19日から他府県に行っても良いと言われていたからではなく、たまたま友人と19日に梅田でランチの約束がありました。
3か月ぶりくらいで県境をまたぎ、大阪は梅田の大阪ステーションシティサウスゲートビルの「うを佐」へ。
花籠御膳です。
一番最初にお刺身を食べてしまった後、天麩羅やら茶碗蒸しやら色々出てきたので、お刺身は写ってない写真です。
お客さんは普段に比べてやはり少ない。
換気をよくするためか羽の無い扇風機を窓際にいくつか置いて回していました。
横後ろにあったので、顔が風にあたってパリパリになりました。
あれって、単に空気をかき回しているだけでは?と思ったのですが、深いことは考えないことにしました。
いつもならシニア女性のグループ客が多いのですが、この日は一組だけで、なぜか女性の一人客が目につきました。
満を持して食べにきたという感じ(笑)
友人はしきりと「こんなお店に一人で食べに来れる?」と言ってましたが、少なくとも私は平気。
友人、自意識過剰な人なんです。
私も含めお客さん達、久しぶりに美味しい物を食べて満足そうでした。
聞こえてくる店員さんとのおしゃべりで分かります。
食後は阪急グランドビルの「キーフェル」で紅茶とケーキとおしゃべり。
やはりお客は少ない目。
席も離れてでしか座れないようにしていました。
窓の外の景色。
雨の日でした。
この調子でボツボツと、お出掛けの機会を増やしたいです。
この掛け軸は茶道の先生の床の間に掛けられていたもの。
禅語で「山是山水是水」(やまはこれやまみずはこれみず)です。
意味は、禅語ですから正しい解釈というのは無いそうですが、山は山でその本分を全うし、水は水でその本分を全うしている。そのようにして自然は調和し、バランスをとっている。
人の事は気にせず自分らしくあれ、みたいなことでしょうか。
自分の本分を全うするって、難しいですね。
なんたって日本は同調圧力社会ですから。
自分の過去を振り返っても、果たして本当にそれで正しかったかと考えてしまうことが多いです。
私には「山是山水是水」は迷いを払い、力を与えてくれる言葉のように感じられます。
3か月ぶりくらいで県境をまたぎ、大阪は梅田の大阪ステーションシティサウスゲートビルの「うを佐」へ。
花籠御膳です。
一番最初にお刺身を食べてしまった後、天麩羅やら茶碗蒸しやら色々出てきたので、お刺身は写ってない写真です。
お客さんは普段に比べてやはり少ない。
換気をよくするためか羽の無い扇風機を窓際にいくつか置いて回していました。
横後ろにあったので、顔が風にあたってパリパリになりました。
あれって、単に空気をかき回しているだけでは?と思ったのですが、深いことは考えないことにしました。
いつもならシニア女性のグループ客が多いのですが、この日は一組だけで、なぜか女性の一人客が目につきました。
満を持して食べにきたという感じ(笑)
友人はしきりと「こんなお店に一人で食べに来れる?」と言ってましたが、少なくとも私は平気。
友人、自意識過剰な人なんです。
私も含めお客さん達、久しぶりに美味しい物を食べて満足そうでした。
聞こえてくる店員さんとのおしゃべりで分かります。
食後は阪急グランドビルの「キーフェル」で紅茶とケーキとおしゃべり。
やはりお客は少ない目。
席も離れてでしか座れないようにしていました。
窓の外の景色。
雨の日でした。
この調子でボツボツと、お出掛けの機会を増やしたいです。
この掛け軸は茶道の先生の床の間に掛けられていたもの。
禅語で「山是山水是水」(やまはこれやまみずはこれみず)です。
意味は、禅語ですから正しい解釈というのは無いそうですが、山は山でその本分を全うし、水は水でその本分を全うしている。そのようにして自然は調和し、バランスをとっている。
人の事は気にせず自分らしくあれ、みたいなことでしょうか。
自分の本分を全うするって、難しいですね。
なんたって日本は同調圧力社会ですから。
自分の過去を振り返っても、果たして本当にそれで正しかったかと考えてしまうことが多いです。
私には「山是山水是水」は迷いを払い、力を与えてくれる言葉のように感じられます。