私はここで、欧米の一部では男性が音楽に合わせて演技することに特殊で強力な偏見があることを示しました。
でもそれは具体的にどこの文化なのか。
コメントにはっきりと国名が書かれていますので、その文化にアメリカは確実に含まれます。
ただ大半を占める国名を書いていないコメントではどこの国かは分かりません。
否定的なコメントは英語が多いのですが、英語は世界共通語的な面があり、英語だから英米人とも限りません。
逆に好意的なコメントは東欧・南米・東南アジアです。
それらは国名や国旗が示されているか、文字や名前で地域が分かる国々です。
それらから多少乱暴に推測すると、偏見があるのは、ヨーロッパでも、おそらく南欧と西欧の国々ではないかと思います。
【*注 私はここで好意的なコメントが多い地域として南米をあげましたが、実際には南米でも男性が踊ることに強い偏見を持っている人が多いとのことです。
南米の人達は男性が踊ることを否定的に見ていても、アメリカ人のようにあえて悪く書くようなことはしないみたいです。】
つまり、いわゆる先進国で、それらの国々の価値基準が時にグローバルスタンダードと見なされている地域です。
たとえば、私は二十歳の頃にリリアーナ・カバーニ監督のイタリア映画、厳密には伊米合作で、かのルキノ・ビスコンティも絶賛した「愛の嵐」という映画を観ています。
そこでも、レオタードのような衣装でダンスする男性が主人公の男性を誘惑しているシーンがありました。
半世紀近く前の話なので、はっきりとは覚えていないのですが、私の記憶では、なかなか巧みなダンスだったように思います。
男子新体操はああいったものと見なされているのかもしれません。
つまりゲイの求愛パフォーマンスです。
スポーツとして認めれば体操の品位を落とすとコメントされたのは、彼らにはそのようにしか見えないからかもしれません。
もう一つ、女子と同じスタイルの新体操をするスペインの男子新体操では、ドラァグクイーンと思しき男性が女性用のレオタードを着て新体操をしている動画が以前はたくさんありました。
今では削除されたのかほとんど見当たりません。
(削除したのはスペイン方式の男子新体操をスポーツとして普及させたい関係者か? もちろんスペインでも大半の選手は男性用のレオタードを着ています。)
今回、私が一つだけ見つけることができた女装した選手の動画。⇒ココ
確かに、いかにLGBTQに理解を示すべきと言われても、演技する目的が新体操というより、新体操の女性用レオタードを着ることにあるような男子新体操の選手をアスリートと呼ぶのは難しいです。
(女装自体は好きにしたらよいのですが、スポーツのイベントで目的が女装なのは疑問だということ。)
スペインは、私は新体操とは関係のないところで、非常にジェンダーフリーが進んだ国と聞いたことがあります。
スペインに女子と同じスタイルの男子新体操があるのも、そうした流れの中のものと思われます。
女装した選手達を受け入れていたのも、同じく進んだ社会の現れだったのかもしれません。
ただジェンダーフリーが進んでいるといっても、女装の選手達も含め彼らは、彼らの「ダンスは女性らしさの現れ」という社会的文脈の中で男子新体操をしているみたいです。
そうした在り様を本当にジェンダーフリーと言えるのかどうかは私には判断できません。
余計なことかもしれませんが、私には、スペインではそのジェンダーの軛がスペインの男子新体操を創造性や芸術性から遠ざけているようにも見えます。
(正確を期せば、一部の選手はそこから逃れつつあるようです。)
ところで、先進国だとされている欧米の価値観、物の見方は、ともすれば最も進んだ正しいこととして世界中に大きな影響力を持っています。
たとえば私は、ロシアを含む東欧の人達は、日本の男子新体操に対して好意的であると書きました。
それでも中には知識として欧米文化の影響を受けたと思われるコメントはあるのです。
たとえば、原文ではキリル文字の以下のコメント。
これは2016年の井原高校の演技についていたコメントです。
この人の場合、知識として欧米の価値観を持っていて「男性がこんなパフォーマンスをしていいのだろうか」と思ったみたいです。
でもそれはあくまで知識であり、本来のその人自身とは距離があります。
距離がなければ、選手達が少女に見えたり、男子新体操の演技を女性らしさの表れと思ったり、あるいは、パブロフの犬のように選手たちをゲイだと断言するでしょう。
ですが彼は、東欧という異なる文化的背景を持っていたが故に自分の戸惑いがステロタイプだと気づき、選手達をカッコいいと感じられたのではないでしょうか。
では同じように文化的に距離のある日本人ならどうでしょう。
イタリアで演じられた国士舘大学の男子新体操の動画に、次のような日本人のコメントがありました。⇒ここ
今さら私が指摘するまでもなく、サッカーやラグビーをはじめ、男ばかりで行うスポーツは珍しくありません。
でもサッカーやラグビーは男ばかりでも欧米ではゲイ集団だとはみなされていません。
それは欧米ではサッカーやラグビーが男らしいスポーツだと見なされているからです。
③であげたコメントの中にも、「だからゲイ・・なぜ男はこれをするのですか・・彼らはサッカーのようにゲイではなくハードなことをすることをできませんか」とはっきりと書いています。
要するに男ばかりの集団だからゲイだと決めつけられているのではないのです。
何度も指摘しますが、男子新体操は音楽に合わせて演技するから女のようだと思われ、その結果、ほぼイコールとしてゲイだと見なされているのです。
欧米のその種の文化的偏見に、日本の男子新体操が、わざわざ女子を入れて防衛的に追随する必要はあるでしょうか。
それ以前にこのコメントは、ゲイに対するネガティブな見方を当然として成り立っています。
また、ゲイだと見なされないために女性を加えようという発想も問題ありです。
②で、日本の男子新体操の歴史で見た通り、そもそも男子新体操の前身である団体徒手体操は、欧米の女性の新体操と異なり、当初からどちらか一方の性を排除したものはありませんでした。
新体操と名称変更してからも、高校や大学では新体操部として一緒に活動している学校は少なからずあるようです。
実際、男子新体操の動画でも男子新体操の選手が練習している直ぐ背後で女子の新体操の選手達が練習しているのをよく見かけます。
学園祭などのイベントでは男女が集団で創作演技を披露しています。
コメントを読む限り、海外の視聴者には目新しいのでしょうか、そうした創作演技も好評のようです。
全国にある民間の体操クラブでも同様で、クラブの発表会では男女一緒の集団創作演技が行われています。
それらは女子の場合、女子の新体操なのですが、近年では民間の体操クラブで、小学生くらいの少女達が女子の新体操ではなく、男子新体操に興味を持って男子新体操を行うケースが増えてきているそうです。
男子新体操では、すでに男女混合のミックスのチームが生まれ、競技会にも出場しています。⇒ここ
日本の男子新体操のジェンダーフリーは、外野がゴチャゴチャいうより前に、実態はずっと先に進んでいるのかもしれないのです。
もちろん、民間の体操クラブが男子新体操に少女達を受け入れたのは、大上段にジェンダーフリーやダイバーシティを掲げてのことではなく、少子化に対応するクラブの経営戦略として顧客のニーズに応えただけかもしれません。
あるいは傍からは伺い知れない問題があるかもしれません。
私は日本という国がジェンダー問題に理解があるとは少しも思っていませんが、こと男子の新体操に関する限り欧米西側諸国の方がはるかに遅れているように見えます。
これは単純に日本人が、音楽と合わせて演技することに男も女もないことを知っているからだと思います。
結果、自然体でジェンダーフリーに向かうことになってしまったのではないでしょうか。
長々と書きましたがこの辺で纏めていきます。
私は男子新体操の動画に付けられたネガティブなコメントを敢えて取り上げて、その背後にあるものを探りました。
ですがここ数年は絶賛しているコメントの方が圧倒的に多いのです。
欧米でもネガティブなコメントをしている人達は旧世代と言っていいでしょう。
日本の高校の男子新体操をテーマにしたアニメ「バクテン!!」を見た海外の若い視聴者は、YouTubeで実際の男子新体操を見て「アニメより凄い!」と感嘆しています。
そこでは先にあげたようなネガティブな言葉はありません。
思えば男子新体操は、どう考えても加入が認められない時期にFIGに対して加入のアピールをしていたのだと思います。
よく言われているように「団体演技で手具を用いないから新体操とは認められない」とか「タンブリングがあるから新体操ではない」といったこと以前に、もっと根本的な部分でスポーツとして認めるのは論外だと思われていた節があります。
ですが現在、そうした対外的な問題よりも大きな問題は、日本国内において男子新体操が70年の歴史と国際的な評価があるにもかかわらず、その競技内容が一般に知られていないマイナーなスポーツだということです。
それは、見てもやっても面白くないスポーツだからではなく、一般の人がほとんど見る機会がないからです。
大手テレビメディアが男子新体操をスポーツとしてきちんと取り上げてくれたらよいのですが、テレビで男子新体操が取り上げられるのは、お笑いタレントが学校のクラブ訪問するようなバラェティ番組が大半です。
それでもないよりマシですが、視聴者の理解と認知に繋がるような取り上げ方ではないのです。
実際、日本においてスポーツとしての男子新体操は、何十年にもわたり大手メディアで取り上げられることはなく、ほぼ無視されていました。
高度のスキルと芸術性を備えながら国際的にも認められず、国内的にも無視され、その結果なのかどうかは分かりませんが、国体からも外されていたことは①で述べた通りです。
メディアが取り上げなかった理由は、私には分かるようで分かりません。
大手メディアのスポーツ記者達は、もちろん男子新体操というスポーツの存在を知っています。
なぜなら、何度か触れたように新体操の試合は、何十年もの間、同じ会場で男女交互に演技が行われているからです。
長く続くその“黙殺”の状況は異常な印象さえ受けます。
あるいはここにも日本におけるジェンダー問題があるのかもしれません。
評判の悪かった2021年の東京オリンピックでは、スポーツにおけるジェンダーフリーやLGBTのスローガンが随分と語られました。
要はスポーツの場における多様性を認めよう、ないしはスポーツを通じて多様性を理解しようということだったと思います。
実は日本の男子新体操について語ることこそ、その種のスローガンの理解に繋がることではなかったかと思います。
私自身、男子新体操というスポーツの存在は長く知りませんでした。
このブログでは、動画のコメント欄から私が知り、推測できたことを書きました。
多々間違いもあるかもしれませんが、間違いと思われることはコメント欄や私への直接のメッセージで指摘してください。
このブログの記事が日本の男子新体操の認知と理解に繋がることを願っています。
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