先日、カメラ教室の最後の撮影実習があり、淀屋橋界隈を歩きました。
寒い日でしたが、天気は上々。
当初のカリキュラムでは高野山に行く予定だったのですが、交通機関が一部不通のままなので、急遽高野山ではなく、大阪市内での街撮りとなりました。
雪の高野山を撮れなかったのはちょっと残念です。
地下鉄の淀屋橋で降りて大阪市役所横で集合。
撮影上の注意を先生から受けて皆散らばりました。
私は同じ班の人達と行動を共にしました。
市役所の中に古いステンドグラスがあるというので中に潜入。
この辺り何度か通ったことがある川沿いの道ですが、正式名称は「みおつくしプロムナード」というらしいです。
普通に撮った写真。
広角レンズ、逆光で撮った写真。(場所は違います)
水都大阪の名残が感じられます。
お馴染、中之島中央公会堂です。
こんな写真も撮ってみました。
昼からは、近くで行われている写真展を観に行ったり、写真を撮ったり。
ダイビル本館です。
旧ダイビルはその重厚さ・静謐な佇まいで有名でした。
取り壊されて新しいダイビルが建ちましたが、外壁の模様は有名だった旧ダイビルのものが使われているらしいです。
中之島ダイビルの玄関の柱の模様。旧ダイビルのものを擬していますね。
よく見ると不思議な動物めいたものが彫られています。
こんな壁の飾りも。
中之島ダイビルの内部。
他のビルの追随を許さぬセンスの良さが感じられます。
この日、クラスの皆が撮った写真の講評も先生から受けました。
皆の作品からは、私のような素人目にも明らかな去年の4月からの進歩が見られました。
と同時に、私は何をどのように撮りたいのか、改めて問われる思いでした。
皆の写真では技巧的に凝った写真が多かったのですが、被写体への愛、というと大袈裟ですが、思い入れはその分消えてしまっているように感じられたのです。
最後なのでわざとそういう作品を提出した面もあったようです。
愛があれば技術が未熟でも良いとも言えないわけで・・・。
技術と愛、写真に限らない芸術の永遠のテーマです。
寒い日でしたが、天気は上々。
当初のカリキュラムでは高野山に行く予定だったのですが、交通機関が一部不通のままなので、急遽高野山ではなく、大阪市内での街撮りとなりました。
雪の高野山を撮れなかったのはちょっと残念です。
地下鉄の淀屋橋で降りて大阪市役所横で集合。
撮影上の注意を先生から受けて皆散らばりました。
私は同じ班の人達と行動を共にしました。
市役所の中に古いステンドグラスがあるというので中に潜入。
この辺り何度か通ったことがある川沿いの道ですが、正式名称は「みおつくしプロムナード」というらしいです。
普通に撮った写真。
広角レンズ、逆光で撮った写真。(場所は違います)
水都大阪の名残が感じられます。
お馴染、中之島中央公会堂です。
こんな写真も撮ってみました。
昼からは、近くで行われている写真展を観に行ったり、写真を撮ったり。
ダイビル本館です。
旧ダイビルはその重厚さ・静謐な佇まいで有名でした。
取り壊されて新しいダイビルが建ちましたが、外壁の模様は有名だった旧ダイビルのものが使われているらしいです。
中之島ダイビルの玄関の柱の模様。旧ダイビルのものを擬していますね。
よく見ると不思議な動物めいたものが彫られています。
こんな壁の飾りも。
中之島ダイビルの内部。
他のビルの追随を許さぬセンスの良さが感じられます。
この日、クラスの皆が撮った写真の講評も先生から受けました。
皆の作品からは、私のような素人目にも明らかな去年の4月からの進歩が見られました。
と同時に、私は何をどのように撮りたいのか、改めて問われる思いでした。
皆の写真では技巧的に凝った写真が多かったのですが、被写体への愛、というと大袈裟ですが、思い入れはその分消えてしまっているように感じられたのです。
最後なのでわざとそういう作品を提出した面もあったようです。
愛があれば技術が未熟でも良いとも言えないわけで・・・。
技術と愛、写真に限らない芸術の永遠のテーマです。
昔京阪沿線でしたから
何年か前 桜の頃 歩きました
新しいダイビルは 国立国際美術館へ行く時
中を覗きました
って言うか 迷い込んだのが 正解かな
フェスティバルホールも 変わりました
愛と技術 わたしは、愛に針が向くかな
いつも見る写真、どれも皆きれいに撮れて
いると思います。
私はまだ写真って何かよくわからないし、
技術はまだスタート地点の前くらいか。
技術はぼちぼち会得していけるのかな~
私は技術を学ぶために写真を習い始めたのですが、写真の場合、ちょっとそれが違うんです。
たぶん、写真を芸術としてやる人は、写真というものを光と影の芸術として捉えているのだと思います。
そして、そういう芸術を愛しているのだとも思うのです。
でもそこに被写体に対する愛はあるかというと、ほとんどなくって、被写体は光と影の芸術の小道具なんです。
写真のデジタル化が進み、編集も自由に行える時代になったので、私なんかの写真芸術の考え方は古くなっているみたいです。
そういうことを凄く考えました。
一眼のカメラの使い方が今一つ分からなかったので(今も分かっているとは言えない(-_-;))、教室に通い始めたのです。
写真はきれいに撮れていて当たり前、ピントも合っていて当たり前。
その先の写真についての考え方でちょっと考え込んでいるのです。
立体感がぜんぜん違う気がします。
技術ですね〜
ダイビルの内部、照明の色も含めてオシャレですね。
そして向こうのオブジェと直列になってるのもわかるし
みどりさんの被写体愛、感じますよ〜
たぶんそのせいだと思うのです。
写真を撮るのはあくまでついでで、とにかく鳥が見たい。鳥が好き。
だからカメラを持っていても撮らないで見るだけの時だってあります。
風景も同じ。
高野山なら高野山という場所に対するリスペクトの思いなしに写真は撮れません。
でも光と影の芸術だと被写体は面白ければなんでもありです。たまたま高野山で撮っただけだったりします。
芸大に通う若い人の写真は、どうしてもそういうのが多いみたいですね。
幾つも見せられるとその面白さが分かりますが自分が撮りたいとは思わないのです。
ブックマークに入れたランスケ・ダイアリーのランスケさんの写真。そういう意味で私のお気に入りで目標としたい方です。
最後だったから先生に褒められたい写真、先生に喜んでもらえる写真を皆さん提出されたみたいで。
光と影の芸術、追及すると何が何やら分からんかったりもします。
それはそれで面白い? 若い人に任せます(笑)