緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

天満天神繫昌亭へ行く

2021年12月18日 | お出かけ
シニアの学校の総合文化科の遠足で繁昌亭に行ってきました。
繁昌亭、南森町にあるので遠足というより近足ですね。
この日はカメラを持っていなかったので写真はスマホでちょっとピンボケに撮っています。

1時半開場、2時開演なので、同じ班の人達と一緒にランチしようということになりました。
南森町には鯖料理専門店があるというので、その店に行きました。⇒ここ
このお店、日本全国にあるみたいです。

予約した人がコースを注文していて、鯖尽くしのお料理をいただきました。

内容は、
 ・さばのお造り
 ・さばの塩焼き
 ・さばの南蛮漬け
 ・さばの海賊揚げ
 ・鯖節のやっこ
 ・和風ポテトサバダ
 ・名物とろさば胡麻
 ・さばの醤油干し

私的に、この中でも一番美味しかったのは鯖の塩焼きでした。(我ながら平凡!!)
私、鯖は嫌いじゃないですし、美味しかったのですが、1カ月は鯖はいただきたくない気分になりました。
コースではない、軽い定食か丼もあり、そっちの方が良かったかも。


ランチを終えて繫昌亭前まで行きましたが、まだ誰も来てません。
開場まで時間があったので、繁昌亭の隣の大阪天満宮を皆でブラブラ。

天満宮です。


開場時間になると若い男の子が太鼓を叩いて知らせます。

この太鼓の音がいかにもやる気なしで、一緒に行った班の人が「もっと気合入れてほしいわー」と言ってました。
ちょっと眠くなる音だったんです。
寄席って、あんな感じなんでしょうか。

場内です。

席は一席ごとに空席にしてました。

この日は歳末恒例女流ウィークとかで、女性の芸人さんばかり。
おまけに大阪落語祭参加公演のため、前売・当日共 1,000円でした。
演目は落語が大半で、あと手品と女道楽で7人でした。

ところで私はこの日初めて“女道楽”という演芸があることを知りました。
女道楽と言えば、私は男性の女遊びという意味しか知らなかったのですが、そういう名の演芸があったのです。⇒ここ

というか今もたった一人、女道楽の芸人さんがいて、その日、出てました。
内海英華さん、都都逸うたいながら三味線を弾かれる美しい人でした。
我ながら、知らなかったことって、沢山あるもんだと思います。

その日のトリは露の都さん。その前が桂あやめさん。
前座クラスの人と比べ、落語の巧さ、面白さはダントツでした。

翌日、茶道の先生のところで繁昌亭に行った話をすると、先生も繫昌亭に良く行くそうで「寄席の落語はテレビでは出来んような話をするやろ」と言いました。
それ聞いて私もやはりと思いました。
確かに内心『いいんかいな』と思うような、テレビでは放映できないし、子供にも聞かせられない話してました。

生の演芸の面白さ、でした。


茶道仲間と「畠山記念館の名品展」へ

2021年11月21日 | お出かけ
今、京都国立博物館で「畠山記念館の名品展」が開催されています。
東京・白金台にある畠山記念館が現在改築工事中で、そこの収蔵品の関西で初めての展覧会だそうです。

テーマは「能楽から茶の湯、そして琳派」で、私は興味津々。詳しくはココ
茶道仲間と誘い合って京都までお出掛けしました。


展覧会は新しい建物の平成知新館の方で開催されていました。
古い建物はそれなりに由緒ありげです。
下の写真は旧館の方。


これは平成知新館の内部から撮った風景。


建物に沿って池もありました。京都タワーも見えます。


中は撮影禁止です。
11時に入って、2時間ほどかかって見終えました。
見応えあり過ぎてグッタリ。

行く前は博物館だけでなく、近くの河井寛次郎記念館にも行こうと言い合っていたのですが、すでに芸術品を鑑賞する心身のキャパシティが限界状態。

とにかくランチが食べたいということで歩いていると、卸と小売りを兼ねた茶道具専門店があり、ちょっと覗こうと言うことになりましたが、見ると品物が豊富で安い!!
で、茶道会のお稽古で使う茶道具を買うことになり、茶筅やら茶杓やら、あーでもないこーでもないと言い合いながら購入。
さすが京都、面白いお店があるものだと密かに感心しました。

懐紙や袱紗を入れる数寄屋袋も安い!!
というわけで皆で物色&購入。
完全に関西のおばさんモードに入りました。

私はお稽古で西陣織の良い物を使っていて、もったいないと内心思っていたので交織の安物をお稽古用に購入しました。

これです。

こういうもののお稽古用は、要らなくなった帯を切って自分で作ればいいんですけどね。
作るの、めんどくさいんです (~_~;)

買い物が終わるともう2時。
何でも良いから食べたい気分。

展覧会に行く前に、京都に詳しい茶道の先生に博物館近くに手ごろな食事処がないか聞いていたのですが、あまりないような話しぶりでした。
あっても高いのです。

一つ、にゅう麵の美味しい店があるとも聞いていたのですが、店名が分からず、ネットで探しても分からず、諦めていました。
ところが、たまたま入った店が、どうやらそのお店だったらしいのです。

九条ネギを山盛り乗せたにゅう麵を食べました。


美味しいかどうかは私には微妙でしたが、他の人は美味しかったと言ってました。
九条ネギをたくさん食べたい人にはお勧めです。

そのお店、にゅう麵を食べ終わってもお茶やらお菓子を出してくれ、おしゃべりに花を咲かせることになりました。
その後はどこにも寄ることなく直帰。

お天気に恵まれましたが、たくさんの凄い美術品で少々疲れた一日でした。



京都 八坂神社と清水寺を歩く

2021年10月31日 | お出かけ
私が受講しているシニアの学校の総合文化科でのお出掛けで、京都に行ってきました。
今回の講座は「絵画から読み解く京都の寺社」で、八坂神社(祇園社)と清水寺が取り上げられました。
1回目は座学で先生の話を聞き、2回目は実際に京都を歩きながら先生のお話を伺いました。

先生は昔の絵地図などを多用されて話されるのですが、何を隠そう私は地図が読めない女。
あーだこーだと言われても頭の中の地図と一致しません。
ですから、ここで書くことはテキトーです。
あまり信用しないで下さい。

簡単にいってしまうと、江戸時代の中頃までの京都は鴨川から西側にしか一般の人は住んでいなかったらしいのです。
そして鴨川の河原というのが広大なものだったらしく、今の河原町は鴨川の河原だったみたいです。

八坂神社と清水寺は鴨川の東側にあり、一般の人達は橋を渡ってお詣りしていたとのことです。
昔は京都中央部の鴨川の東側一帯はほぼ全部、八坂神社の土地だったみたいです。
実質、田畑が広がっていたらしいです。

京都の南座です。

屋根の下のひさしの部分に二つの丸い物が立てられた場所があります。
矢倉(櫓)と言われるもので、官許の芝居小屋には必ず立てられるのだそうです。

南座も東側にありますが、昔はもっとたくさんの芝居小屋があったとか。
芝居小屋だけでなく、祇園の花街など遊ぶ所はその近くに一箇所にかためられて建てられたみたいです。
そういえば、役者のことを昔はと言いましたが、今では差別語に当たるということで放送禁止用語です。

受講生は阪急の四条河原町で集合し、四条大橋を渡って八坂神社へと歩きました。
あの辺りの道、私は若い頃に何度も歩いている筈なのですが、距離が伸びたような気がします。
単に私の足が弱ったというだけなんでしょうけど。

八坂神社です。

修学旅行生がワンサカいました。

先生の説明を聞きながらなので写真はスナップ写真だと思ってください。
本殿です。





八坂神社辺り、地形的には鴨川へと下る傾斜地で、決して住みよい場所ではなかったとか。
受講生は八坂神社の中を通り抜けて清水寺へと向かいました。

八坂の塔ですが、八坂神社の塔ではなく、別のお寺の塔です。


二年坂、産寧坂と、観光ルートです。





こんな坂、昔は何とも思わず上がっていったものですが、今では加齢やらコロナフレイルやらでヘロヘロになりました。
というわけでやっと清水寺に着きました。





清水寺は完全に山の中腹に建てられていますから絶景が多いです。





見えている塔は安産祈願の子安の塔です。

受講生はえっちらおっちら子安の塔まで歩きました。
清水寺は何度も行ったことがあったのですが、舞台だけ見て帰っていたので色々と初体験となりました。

子安の塔から望む清水の舞台です。


清水寺の語源となった音羽の瀧の水を飲む人達。
私は飲まなかったですが霊験あらたかだそうです。


途中に縁結びにご利益がある地主神社もありました。



清水寺と一口で言っても色んなものがあるのですが、それもお寺が存続して行く為の仕掛けの意味もあったとか。
そうやって参詣人を増やそうとしたわけです。

京都の神社仏閣はその時々の政権の権力者とせめぎ合って生き延びてきたのですが、とりわけ明治以降の神仏分離には打撃的な影響を受けたみたいです。
それまでの日本は神仏習合でしたので。

この日の京都、観光客は修学旅行生を中心に多かったです。
でもインバウンドの頃と比べると全然です。

今も歴史は続いているといった感の講座でした。


大阪市立美術館「聖徳太子」展に行く

2021年09月25日 | お出かけ
大阪市立美術館で、千四百年御聖忌記念特別展「聖徳太子 日出づる処の天子」が開かれていましたので行ってきました。

天王寺にある大阪市立美術館に行くには、私は県境を越える必要があります。
阪急電車に乗って県境を越えたのですが、私の前に一人分の席を開けて座っていたむさ苦しい感じのお爺さん2名。(他人同士です)
なぜか二人とも鼻出しマスクで、しかも痰の絡んだ咳払いをやたらする・・・。

内1名はクシャミまでしましたが、なぜかクシャミをする時に慌てた様子でマスクを外します。
2回クシャミをして2回ともマスクを外す・・・。
私、内心『席変わろっかなぁー』と思いましたが、私の席は凄い換気がされていて風が吹きまくり。
その内に梅田に着きました。

これだから外出は恐いんですよね。

JR環状線の天王寺の駅を降りて、てんしばの横を通って行きます。
てんしばです。


大阪市立美術館の表玄関を下から臨んだ所。


反対側には通天閣が見えます。

こうして見ると美術館は高台にあることが分かります。

階段を上って玄関です。



パンフレットです。
童子姿の聖徳太子。
岸田劉生の麗子像を連想してしまったのですが麗子像より恐い。

中は撮影禁止ですので写真はありません。

聖徳太子に関する展覧会は、千四百年御聖忌ということもあって、大阪市立美術館だけでなくあちこちで展覧会が開かれているみたいです。
大阪市立美術館では、聖徳太子の絵伝や宝物など、様々な展示物がありました。
すぐ近くには聖徳太子と縁の深い四天王寺もあり、四天王寺も主催者の一つとなっています。
(四天王寺、謡曲の大連吟でお世話になり、通常は入れない中まで入らせてもらったので親しみがあります。)

展示されているのは美術品として聖徳太子に関連するもの。
聖徳太子は超人的能力を持った人物として各時代の人々の想像力を刺激し、信仰の対象になった人です。
一方で、聖徳太子は実在しなかったと主張する人もいて・・・。

前期と後期に分けて、展示物の入れ替えもあるのですが、私が行ったのは前期です。
後期には少女マンガ家の山岸凉子作「日出処の天子」の展示もあるみたいです。(原画の展示か?)
山岸凉子の「日出処の天子」は傑作ですし、現代における太子の描かれた作品としての展示でしょうか。
ショップには「日出処の天子」のクリアファイルなども売られていました。

9月下旬とはいえ暑い日で、汗びっしょりになって帰りました。
暑いけれど、大阪方面に行くのは完全防備が必要かも。

雨の嵐山 福田美術館と嵯峨嵐山文華館に行く

2021年09月11日 | お出かけ
緊急事態宣言が延長されて、総合文化を学ぶ講座も9月いっぱい休校、ボンティアも休止となりました。
結果、ヒマ~~
ですが気候は涼しくなって出歩くことは可能です。
というわけで京都は嵐山、福田美術館と嵯峨嵐山文華館に県境を越え、行ってきました。

私、阪急阪神ホールディングスの株主ですので、年2回、株主回数乗車券が送られてくるんです。
利用しなければ損なわけで、それを利用して阪急で行きました。

あいにくとその日は雨でしたが、美術館に予約を入れ、入場料まで払っていましたので、いくら暇を持て余しているとはいえ、その日に行かないという選択はない。
一路、雨の嵐山へ。

福田美術館と嵯峨嵐山文華館で今面白い企画をやっていることはブロ友kebaさんのブログで知りました。
2館の共同開催で「京のファンタジスタ」という、伊藤若冲を中心にして、18世紀の京都で活躍した画家達の展示会です。
今年の正月にNHKで放映された正月時代劇「ライジング若冲」を考証した人が企画に絡んでいるらしいです。

見応えありました。
若冲の鶏を描いた屏風。


円山応挙


ちなみにこの2館、日本では珍しく展示物の写真撮影は、フラッシュを焚かない限りOKです。

私はどちらかというと長沢芦雪が贔屓かな。

芦雪の虎、味がありますね。




2枚目はレプリカです。

掛け軸の本紙の上下の裂地にも注目です。


最初に福田美術館に入り、出た頃、ちょうどお昼だったので近くの蕎麦屋で昼食。

座っている席から渡月橋が見えます。


昼からは嵯峨嵐山文華館へ。

ここの常設展は百人一首ヒストリーで百人一首のこと、誕生から現代の競技カルタまで、色々と知ることができます。





この美術館、2階が畳ギャラリーで畳を敷いた大広間なんです。
そこに若冲の作品も置いてあったのですが、たぶんそこで競技カルタをやるのかなと思いました(知らんけど)。

そこに展示されていた若冲のもう一つの鶏を描いた屏風。


これは当時の画家たちの相関図。

誰と誰が仲良かった、悪かったなんて、どうでもええやろと思いますが・・・。
作品鑑賞上必要なのか、それとも妄想して遊びたいのか。

嵐山、雨だったせいもあり、観光客は少なかったです。
行き帰りの阪急電車も余裕で座れました。

昼食の蕎麦は美味しかったのですが値段が高く、京都はコロナ前、インバウンドで大儲けしたけれど、コロナでチャラになったなと思わされました。

帰り、橋を渡って撮った渡月橋。


家に帰ってスマホの歩数計をチェックすると7807歩。
京都まで行ってもこの程度では運動不足は解消されようがないです。