くらい政治的に意識の高い人達もいて、以来長い間私は、そこの人達がよく口にし、行動のベースにもしていた「護憲」とか「人権」とか、その周辺の言葉を聞くと、心に鉛の玉が降ろされたような気分になりました。
その種の言葉とともに、どうしても「そんなこと聞いたこともない」といった彼らの言葉や、山下氏が松尾氏に対して取ったと同質の怒りと冷たさの入り混じった態度を思い出すからです。
それは山下達郎のファンだった人達が、今回の一件で山下達郎の楽曲を聞けなくなったのとよく似た心理だと思います。

要するに自他ともに認めるリベラルの世界だろうが、お洒落なシティポップの音楽シーンだろうが、この日本を支配している原理、即ち義理人情、ご縁とご恩の重視、身内主義、は変わらないってことです。
そういう意味で、自らに鑑みて山下達郎の人格批判をできる人はこの日本に100人に一人くらいしかいないんじゃないかとも思います。
だから今そうであるように、正義感に
満ち満ちて誰か個人をやり玉に上げることは無意味と考えます。

それをやってしまうと、大半の人が同様なのだから、人間に、日本人に、絶望するだけです。
そして自分はどうなのかと考えると沈黙するしかないです。
そうならずに個人を叩ける人はただの偽善者です。

では過去の関係重視ではなく、未来志向的にどう考えれば良いのか。
山下氏を怒らせた松尾氏が語ったことがまさにそれでした。
松尾氏は以下のように書いています。

私は、今回の疑惑を放置することは、ジャニーズ事務所だけの問題じゃないと思っています。一番の弊害は、今回の報道やマスコミの有り様を見た子供たちが、もし性犯罪・性暴力の被害者になったとき、「声を上げても無駄だ」という諦めの気持ちになるかもしれないことです。疑惑を放置することで、社会全体が諦めの気持ちを子供たちに植え付けかねないのではと怖れを感じています。

私は以前に「誘拐」と題した記事を上げたことがあります。

誘拐 - 緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

今回はちょっとシリアスなテーマです。野田聖子総務相が、2月2日の衆議院予算委員会で立憲民主党の阿部知子氏が性犯罪被害者への対応を尋ねたのに対し、性犯罪被害ではない...

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私はこの記事の中で子供の頃に巻き添えで誘拐されかけたことと、その後には性加害を受けかけたことを書きました。
いずれも未遂でしたが、その経験の中で一番私に衝撃を与えたことは、子供である自分の身に起こった事を親や周囲の大人に言っても誰も信じてくれないということでした。

今回のジャニー喜多川による性加害の件でも「なぜその時に言わなかったのか」とか「ジャニー喜多川が死んでから言うのはおかしい」とか「証拠を示せ」とか、もはやセカンドレイプとしか言いようがない誹謗中傷が飛び交っています。

ただでさえ13歳や14歳の思春期前期の男の子が自分の身に起きた性虐待を人に言うことがどれだけハードルが高いか、想像できないのでしょうか。
さらに年少の子ならもっと難しいです。
服部吉次さんは8歳でジャニー喜多川から性虐待を受け、それを公にしたのは70年後の78歳です。

私の場合、20歳くらいになってようやく自分の身に何が起きかけたのか分かりましたが、誘拐という出来事の背景を理解するにはもっと時間がかかりました。
そして30年くらいたって、ようやく人に話し始めました。
それまで黙っていたのは、最初に言った時に信じて貰えなかったので、そういう話は言っても無駄と思っていたからです。

今回も、snsはやらないという情報弱者の山下達郎氏でも、元ジャニーズジュニアの人達が何人も告発しているのは知っていたと思います。
でも彼らの存在や言い分は完全に無視です。
それもまた、「聞かされていない」「知らされていない」のでしょうか。

もう一つ、ジャニー喜多川はもう死んでいるのに今更訴えるのは卑怯という声も多くあります。
しかし今回新たに声を上げた人達はジャニー喜多川が死んだから声を上げたのではなく、イギリスBBCの報道がきっかけでした。
日本の社会には自浄能力がなく、あくまで外圧でしか動かないからです。
そしてBBCの番組の企画は5年前、ジャニー喜多川がまだ生きていた時から始まっています。

それ以前に、ジャニー喜多川による性加害への告発は古くは1960年代から、何度も何度も為されているのです。
ただ日本の法律では2017年まで強姦等の性被害は女性に限られてしか適用されませんでした。
その上、告発しても大手メディアは取り上げず、取り上げ方も芸能界の暴露ものというキワモノ扱いでした。
当然、そこにあった子供に対する性虐待という事実は無視され続けてきたのでした。
彼らはそういう現実を見ています。
それでもまだ「なぜ死んでから言うのか」と言うのでしょうか。
おかしいのはそれだけではありません。
加害者は死んでも被害者は生きており、さらに共犯者もその姿勢をかえることなく今も生きているからです。

この場合の共犯者とは、会社組織としてのジャニーズ事務所であり、自分達の利益を考えてジャニーズ事務所に忖度し、ジャニー喜多川の悪業を極力伝えなかったメディアであり、また自分達の利益を優先してジャニーズ事務所に忖度しまくっていた音楽業界やエンターテイメント業界の人々です。

ジャニーズ問題で発言した松尾氏を、唐突に契約を打ち切るという形で自らの仕事の場から排除して当然とした山下氏の対応はその典型です。
彼らがご縁とご恩に流されず毅然とした態度を取っていたら、ジャニーズ事務所は生き残れず、ジャニー喜多川の何十年にもわたる悪行で傷つく少年達はいなかったのです。

ご縁とご恩が、時に生活がかかるほど大切なものであるのは私にも分かります。
でも、それを優先させることが身内でない弱者を見捨てたり、踏みつけにすることに繋がっていたら、そこは人としての踏ん張りどころではないでしょうか。
それにしても今後、メディアはどう動くのでしょうか、注視したいです。

未来志向的に見て、もう一方の私達、業界関係者ではない一般人もまた、その対応が問われるのではないでしょうか。
一般人にとっての最悪の対応は、この問題をキワモノと捉えることだと思います。
ジャニーズ問題を自分とは関係のないキワモノ扱いにして頭っから無視する、もしくは面白おかしくネタにする、正義ぶって所属するタレントの個々を下卑た好奇心の対象にする。
そんなことをすれば、この先被害者となった人間は固く口を閉ざすだけであり、日本の社会は性犯罪者にとっての天国となります。

ジャニーズ問題は日本の社会が本当に性犯罪の被害者となった子供を守れるのか、そもそも子供を大切にできるのか、問いかけているように思います。
取り敢えずは8月4日の国連人権理事会の報告を待つことにします。



坂本花織とケイトリン・オオハシ

2023年04月14日 | 話題
WBCの影に隠れてあまり報道されなかったけど、日本で行われた世界フィギュアスケート選手権大会で、女子シングル坂本花織、男子シングル宇野昌磨、それとペア三浦璃来、木原龍一組が優勝しました。
中でも坂本花織と宇野昌磨は連覇を果たしています。

私が面白いと思ったのが坂本花織選手。
優勝したにもかかわらず、読んでないので内容は知らないのですが、ヤフコメでは随分な叩かれようだったとのことです。
ヤフコメは論外として、叩く人には分からない彼女の革新性、魅力があります。
今回はそれについて思ったことを書きます。

去年2022年のフリーの演技では、振付師は明らかにその彼女の革新性と魅力を全面的に押しだす振り付けをしています。


坂本花織選手に対する批判コメントの代表的なものは、2022年2023年はウクライナ問題でロシアの選手が参加しておらず、そんな大会での優勝は意味がないというもの。
実際、彼女はロシアの少女選手達がバンバン跳んでるトリプルアクセルも4回転ジャンプを跳べていないということ。

この点に関しては二つ指摘できることがあります。
一つはフィギュアスケートは芸術スポーツで、ジャンプの回転数だけを競うスポーツではないということ。

現在は、特に男子では、4回転ジャンプを何種、そして幾つ跳んだかみたいなことばかりテレビでは言われますが、本来フィギュアスケートはそういうものではないのです。
確かにそれによって加点はされますが、絶対的なものではありません。
フィギュアスケートはあくまで芸術スポーツなんです。

もう一つはロシアの少女選手達のドーピング疑惑。
カミラ・ワリエラが所属するエテリ・トゥトベリーゼコーチ門下は選手に対する徹底した管理を行うことで有名です。
当然、発覚したワリエラの薬物使用も周囲の大人達による組織的な関与が疑われています。

15歳ワリエワ騒動を“ただのドーピング事件”にしてはいけない理由…選手たちが語った“ロシアフィギュア界の闇”「みんなやってるよ」(及川彩子)

多くの人がもやもやした気持ちを抱えたまま、フィギュアスケート女子を観戦することになった。ROC(ロシア五輪委員会)の北京五輪フィギュアスケート代表、カミラ・ワリエワ...

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ロシアにおいて、少女選手達がバンバン4回転を跳ぶけれど、その背後で何か物凄く不自然なことが行われているのではないかと、多分フィギュアスケートに多少なりとも興味のある人は感じている筈です。

ドーピングまで行かなくても、フィギュアスケートをはじめとしたスポーツには不健康さ、不自然さが付き物です。
元フィギュア選手の鈴木明子さんは自らの経験からその事実を語っています。

摂食障害、2度の五輪…鈴木明子36歳が語る“遅咲きのスケーターと呼ばれた現役時代”「『自分を大切にする』と『競技性』は相性が悪い」(小泉なつみ)

現在は解説者としても活躍する鈴木明子さんは、日本代表として10年バンクーバー五輪、14年ソチ五輪に出場した。その栄光の裏には、“遅咲きのスケーター”と呼ばれる所以とも...

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要は現在のジャンプ偏重のフィギュアスケートが、女子の選手達にとっていかに過酷なものか、です。
結局、体が大人になりきっていない少女体型でなければ4回転ジャンプを跳ぶのは難しいらしいのです。
ロシアでは、跳べなくなればザギトワがそうであったように、20歳になる前にフィギュアスケートから遠ざかるしかありません。
ザギトワは10代半ばで金メダルを手にし、社会的に成功したからまだ良いのですが、練習の過程で心身を病む選手は少なくないようです。

坂本花織選手はそんなロシアの少女選手達の対極にいる選手です。
坂本選手の持ち味はスピードとパワーであり、女子のフィギュアスケーターでありながら、軽やかというよりどっしりとしてダイナミックな印象を受けます。
体型も、肉付きが良く、太ももが太い。
それは現在のボディポジティブの機運と合致しています。

「ボディポジティブ」については、知ってる人も多いでしょうけど、簡単に説明すると、当初ボディポジティブは太った人への差別に抗議することから始まっています。
要するに、痩せていることが良いことだという体型に対するステレオタイプの価値観に縛られず、自分のありのままの体型(ボディ)を前向き(ポジティブ)に受け入れようという考え方やムーブメントのことです。

この流れの中でフランスやイタリアでは痩せすぎたモデルを規制する法律ができたり、有名ブランドのサイズ展開が豊富になったりしました。
また、ドラマなどでもぽっちゃりしたキャラクターに、今までのように食欲を抑えきれないだらしない性格ではなく「自立して強く賢い」性格が与えられたりしてきているようです。

もちろんこの背景には、痩せていることが良い事だと思いこまされた挙句、多くの女性・少女達が摂食障害に陥っている事実があります。
先の鈴木明子さんも摂食障害を病んでいましたし、女子マラソンの選手の中にもいましたね。
要するに、死んでしまったり(私の知人にもいた)、人生を棒に振る女性達が少なからずいるということです。

一般の女性達も、必ずしも太っているわけでもないのに自分の体型にどうしても肯定感が持てず、不健康なダイエットに走る事例はあまりに多いです。
ボディポジティブの機運はそういう風潮の中で出てきて、それに抗う世界的なムーブメントなわけです。

今までのような、羽のように軽やかにジャンプして舞う女子のフィギュアスケーターのイメージを覆し、ガッシリとした体型でスピードとパワーを持ち、それでいて演技の美しさを兼ね備えた女子のフィギュアスケーターとして坂本花織選手の革新性があると思います。

ボディポジティブの機運の中で、もう一人、世界的に注目を浴びているスポーツ選手がいます。
タイトルにあげたケイトリン・オオハシ選手です。
彼女はアメリカの体操の選手です。
名前からも分かるようにお父さんが日系の選手です。
以下のYouTubeの動画は彼女が床の演技で10点満点を叩きだした時のものです。



動画の再生数は2.3億回、コメント数も5万8千を超えていて、世界中で、どれほど強い関心を持たれているか分かります。
コメントを読んでみると、必ずしも賞賛するものだけでなく、やはりネガティブなコメントもあります。

面白いのはネガティブなコメントには、恐らくロシア人が書いたと思われるキリル文字のものが多いことです。
(もちろんキリル文字でも賞賛コメントはあります。)
中にはケイトリン・オオハシがドーピングしていると決めつけているコメントもあります。
自分達がそれをやっているからって、人もそれをすると思うかなって感じです。

日本人である私から見ると、彼女の体型は日本人によくある体型だと思います。
私もそうなのですが、太ももが凄く張っています。
ヒップよりも太もも回りの方が大きいのです(私もそう)。
でもお腹はペッタンコで、いわゆる脂肪太りとは程遠く、鍛え抜かれた体型です。
(私の場合は鍛えてないので筋肉は少なく単なる脂肪)

ただ人種としての日本人のそういう体型が、そういう体型なのだと外国で理解されるかどうかは疑問で、彼女もまたそれで苦しんだようです。

私がまだ20代の頃、同僚の女性が旅先で外国人から「足が短い」と驚かれたという話をしたことがありました。
それもネガティブな意味合いで驚かれたのではなく、悪気も無く普通に驚かれたらしいのです。

ちょうど日本人が欧米人を見て「頭ちっさー」とか「足長ー」とか言うようなものです。
でも欧米人に「頭ちっさー」はNGワードですし、昔読んだドイツの小説では「この足長!!」と言って若い男性を罵っているシーンがありましたので、身体に関わることは褒めたつもりでも言ってはならないようです。

要するに人種が違うと、そういう体型があるということが分からず、自分達の社会の価値観でそれを判断してしまうのでしょう。
一部のロシア人がケイトリン・オオハシ選手の太ももを見ても、太っているとしか認識できないのはその所為です。
また、認識できないのはは一部のロシア人だけではなかったでしょう。

ケイトリン・オオハシ選手の場合、体操の選手です。
おそらくアメリカの体操界も同様じゃないかと思うのですが、私達には往年のナディア・コマネチのような理想の体操選手のイメージがいつのまにか出来上がっていて、選手がそこから外れることにプレッシャーをかけているのかもしれないです。

ケイトリン・オオハシ選手の経歴を見ると、子供の頃の彼女は体操を純粋に楽しんでいて、ジュニア時代はアメリカの体操エリートとして競技生活を送り、人並み以上の成果もあげていました。
10代半ば頃から周囲の期待や言葉に応えようとして食事制限にハードな練習と無理を重ね、ついには背骨の骨折・肩の損傷で体操エリートの道から脱落したようです。

実際には、思春期の彼女はかなり酷い言葉が投げかけられていたようで、自分の身体に強い劣等感を持っていたらしいです。
一時は体操を止めていたようですが、大学のチームに入り、そこでのコーチとの出会いで、あるがままの自分を肯定し、体操を楽しめるようになったそうです。
10点満点の彼女の演技を見ると、本当に楽しそうだし、彼女のチームメートも演技する彼女の真似をして、その表情から心底彼女をリスペクトしているのが伝わってきます。

思い出すと、あの京都橘高校吹奏楽部の少女達も、台湾公演での動画で、中国本土の中国人からどれほど足が短いとか太いとか体型をディスるコメントを書かれていたことか。
でも楽器を正確に演奏しながら激しくダンスするのにどれだけの体幹の強さがいるか、想像に難くないです。
太ももが太くなるのは当たり前なんです。

要するに体操であれフィギュアスケートであれ何であれ、パフォーマンスの評価に今まで考えられていたような理想の体型は関係なかったってことになります。
それがようやく分かったのが、ボディポジティブのムーブメントの起こった昨今だったのではないでしょうか。

それにしても、優れたパフォーマンスの土台となる日本女性及び日系女性の太ももには「あっぱれ」と言うしかないです。
私も自分の太ももに今までディスってきて悪かったと謝ります。