信州に旅行に行っていて、帰ってきたらミーちゃんの目の色が変わっていました。
犬猫用角膜修復剤と抗生物質が効いたみたい。
おかげでハンサム猫になりました。
帰宅した翌日、梅田の阪急百貨店へ、友人と約束していた「白洲正子ときもの展」を見に行きました。
写真のチケットの下の敷物は私が織機で織ったもの。
機織は「昔の暮らし体験」の研修の一環です。
(ボランティア仲間と「織機、家にも一台欲しいね」などと言い合うのですが、織機を買ったら自分の寝る場所がなくなる・・・。)
友人とは11時半に待ち合わせして、会うなり「1時半までしか時間がない」と言われました。
一人暮らしのお母さんがデイサービスから帰ってくるので出迎えなくてはならないとのこと。
友人は毎日片道1時間ほどかけて、お母さんの家に通って面倒を見ています。
でもデイサービスの見送りや出迎えを家族がしなくてはならないなんて『?』です。
私の母もデイには行っていましたが、そんなこと言われたこともなかったですから。
当然、家族の立ち合いなしでデイに行ってました。
もし見送りと出迎えに家族が立ち会わねばならないのなら、一人暮らしの高齢者や、家族が働いている高齢者はデイは利用できません。
でも実際にはそういう高齢者もデイを利用しています。
ちょっと話をしましたが要領をえません。友人にとっては当然のことのようでした。
とにかく2時間しか時間がないので、大急ぎでランチして見に行きました。
「白洲正子ときもの展」着物を着て行った人は無料で、私も着物を着て行くつもりだったのですが、あいにくその日は雨。洋服で出かけました。
白洲正子にとっては着物はあくまで日常のもので、着やすいことが第一のようでした。
時代からいっても、日常着だったのでしょうね。
帯も名古屋帯や袋帯ではなく細帯(半幅帯)を推奨しています。
但し、当然ながら趣味は良い。
今のように、着物が礼装もしくは高級なおしゃれ着になってしまった時代とは感覚が違います。
着物を着ていた来場者も結構いましたが、見るからに高そうな着物ばかり。
実は私、白洲正子の趣旨に合わせて、普段着物が欲しくて誂えた木綿のを着て行くつもりだったのです。
結局、着なかったけど。
着物だけではなく、今は趣味的なことは何もかも高級志向になっています。
本当に問われているのは美意識のようです。
アクセサリーもありましたが、説明の白洲正子の文を読むと、自分は宝石も好きだが手が出ない。だからガラス玉で遊んでいる、みたいなことが書かれていました。
白洲正子は能の世界でも知られた人でした。
彼女は華族の出でしたが、能もまた普通のお稽古事という意識だったようです。
それは私も若い頃に謡曲を習ったことがあり、何となく分かります。
私が習いに行った謡曲の教室でも、来ている人は大家の奥様ではなく、どちらかというと庶民階級のおばちゃん的な人達だったからです。
去年、通っていたシニア大学の歴史の講座でも、大阪辺りでは、裕福な家でなくても謡曲を習っていた人達は江戸時代からたくさんいたということで、決して一部の人達のものではなかったのです。
(また謡曲の先生も言っていましたが、そういう庶民的な人達の方が格段に上手いのです。)
私が行っていた謡曲の教室では、1年に1回、こじんまりとした発表会がありましたが、先生は「衣装の発表会ではない、謡の発表会だ」と言って、他所の教室ではありがちだった着物の競い合い(?)みたいなことは許しませんでした。
だから白洲正子の感覚は分かるのです。
とは言え、展示されていた着物や帯は、作られた当時はどうだか知りませんが、今、手に入れようと思えば、とても手の出る代物ではないと思いました。
今の時代には今の時代の、お金では買えない美意識の発揮の仕方があるのだと思います。
白洲正子から学ぶものとは、何に対してもぶれない、そういう精神の在りかたみたいです。
犬猫用角膜修復剤と抗生物質が効いたみたい。
おかげでハンサム猫になりました。
帰宅した翌日、梅田の阪急百貨店へ、友人と約束していた「白洲正子ときもの展」を見に行きました。
写真のチケットの下の敷物は私が織機で織ったもの。
機織は「昔の暮らし体験」の研修の一環です。
(ボランティア仲間と「織機、家にも一台欲しいね」などと言い合うのですが、織機を買ったら自分の寝る場所がなくなる・・・。)
友人とは11時半に待ち合わせして、会うなり「1時半までしか時間がない」と言われました。
一人暮らしのお母さんがデイサービスから帰ってくるので出迎えなくてはならないとのこと。
友人は毎日片道1時間ほどかけて、お母さんの家に通って面倒を見ています。
でもデイサービスの見送りや出迎えを家族がしなくてはならないなんて『?』です。
私の母もデイには行っていましたが、そんなこと言われたこともなかったですから。
当然、家族の立ち合いなしでデイに行ってました。
もし見送りと出迎えに家族が立ち会わねばならないのなら、一人暮らしの高齢者や、家族が働いている高齢者はデイは利用できません。
でも実際にはそういう高齢者もデイを利用しています。
ちょっと話をしましたが要領をえません。友人にとっては当然のことのようでした。
とにかく2時間しか時間がないので、大急ぎでランチして見に行きました。
「白洲正子ときもの展」着物を着て行った人は無料で、私も着物を着て行くつもりだったのですが、あいにくその日は雨。洋服で出かけました。
白洲正子にとっては着物はあくまで日常のもので、着やすいことが第一のようでした。
時代からいっても、日常着だったのでしょうね。
帯も名古屋帯や袋帯ではなく細帯(半幅帯)を推奨しています。
但し、当然ながら趣味は良い。
今のように、着物が礼装もしくは高級なおしゃれ着になってしまった時代とは感覚が違います。
着物を着ていた来場者も結構いましたが、見るからに高そうな着物ばかり。
実は私、白洲正子の趣旨に合わせて、普段着物が欲しくて誂えた木綿のを着て行くつもりだったのです。
結局、着なかったけど。
着物だけではなく、今は趣味的なことは何もかも高級志向になっています。
本当に問われているのは美意識のようです。
アクセサリーもありましたが、説明の白洲正子の文を読むと、自分は宝石も好きだが手が出ない。だからガラス玉で遊んでいる、みたいなことが書かれていました。
白洲正子は能の世界でも知られた人でした。
彼女は華族の出でしたが、能もまた普通のお稽古事という意識だったようです。
それは私も若い頃に謡曲を習ったことがあり、何となく分かります。
私が習いに行った謡曲の教室でも、来ている人は大家の奥様ではなく、どちらかというと庶民階級のおばちゃん的な人達だったからです。
去年、通っていたシニア大学の歴史の講座でも、大阪辺りでは、裕福な家でなくても謡曲を習っていた人達は江戸時代からたくさんいたということで、決して一部の人達のものではなかったのです。
(また謡曲の先生も言っていましたが、そういう庶民的な人達の方が格段に上手いのです。)
私が行っていた謡曲の教室では、1年に1回、こじんまりとした発表会がありましたが、先生は「衣装の発表会ではない、謡の発表会だ」と言って、他所の教室ではありがちだった着物の競い合い(?)みたいなことは許しませんでした。
だから白洲正子の感覚は分かるのです。
とは言え、展示されていた着物や帯は、作られた当時はどうだか知りませんが、今、手に入れようと思えば、とても手の出る代物ではないと思いました。
今の時代には今の時代の、お金では買えない美意識の発揮の仕方があるのだと思います。
白洲正子から学ぶものとは、何に対してもぶれない、そういう精神の在りかたみたいです。
手織りの敷物はボランティアの研修の一環で先生の言う通りに織ったものだし、着物は着て行く場所がないし、謡曲は20代の頃習っていたものだし。(今60代(^-^; )
ここ数日はとにかく暑いので、着物は着る気なし。
涼しくなったらまた着ようかなと考えています。
手織りのマットに着物で外出そして謡・・・
私の知らない世界ばかりです。
今度着物姿を見せてくださいね!
ミーちゃん、ほぼ治っています。
敷物、先生の指示通りに織っただけのものです。
デザインとかも先生です。
さをり織りと言って、障がい者の方も織れる織機で織りました。
全然難しいものではないですよ。
展示してあった織物、素朴ながらも高雅なものが多かったですね。
私の敷物は先生に言われるままに織ったものです。
藍を使っていますけど。
ワンコちゃん、良くなりつつありますか。
良かったですね。
止めたらどうなるのか。
1か月したらお医者さんに連れてきてくださいと言われているのですが、また過呼吸おこされても・・。
思案してます。
大事をとって目薬は注していますが。
敷物、デザインはボランティアの先生で私は織っただけ。誰でもできる単純作業です。
機織で一番難しいのは織り始める前の機ごしらえという作業なのですが、それは人に任せっきり。
昔の暮らし体験では作品制作というより、人に伝える技術を身に着けることが目的です。
それが直ぐに忘れて自信なしです。(^-^;
白洲正子、もう7、8年前になるか、滋賀のミホミュージアムで大規模な白洲正子展がありました。
それを見に行っていました。
彼女の場合、着物だけでなく、仏像、骨董、能、といったあらゆるものへの向き合い方が同じ。
表面を真似しても仕方ない深い人ですよ。
本当に良かった❢❢
織機の作品素敵です。
帯に織っても素敵ですが根気がいりますね。
お母様の器用さとセンスの良さを
受け継がれて居られるように感じました。
みどりさんが作られた敷物すばらしいですね。色も柄も美しいです。うちのワンコも先週一時危なかったのですが、元気になりつつあります。
ミーちゃんよくなってよかったですね。
ハンサムにゃんに戻ったら、
表情にも余裕が戻った気がします。
もうこれで安心?
目に違和感ってミーちゃん ショックでしょうね
お大事に
ご自作の敷物 素敵です
きっちり計算されているって感じ
大雑把な 私なら こうは 行きません
何時間かかりましたか
白洲正子さんのことは、 亡くなられてから知りました
詳しく勉強した訳では 無く
美男美女カップルだったってことから 本の入り口状態です
彼女の言葉をメモして合ったつもりが、行方不明
なんて状態