緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

京都に行く

2021年07月28日 | お出かけ
私が習っている茶道の先生が人形作りを学ばれていて、そちらの教室の展示会があるとのこと。
茶道教室の仲間達と共に展示会を見に行ってきました。

場所は京都文化博物館のギャラリーでした。
テーマは“キッズオリンピック”

可愛い人形たちによる開会式の入場行進。

ちょっと密?

聖火台と観客達


有観客でした

これは柔道

他にも競技をしている人形が色々とありました。
コロナで展示会も1年延びてしまい、人形の数が増えたそうです。

別室に入ると普通の人形も展示されていました。



人形の顔は作った人に似ると言われています。

お話によると、日本人形の着物など実際の着物と全く同じに作られているとか。
帯も襦袢も腰巻までそうなのだそうで、それをきちんと着つけている。
なんか気の遠くなりそうな作業。

衣装は古い着物の生地で作られているそうですが生地集めも大変そうです。
でも作られた方は楽しそうに制作の苦労話をされていました。

展示会の見学の後は皆で文化博物館1階のレストラン&物産品街に行きランチと買い物。
これはその時買った甘酒。

試飲させてもらって購入、米と米麴だけで作られた甘酒で、まさに本物の味。
スーパーで売られている甘酒などとは全くの別物で、とても美味しいものです。

博物館を出て、博多帯の店がセールをしているということでそこへ繰り出しました。
セールといっても安くはない。
私はひたすら見学。
周囲の街並みを撮ったり。




その後は京都大丸に行き、皆でウィンドショッピング。
「見てるだけ~」です。
後は大丸内のカフェでお茶とお喋りして帰りました。

京都は暑かったけれど楽しい一日でした。

甲陽園、凸凹ハイキング

2021年05月14日 | お出かけ
GWに、我ながら無茶苦茶なハイキングに行ってきました。
友人が、たまには外を歩こうというので低山ハイキングに行くことにしました。
友人の希望は花が綺麗だという西宮市の北山緑化植物園。
西宮北口駅で待ち合わせて甲陽園駅までの電車の中、ちょっと気になっていたので「行き方知ってる?」と聞きました。
友人は私の質問に「だいたい分かる」とのこと。

私は西宮市の甲山周辺は何度も行ってるので地理はだいたい分かるのですが、北山緑化植物園には行ったことがありません。
せいぜいその近くまでです。
というのも、私の出歩く目的はバードウォッチングの場合が多いのです。
そして人間の為に綺麗に整備された植物園には野鳥は少ないからです。

それ以前に、自慢じゃないですけど私は方向音痴です。
どこか行く時は、いつもひたすら一緒に行く人の後についていきます。
一人で行く時は事前によく調べて行きます。
今回も北山緑化植物園のHPを見ていて、今はコロナで開園はしているけれどイベントその他は中止で、園内では食事もしてはいけないことは知ってました。
でも、食事は園の外でもできますから。

行き方は、友人が言いだしたのだから知っているだろうという希望的観測で出掛けました。
それが大きな間違いでした。
友人はうろ覚えだったのです。
普通、駅前にある近辺の地図の看板みたいなものもなし。

友人は駅から左の方向に登って行ったと言うのだけど自信なさそう。
実はそれが正しかったんです。
私はというと、なぜかツマガリのケーキの記憶に脳が支配されてしまいました。

甲陽園に本店がある洋菓子店ツマガリは、知る人ぞ知るお店。⇒ここ
作りたてにこだわるこのお店は、焼き菓子は本店を除けば大阪と神戸のデパートしか売ってないし、生菓子は本店でしか買えません。

私は過去に、北山辺りを歩いて甲陽園の駅まで降りてくる時に、何度かツマガリ本店の2階の喫茶店でケーキと珈琲をいただいた記憶があったのです。
いつも誰かと一緒でした。

とすると駅を出て右側のツマガリの方向に歩けばよいと単純に考えました。
それで、いつも行列のできているツマガリの前を通って行ったのですが、自分でもおかしいと気が付きました。
私の記憶では、北山からは急傾斜の住宅街の中を下って甲陽園駅についてました。
右というのは東になるのですが、北西に行かないと地理的に北山緑化植物園には行きつけない筈だったのです。
でもどこから北西に進めば良いのか分かりません。

正直、今でもあの辺りの地理は分かりません。
地図を見たって緑色に塗りつぶされているからです。

スマホは持っていましたが使い方が良く分からないし、そもそも日の光で画面が光って見えませんでした。
これは人に聞くしかないということになり、聞いたところ、やはりその道は甲山方面に行く大師道だったのです。
その道を通って北山緑化植物園に行くのは大変な遠回りだということでした。

そこで予定変更。
北山緑化植物園はやめて、そこから近い甲山森林公園に行こうということになりました。
で、てくてくと歩いてると、友人がいません。

立ち止まって後ろを見ると遠くに友人がついてきていました。
聞けば坂道が辛いとのこと。
私は決して速足で歩いていたわけではないのです。
友人はハイキングなんて土台無理だったのです。

こういう書き方は友人に悪いのですが、ヨボヨボのお婆さんと歩いている感じ。
友人自身もショックを受けていて「こんなに歩けないなんて思わなかった」としきりに言っていました。

友人は私より10歳くらい年上なのですが、いわゆるコロナフレイル状態だったみたいです。
その日、仮に甲陽園の駅から正しく左の道を行ったとしても、たぶん北山緑化植物園には行き着けなかったと思います。
左の道を通っても北山緑化植物園には登り道を歩いて40分かかるからです。

じゃあバスに乗ろうということになりました。
バスに乗ったらハイキングにならないし、甲山森林公園の入り口駅までバスで一駅なのですが・・・。

幸いバスの待ち時間は大したことありませんでした。
同じようにバス待ちしているシニア男性に「どこに行かれるのですか」と聞きました。
(私も関西のおばちゃんの端くれなので誰とでも話をする)
すると駅の方という答え。
私は『えっ?』と思いましたが、駅は駅でも阪神の西宮駅だったのです。
バスは北山をぐるっと回って阪神の西宮駅まで行くのでした。

その人は地元の住人だそうで「この辺りは西宮のチベットと言われている」などという話をしました。
確かに、私の記憶でも急な傾斜地に立派な住宅が立ち並んでいて、山岳地帯の高級住宅街のような趣。
自然環境は申し分なくても、齢をとったら住みたくない街です。

というわけでやっと甲山森林公園に着きました。
いい時間になっていたのでお弁当を食べ、その辺りを散策。

みくるま池です。

池の中には色鮮やかな鯉。

辺りの森はまさに5月のそれ。

木陰に入るとツツジが咲いていました。

木陰の道。

友人は山道も登り道も、もう歩きたくないようで、では阪急の仁川駅まで下りの道をゆっくり歩いて帰ろうということになりました。
これが大きな間違いでした。

甲山森林公園を出て、仁川に向かって歩き出したのですが、仁川の街に降りるには、どこかで何度か階段を使わざるを得なかったのです。
ところが友人は階段を降りるのが恐いと言いだしたのです。
ええっー?!!』 って感じでしたが仕方ないです。
スロープの道を探しましたが、人に聞いてもそんなものはありません。

訳の分からない道を闇雲に歩いてもらちが明かないので、階段の手すりをしっかり持ってゆっくり降りようと説得。
友人も仕方なく階段で降りました。

というわけで、やっと仁川の街へ。
人の家の薔薇の垣根。

立派に咲かせている薔薇の花。

仁川の川沿い、やっと風見鶏の家が見えました。

風見鶏は二つあります。


仁川の駅に着いて無事に帰ったと言いたいところですが、もう一波乱。
私の当初の心づもりでは北山緑化植物園に行ってその後は甲陽園の駅まで戻り、ツマガリでケーキを食べる筈、でした。
ですが甲陽園と異なり、仁川周辺は洒落たお店もなく、西宮北口でお茶して帰ろうということになりました。

西宮北口駅構内にはタリーズコーヒーがあります。
でも店の中はコロナにかかっていてもおかしくないような若い人達で一杯。
『この店はヤバい』と、店の前で棒立ちになっている私を尻目に、友人はさっさと席を確保。
なんでこんな時だけ動作が素早いんや⇐私の心の声

仕方なく私も入り、ストローでホットコーヒーを飲みました。
が、それだけでは終わらず、マスクをしていない外人の男性が入ってきたのです。
私は内心『ギャー』状態。
その外人、日本人の女性(たぶん)連れでしたが、その女性も店の人もマスクするように注意するでもなく、女性とお喋りを始めました。

あの時、感染したなら、もうそろそろ発症しそうな時期です。
あの日の教訓は、ハイキングはハイキングできる人と一緒に行かないといけないこと。
それとコロナフレイルには気をつけましょう、です。

池田を散策 オムライス半強制お持ち帰り

2021年03月07日 | お出かけ
茶道の先生宅にお稽古に行ったら、そこで先輩が逸翁美術館の開催中の展示物が良かったという話をしてました。
で、翌日、雨でしたが、私もさっそく観に行きました。

逸翁というのは阪急の創始者、小林一三の雅号です。
彼が集めた茶道具を所蔵し、展示しているのが池田市にある逸翁美術館。
今回のテーマは「花のある茶道具」でした。

同じ阪急ですが神戸線にある我が町から十三まで行き、そこで宝塚線に乗り換えて池田で降りました。
池田で降りたのは何十年ぶり?
池田には「かき峰」という、稀に見る美味しい牡蛎料理専門店があり、そこに行って以来です。

逸翁美術館には池田の駅を出てから北へと上がっていきます。
自転車なら電動自転車でないと移動できないと思えるほど坂道が多い町です。

この白い塀の内側は池田文庫です。

池田文庫には主に演劇や民俗芸能に関する書籍・雑誌が所蔵されています。詳しくはここ
今回はここには入りませんでした。
逸翁美術館、池田文庫、小林一三記念館は近接してあるのですが、三つとも阪急文化財団によって運営されています。

逸翁美術館です。


ウィークデーで、その上雨にもかかわらず、来館者は途切れずありました。
館内は撮影禁止です。
掛け軸も含め、春らしく花を取り入れた茶道具の数々が展示されていました。
茶室もあり、コロナでなければ美術館所蔵の茶道具での呈茶もあるのですが、今は閉鎖中でした。
こじんまりとしていましたが、雰囲気のよい美術館でした。

その後は小林一三記念館へ。
坂道を曲がりながら登っていきました。

ここです。

ここは元は雅俗山荘と名付けられた小林一三の自宅でした。
今は記念館と高級フレンチレストラン「雅俗山荘」になっています。

お庭も広くて綺麗。

茶室もあります。
池田文庫にも茶室があるとのことですが、小林一三は茶の湯をことのほか愛していたようです。

小林一三の書斎だった部屋。

和洋折衷の広大な住宅でした。

記念館では主に小林一三の業績に触れられていました。
よく知られていることですが、大阪・神戸間、大阪・宝塚間に電車を走らせ、田んぼや畑だった沿線を宅地開発し、サラリーマンが購入できるように分譲地をローンで売り出し・・・。
電車の利用客を増やす為に動物園から始まって、野球場、宝塚歌劇、ターミナル百貨店などを作り、要するに電車を走らせて街と文化を作るという私鉄経営のビジネスモデルを彼は創出したわけです。
(私もそうやってできた住宅街の延長に住んでます!)

家にあった「百の手すさび ‐近代の茶杓と数寄者往来‐」という本によると、当時の財界人は関西関東を問わず、私生活では茶の湯に夢中になる人が多かったようです。
関西にいた小林一三もその一人だったみたいです。
彼のコレクションは、作者の有名無名にこだわらず、自分の美意識で集められていたようでした。

茶道はなぜか近現代では若い女性の嫁入り道具の一つで「おしとやか」なものに思われがちですが、そもそも戦国武将が夢中になり、近代でも大物財界人が夢中になってその文化を支えたもの。
ちょっと世間一般のイメージと違うのかも。
確かに、金持ちでなければ良い道具は集められませんけど。
でも近代の数寄者(茶の湯好き)は、ホントにお茶を楽しんでいたみたいです。

というわけで雨の中、小林一三が作った池田の街を楽しみましたが、時間を見ると1時30分近く、お腹空き過ぎ~。
駅まで行けば食べるところもあるみたいでしたが、とにかく早く食べたくて途中にあったカウンター席だけの小さな食堂に入りました。
メニューを見てオムライスを注文。

先客の男性もオムライスを注文していたらしく、出来上がったオムライスをチラッと見ると、ギョギョ、物凄いデカ盛り。
別のものを注文していた先客の料理も見ればギョギョギョ、物凄いデカ盛り。
肉体労働する男性相手の、ボリュームで勝負する、そういうお店だったのか。
値段はオムライスが650円で、デカ盛りだけど高くないです。

出来上がった私のオムライスもデカ盛り。
食べようとするとマスター曰く「余ったら持って帰ってね」
せっかくだからスマホで写真を撮りましたが家に帰って見たら写っていませんでした。
どこへ行ったオムライスの写真。

食べてる最中も、マスターはしきりと余ったら持って帰るように言うのです。
ついに『それって強制?』って思いました。
どうせ食べきれないと思われたみたいです。
オムライスは味は普通、チキンは沢山入ってました。

でもオムライスって、結局トマトケチャップで味付けしたごはんがメーンです。
とても食べきれるものじゃなく、持って帰ることに。
持って帰る容器もお店がタダで提供してくれ、コーヒーもサービスで一杯ついてました。
電車で帰ると聞くとマスターは紙の手提げ袋まで用意してくれました。
マスターの趣味か、店じゅう外国の映画俳優の写真を貼りまくった、凄い庶民的なお店でした。

その日はそのまま帰ったのですが、池田にはカップヌードルミュージアムもあり、そっちの方が有名かもしれません。
その日の夕飯は、もちろん余ったオムライスと自分で作ったおかずになりました。


しだれ梅を見に

2021年02月26日 | お出かけ
「庭のしだれ梅が咲いたので見に来て」と友人に誘われ、川西市にある友人の家まで行きました。

川西市は兵庫県ですが、同じ兵庫県の私の家から行くには阪急電車で大阪府の十三まで行き、そこで宝塚線に乗り換えて川西能勢口駅まで行き、そこから能勢電鉄に乗って行かなくてはなりません。
つまり一旦は県境をまたいで、もう一度戻ることになります。

能勢電鉄はローカルな電鉄会社ですから関西人しか知らないかもしれません。
絹延橋、滝山、鶯の森、鼓滝(つづみがたき)と、床しい駅名が続きます。
正直、今私が住んでいる所より住みたい地域です。

友人は認知症になった母親を介護するために実家で二人で暮らしていましたが、結局母親は施設に入所しました。
その後、コロナ禍で夫のいる家に帰りそびれ、そのまま一人で川西市の実家に住んでいるのです。

駅で待っていてくれた友人と、まずは近くの料亭の個室でランチ。
その後、友人の家に行きました。

庭のしだれ梅です。家の中から撮りました。

近くから撮った写真。

この日、私は着物で行きました。
友人は着物が好きなのです。

コートを脱ぐとこんな感じの着物。安くで手に入れたカジュアルな紬です。
朝、自宅で撮りました。


友人の家の庭は手ごろな大きさで、樹木を数本植えているだけ。
我が家の庭も、あのくらいの広さなら随分楽だろうなと思いました。
茶道の先生の庭もこじんまりとしていて、隣の家の芝生は青いというか、他所の家の庭は狭くて羨ましいです。

この日会った友人は、最近キリスト教に入信しています。
私より一つ年上なのですが、なぜ60代も半ばを過ぎて受洗しようと思ったのか、分かりません。
ただ以前、彼女が感激した様子でキリスト教の教えについて語るのを聞いていて、ふと『その教え、浄土真宗と近いのではないの』と思ったことがあります。

その時に思い出したのですが、ある著名なクリスチャンの医師が、やはりキリスト教の教えについて話していると、その人の友人から「浄土真宗でも同じことを言っている」と言われたらしいのです。
でもその医師は、確かにそうかもしれないが、自分には救い主が阿弥陀仏という漠とした存在ではなく、イエスキリストという生身の人間だったことに意味がある、と思ったのだそうです。

正直、私はキリスト教も、浄土真宗も、よく知りません。
それこそ漠とした、知識ともいえない知識があるだけで、言葉で詳しく説明せよと言われても口をモゴモゴさせるだけしかできません。

でもまあ一応、家は浄土真宗で、仕事をやめた時点で帰敬式(おかみそり)という、以後は念仏者として自覚を持って生きる儀式を東本願寺で受け、法名をいただいています。
それが、現役生活を終えた私にとっての終活の第一歩だったわけです。
友人の受洗も、新たな一歩であり、一つのけじめだったのかもしれません。

この日は友人はキリスト教の話はせず、実家で自分がやった断捨離がどれほど凄かったか熱弁していました。
私達の世代は、親が溜め込んだ物を片づけるのに、異様にエネルギーを使う世代みたいです。
私も母の死後、大量の物を処分しています。
話を聞いていて、高価な物をゴミとして処分したことに、もったいないという思いもあるのですが、そうまで物に執着せざるを得なかった親達の心の在り様に何とも言えない思いを持ちました。

以前行っていた同じ年代の美容院の美容師さんも同じような話をしていて、母親が亡くなって片づけをしていたら、フライパンだけでも新品の物が10個ほど出てきたと言っていました。
友人も、母親が買った未使用の食器類が山ほどあったそうです。

親のそういうのを見てしまうと、何やら自分は物に執着したくないという宗教的境地(!?)への憧憬も、少なくとも私は生まれてしまいます。
てなことを言いながら私の物欲も相当なものなんですが(笑)

この日はとても寒い日で、家に帰って着物を脱ぐと静電気でバチバチでした。
着物は絹の筈なのですが、静電気対策を考えねばと思ってしまいました。



お外でご飯

2021年02月22日 | お出かけ
久しぶりに友達とお外でご飯を食べに行きました。

場所は大阪梅田のサウスゲートビル内の「うを佐」
食べたのは税込み2200円の“はなかご”です。

堪能しました。

その後は阪急グランドビル内の「英国屋」へ。
「英国屋」名物のシフォンケーキと紅茶をいただきながらお喋り三昧。
家族のこと、新年度からのお互いの計画などあれこれ。

窓の外はJR大阪駅近辺のビル群。


ちょっと食べ過ぎたかなと思いましたが、たまには良いでしょう。


今日、去年指摘されていた亜鉛と鉄分の欠乏を治す食生活の改善が上手く行っているかどうか、検査結果を聞きに病院に行きました。

努力のかいあって、数値は相当に上がっていましたが、まだ標準にはいたっていませんでした。
もう一押し、蛋白質と緑黄色野菜、そして水分と医者に言われました。