アメリカについて、ちょっと書いてみます。
タイトルにある「murica」ですが、主にネットスラングとして使われていて、意味はアメリカのことだそうです。
といっても、ある特徴を持ったアメリカのことです。
検索して調べると最初に以下のように出てきました。
「murica」という言葉は極端に訛りの強いアメリカ人が「アメリカ」を発音時の発音である。この言葉は極端な国家主義や愛国心を表すのに使われるが、人種差別というわけではない。通常は、アメリカ人を軽蔑的だがユーモアのある方法で表していると取られる:肥満で、拳銃を持って、戦争好きで、馬に乗って、酒場で喧嘩して、ビールを飲んで、エッチ好き等々。
上記以外にも色々と調べてみると、保守的で、共和党支持者で、愛国心の強いアメリカ南部の人々とか、「極右が理想とするアメリカ」というニュアンスがあるとか、頭の悪いアメリカ人(レッドネック、田舎者、共和党支持者かウヨとか)のアメリカとか、まあだいたいイメージできる感じです。(レッドネックというのはアメリカ南部に住む保守的な貧困白人層のことらしい。)
私がmuricaという言葉を知ったのは、YouTubeにあった、2016年のインターハイ、井原高校男子新体操部の演技のコメント欄からです。
たくさんのコメントの中の一つで使われていたのです。
去年、「男子新体操・ジェンダー・LGBTQ」の記事を書いた時、そのコメントも取り上げてみようとも考えたのですが、自分が考えたコメントの意味にどうしても自信が持てなかったので触れませんでした。
どのようなコメントであったか載せてみます。

スペルの間違いを直して読みやすくすると以下のような文章です。
Meanwhile in the murica they are arguing about 29000000000000 genders.
この文章、muricaの意味が分かって、英語の構文としても難しくないと思うのですが、私には自信を持って意味を把握するのは難しいものがありました。
一応、Google翻訳では以下のようになってました。

ただ、Google翻訳は間違いや意味不明なものが多いのです。
私はこの翻訳もそういうものの一つのように思いました。
特に“29000000000000 genders”を「29兆人の性別」と訳した点で、「何ですか、それ」って感じです。
それではなく私が考えた意味は、意訳すると「一方、ムリカのアメリカでは、彼らは無数のジェンダーについての論争しています」みたいなものでしょうか。
この場合のジェンダーとは性別のことではなく社会的・文化的に規定された男らしさや女らしさのことではないかと考えたわけです。
正確にはとても訳せないですし、私が考えた意味が正しいのかどうかも私には判断がつきません。
そういうわけでブログの記事では使わなかったのです。
ですが私がそういう意味ではないかと考えたのは、“Meanwhile”とは「一方」という意味ですが、そこでいう一方のもう一方は2016年の井原高校の演技だからです。
それは体操のスキルと、芸術スポーツが持ち得る最高レベルの芸術性で見る人を圧倒する演技でした。
先のコメントの書き手もまた井原高校の演技について同様の認識をしたと思います。
と同時にコメント主は、井原高校のその演技がアメリカにおいてどのように捉えられるかも瞬時に想像がついたのだと思います。
それは私が自分のブログで、男子新体操が欧米西側諸国、とりわけアメリカでずっと言われ続けていると指摘したジェンダーがらみの否定的文言と重なっていたと思うのです。
なぜなら、それこそmuricaのジェンダー規範では、日本の男子新体操は決して受け入れられないからです。
その上で、“Meanwhile in the murica they are arguing about 29000000000000 genders”というコメントは、慨嘆と皮肉を込めた一言ではなかったかと私は思ったわけです。
もちろんコメントの意味は、私はそう思っただけで実際のところは今でも分かりません。
ただ最近になって、トランプ大統領のやることなすことを知るにつれ、『まさにmuricaのアメリカだ』と、何度も思わされました。
というのも、muricaの非文化的で反知性的な価値観はジェンダーにおいてのみ保守性が際立っているのではなく、あらゆる面に及ぶみたいだからです。
トランプ大統領の滅茶苦茶ぶりは他国に対してだけでなく、アメリカ国内でも、取り換えのきかない重要な役職についていた人達を大量に解雇するなど、アメリカそのものを根底から壊そうとしているかのように見えます。
それでもmuricaの人達にとっては、エリートに対する反感からか、危機感よりエリートを痛めつけることで溜飲が下がるだけなのかもしれないですが・・・。
結果、近い将来、murica自身が困ることになり、プーチンが大喜びしそうです。
ところで、私が観てきたアメリカ映画は、むしろmuricaのアメリカを批判するようなものが昔から多かったような気がします。
無茶苦茶古い映画ではビンセント・ミネリ監督、デボラ・カー主演の「お茶と同情」とか。
高校生の頃の映画では「イージーライダー」とか、当時のニューシネマと呼ばれる映画はほとんどそうだったような。
比較的最近のものでは「グリーンブック」とか。
そういうのって私の映画の趣味が反映されていて、実際のアメリカ映画にはmurica好みのものの方が多分多いのでしょうけど。
拮抗する勢力は昔からあったけれど、今はトランプ大統領のアメリカ=muricaが勝っているというところでしょうか。
それにしてもトランプ大統領の言っていること、やっていることは想像の斜め上というか極端で、彼自身がフェイクニュースの世界を生きているのではないかと思えます。
実際、ロシアが流すフェイクニュースを誰よりも信じているみたいだし。(あるいは人がそういうフェイクニュースを信じていると思い込んでいるのか)
あと15年もすれば「史上まれに見る酷いアメリカ大統領」と歴史的にも評価が下されそうです。(いやもう既にそういう評価なのかも)
もちろん、muricaのアメリカなどといって、日本人が笑っていられません。
男子新体操だって日本人でもその存在を知らない人が大半です。
いつだったかYouTubeでテレビの地方局のスポーツニュースを見たのですが、男子新体操が行われておらず一人の選手もいない県で、初めて男子新体操の選手が現れたというニュースでした。
その時、その番組のご意見番的にコメントする年寄り男性の、苛立ちと侮蔑に満ちた態度に私は少なからずショックを受けました。
彼は早くその話題を終わらせたくて必死の様子でした。
多分、彼は男子新体操がどういうものか全く知らないまま「男が新体操なんぞするのか」という気持ちが出てしまったのだと思います。
実は最近も、そういう年寄り男性は意外といると知りました。
murica的な人は日本にもいるし、日本もまた安泰からほど遠いと思い知るべきなのでしょう。
タイトルにある「murica」ですが、主にネットスラングとして使われていて、意味はアメリカのことだそうです。
といっても、ある特徴を持ったアメリカのことです。
検索して調べると最初に以下のように出てきました。
「murica」という言葉は極端に訛りの強いアメリカ人が「アメリカ」を発音時の発音である。この言葉は極端な国家主義や愛国心を表すのに使われるが、人種差別というわけではない。通常は、アメリカ人を軽蔑的だがユーモアのある方法で表していると取られる:肥満で、拳銃を持って、戦争好きで、馬に乗って、酒場で喧嘩して、ビールを飲んで、エッチ好き等々。
上記以外にも色々と調べてみると、保守的で、共和党支持者で、愛国心の強いアメリカ南部の人々とか、「極右が理想とするアメリカ」というニュアンスがあるとか、頭の悪いアメリカ人(レッドネック、田舎者、共和党支持者かウヨとか)のアメリカとか、まあだいたいイメージできる感じです。(レッドネックというのはアメリカ南部に住む保守的な貧困白人層のことらしい。)
私がmuricaという言葉を知ったのは、YouTubeにあった、2016年のインターハイ、井原高校男子新体操部の演技のコメント欄からです。
たくさんのコメントの中の一つで使われていたのです。
去年、「男子新体操・ジェンダー・LGBTQ」の記事を書いた時、そのコメントも取り上げてみようとも考えたのですが、自分が考えたコメントの意味にどうしても自信が持てなかったので触れませんでした。
どのようなコメントであったか載せてみます。

スペルの間違いを直して読みやすくすると以下のような文章です。
Meanwhile in the murica they are arguing about 29000000000000 genders.
この文章、muricaの意味が分かって、英語の構文としても難しくないと思うのですが、私には自信を持って意味を把握するのは難しいものがありました。
一応、Google翻訳では以下のようになってました。

ただ、Google翻訳は間違いや意味不明なものが多いのです。
私はこの翻訳もそういうものの一つのように思いました。
特に“29000000000000 genders”を「29兆人の性別」と訳した点で、「何ですか、それ」って感じです。
それではなく私が考えた意味は、意訳すると「一方、ムリカのアメリカでは、彼らは無数のジェンダーについての論争しています」みたいなものでしょうか。
この場合のジェンダーとは性別のことではなく社会的・文化的に規定された男らしさや女らしさのことではないかと考えたわけです。
正確にはとても訳せないですし、私が考えた意味が正しいのかどうかも私には判断がつきません。
そういうわけでブログの記事では使わなかったのです。
ですが私がそういう意味ではないかと考えたのは、“Meanwhile”とは「一方」という意味ですが、そこでいう一方のもう一方は2016年の井原高校の演技だからです。
それは体操のスキルと、芸術スポーツが持ち得る最高レベルの芸術性で見る人を圧倒する演技でした。
先のコメントの書き手もまた井原高校の演技について同様の認識をしたと思います。
と同時にコメント主は、井原高校のその演技がアメリカにおいてどのように捉えられるかも瞬時に想像がついたのだと思います。
それは私が自分のブログで、男子新体操が欧米西側諸国、とりわけアメリカでずっと言われ続けていると指摘したジェンダーがらみの否定的文言と重なっていたと思うのです。
なぜなら、それこそmuricaのジェンダー規範では、日本の男子新体操は決して受け入れられないからです。
その上で、“Meanwhile in the murica they are arguing about 29000000000000 genders”というコメントは、慨嘆と皮肉を込めた一言ではなかったかと私は思ったわけです。
もちろんコメントの意味は、私はそう思っただけで実際のところは今でも分かりません。
ただ最近になって、トランプ大統領のやることなすことを知るにつれ、『まさにmuricaのアメリカだ』と、何度も思わされました。
というのも、muricaの非文化的で反知性的な価値観はジェンダーにおいてのみ保守性が際立っているのではなく、あらゆる面に及ぶみたいだからです。
トランプ大統領の滅茶苦茶ぶりは他国に対してだけでなく、アメリカ国内でも、取り換えのきかない重要な役職についていた人達を大量に解雇するなど、アメリカそのものを根底から壊そうとしているかのように見えます。
それでもmuricaの人達にとっては、エリートに対する反感からか、危機感よりエリートを痛めつけることで溜飲が下がるだけなのかもしれないですが・・・。
結果、近い将来、murica自身が困ることになり、プーチンが大喜びしそうです。
ところで、私が観てきたアメリカ映画は、むしろmuricaのアメリカを批判するようなものが昔から多かったような気がします。
無茶苦茶古い映画ではビンセント・ミネリ監督、デボラ・カー主演の「お茶と同情」とか。
高校生の頃の映画では「イージーライダー」とか、当時のニューシネマと呼ばれる映画はほとんどそうだったような。
比較的最近のものでは「グリーンブック」とか。
そういうのって私の映画の趣味が反映されていて、実際のアメリカ映画にはmurica好みのものの方が多分多いのでしょうけど。
拮抗する勢力は昔からあったけれど、今はトランプ大統領のアメリカ=muricaが勝っているというところでしょうか。
それにしてもトランプ大統領の言っていること、やっていることは想像の斜め上というか極端で、彼自身がフェイクニュースの世界を生きているのではないかと思えます。
実際、ロシアが流すフェイクニュースを誰よりも信じているみたいだし。(あるいは人がそういうフェイクニュースを信じていると思い込んでいるのか)
あと15年もすれば「史上まれに見る酷いアメリカ大統領」と歴史的にも評価が下されそうです。(いやもう既にそういう評価なのかも)
もちろん、muricaのアメリカなどといって、日本人が笑っていられません。
男子新体操だって日本人でもその存在を知らない人が大半です。
いつだったかYouTubeでテレビの地方局のスポーツニュースを見たのですが、男子新体操が行われておらず一人の選手もいない県で、初めて男子新体操の選手が現れたというニュースでした。
その時、その番組のご意見番的にコメントする年寄り男性の、苛立ちと侮蔑に満ちた態度に私は少なからずショックを受けました。
彼は早くその話題を終わらせたくて必死の様子でした。
多分、彼は男子新体操がどういうものか全く知らないまま「男が新体操なんぞするのか」という気持ちが出てしまったのだと思います。
実は最近も、そういう年寄り男性は意外といると知りました。
murica的な人は日本にもいるし、日本もまた安泰からほど遠いと思い知るべきなのでしょう。
世界人口だってそんなにいないし、アメリカの人口って3億ちょっとなので。
だから
ジェンダーについて、アメリカ人は終わってる議論だとしてるのに、muricaは男と女の二つのジェンダーしかなくそのクロスオーバーはないっていう論調。彼らには男子が新体操なんてありえないことだと思う(こんなに美しいのにね)。
っていう意味かと思います。
日本も決して他人事ではないです、選択的なのに夫婦別姓を必至で認めないとして、別姓で政治家やってる女性議員が通称でいいじゃないかと人に権利に口出しする、何さま?という意味ではみんなプチトランプですもん。
29兆と2億9千万では違いすぎるようにも思うのですが。
アメリカ人て数字が苦手そうですけど(笑)
前の記事のきっかけとなった書物、ジュディス・バトラーの「ジェンダートラブル フェミニズムとアイデンティティーの攪乱」では生物学的にも性差なんて曖昧なもんだという論調で、ますます意味不明でした。
でもまあアメリカのことはさておき、日本が問題。
アメリカの場合、トランプ大統領の再選は行き過ぎた多様性政策の反動という意味があるのかもしれないけど、日本は反動といえるほどのこともなく、ただひたすら後退していってます。
若い人は自分たちのことなんだから次の選挙ではちゃんと選挙に行って、プチトランプを落としてほしいです。
muricaという言葉、初めて知りました。
良い言葉ではないのですね。
トランプがこのひと月で繰り出したあれやこれやに度肝を抜かれますが、
私は話半分に聞いててちょうどと。
だんだん免疫がついてきました(笑)
ジェンダーの問題は保守的な層には抵抗感が大きいのではないでしょうか。
保守的でなくても、理屈と感情がなかなか折り合わないのです。
頭ではわかってるんだけどね~と。
日本で別姓に反対している人なんかはそれこそ想像の埒外で考えたこともない話でしょう。