吉野の桜が空振りだった翌々日、去年も行った背割堤に写真教室の仲間と行きました。⇒去年の記事はここ
当初、背割堤は去年の台風の被害が大きいとのことで、行く予定ではなかったのです。
ところが、同じ八幡市の松花堂庭園でつばき展が開催されており、また松花堂の近くの正法寺というお寺でも庭園が特別公開されているということで行くことになったのです。
やはり背割堤の桜の被害は酷かったです。
生々しく伐られた切り株です。
残っている桜も傷んだ枝を伐採したためにスカスカ。

一本一本、台風で傷んだ枝を伐採し、手当したみたいですが、寂しい眺めとなっています。
それでも名高い背割桜のこと。人出は多かったです。
去年は見なかった結婚式の前撮りのカップルを何組も見ました。

この日は冷たい風が吹いていて、花嫁さん達は寒かったと思います。
背割堤は二つの大きな河の真ん中にある堤だから、いつも風が抜ける場所なのです。
去年の台風では、どれほど強い風が吹いたことか・・。
仲間とお弁当を食べた後、背割堤を後にして、八幡市の駅からタクシーで松花堂庭園に行きました。
松花堂というのは、石清水八幡宮の社僧だった松花堂昭乗という人の草庵の名前であるとのことです。
もともと石清水八幡宮のある男山にあったものを明治期の神仏分離政策の流れで今の場所に移築されたそうです。
松花堂昭乗は江戸時代初期を代表する文化人の一人で、茶の湯・書・絵画を能くしたとのことです。
松花堂については、気になる松花堂弁当との関連も含め、詳しいことはここを見て下さい。
私達の目的は松花堂庭園で催されていた「つばき展」でした。
松花堂庭園は22000㎡あり、40種を越える竹や300本を越える椿、それ以外にも桜や梅、馬酔木などの木が植えられています。
つばき展の為に、椿を使った様々に工夫した拵えものがありました。
ただ申し訳ないのですが、私にはそういうものより、普通の庭園の景色の方が良くみえました。










この日の最後の目的地、正法寺の特別公開は午後3時で終了ということで、とても間に合いそうになく諦めていました。
ところが、寺の外からの景色も良いとかで、歩いて行くことになりました。
そこでは桜と寺のコラボを楽しむことができました。
正法寺です。



正法寺からはバスも来ず、タクシーも拾えず、駅まで歩いて帰りました。
疲れていたせいか、駅前で入った店の名物、走井餅と桜餅のセットがとても美味しく感じられました。
写真仲間と「2万歩は歩いた」と言い合って帰った一日でした。
当初、背割堤は去年の台風の被害が大きいとのことで、行く予定ではなかったのです。
ところが、同じ八幡市の松花堂庭園でつばき展が開催されており、また松花堂の近くの正法寺というお寺でも庭園が特別公開されているということで行くことになったのです。
やはり背割堤の桜の被害は酷かったです。
生々しく伐られた切り株です。

残っている桜も傷んだ枝を伐採したためにスカスカ。


一本一本、台風で傷んだ枝を伐採し、手当したみたいですが、寂しい眺めとなっています。
それでも名高い背割桜のこと。人出は多かったです。
去年は見なかった結婚式の前撮りのカップルを何組も見ました。



背割堤は二つの大きな河の真ん中にある堤だから、いつも風が抜ける場所なのです。
去年の台風では、どれほど強い風が吹いたことか・・。
仲間とお弁当を食べた後、背割堤を後にして、八幡市の駅からタクシーで松花堂庭園に行きました。
松花堂というのは、石清水八幡宮の社僧だった松花堂昭乗という人の草庵の名前であるとのことです。
もともと石清水八幡宮のある男山にあったものを明治期の神仏分離政策の流れで今の場所に移築されたそうです。
松花堂昭乗は江戸時代初期を代表する文化人の一人で、茶の湯・書・絵画を能くしたとのことです。
松花堂については、気になる松花堂弁当との関連も含め、詳しいことはここを見て下さい。
私達の目的は松花堂庭園で催されていた「つばき展」でした。
松花堂庭園は22000㎡あり、40種を越える竹や300本を越える椿、それ以外にも桜や梅、馬酔木などの木が植えられています。
つばき展の為に、椿を使った様々に工夫した拵えものがありました。
ただ申し訳ないのですが、私にはそういうものより、普通の庭園の景色の方が良くみえました。











この日の最後の目的地、正法寺の特別公開は午後3時で終了ということで、とても間に合いそうになく諦めていました。
ところが、寺の外からの景色も良いとかで、歩いて行くことになりました。
そこでは桜と寺のコラボを楽しむことができました。
正法寺です。




正法寺からはバスも来ず、タクシーも拾えず、駅まで歩いて帰りました。
疲れていたせいか、駅前で入った店の名物、走井餅と桜餅のセットがとても美味しく感じられました。
写真仲間と「2万歩は歩いた」と言い合って帰った一日でした。