4月から、健康と医療について学ぶ教室に一年間、通う予定です。
ところが入学式の案内を見て考えてしまいました。
入学式で記念の講演を行う大学の先生が、若い頃何度か講演を聞いて良い印象を持てなかった人なのでした。
入学式自体、出ても出なくてもよいのですが、今回は講演が始まる前に帰ることにしました。
私にはどうも受け入れ難いタイプなのですが、エッセイでも、講演でも、対談や座談会での発言でも、人の言葉尻を巧みに捉え、悪い意味での「常識」をバックにして、特定の人に対し、面白おかしくレッテル貼りして、聴衆や読み手の受けを狙う、そういうタイプの著名人がいるのです。
そんな人、本当にいるのかと思われそうですが、よくいますし、人気もあります。
口が上手いというか、レトリックが上手くて、嫌味にとられないのだと思います。
たとえば、まだ20代の頃、伊丹十三の「女たちよ!」というエッセイを読んだことがあります。
その中に、彼の学生時代の野球部員のことが書かれていて、たいした根拠もなく「頭が悪い」と断じていました。
とても上手く書いてあったので、たいていの人にとっては面白いエッセイなんだと思います。
(伊丹十三はエッセイの名手だと言われています。)
実際に、野球の強い高校は頭が悪い生徒が行く高校だという俗説もあって、そういう「常識」という名の予断と偏見に則っての記述だったと思います。
実は、それについては、何を隠そう私は当事者で被害者だったのです。
というのも、私の出身高校は近辺では有名な進学校ですが、私が20代の頃、たまたま2年続けて甲子園に出場し、そこそこ良い成績を残したのです。
当時、就職の面接を受けに行って、面接官は私の履歴書を見て、高校がその出場校だと気が付くと「野球の強い高校は馬鹿が行く高校だと相場は決まっているもんだ」と私に言ったものでした。
私は自分が賢いとは思わないですが、そんなふうに言われて面白い筈もありません。
もちろん、就職は不採用でした。
どんな偏見であれ偏見というものは広めてほしくはないのです。
というのも、どんな人でも何らかの当事者であったり、一般には知られていないことについて、とても詳しかったりすることがあるからです。
そうでなくったって、書かれていることが明らかに差別的な言辞と理解できることもあります。
取り上げている事柄が自分がよく知っていることだと、その論者の底の浅さや愚劣さが嫌でも目についてしまうのです。
そういうタイプの人は例外なくとても賢い、いわゆる才気煥発な人でもあって、話が面白いので人気もそこそこあるのです。
伊丹十三などはまだ可愛いのかもしれません。私が込められている悪意のレベルが本当に酷いなと思ったのは作家の橋本治でした。
(私って、とんでもない文章を、いつもたまたま読んでしまう人なのかもしれませんが・・・。)
今回の講演者の場合、文章ではなく、対談や座談会でそういうことをやってしまっていた人です。
私が見聞きしたのは20年以上前の話ですから、齢をとって、そういう態度はもう改まったかもしれません。
相手を馬鹿にしながら聴衆を笑いの渦に巻き込むその手腕は、ある意味物凄い才能だったと思いますし、結果、人寄せパンダよろしく、あちこちで引く手あまただったのも頷けます。
私も彼女の言い方に思わず吹き出してしまったことがありますし、その時、笑いの対象とされた人の驚いたような、傷ついた表情もまだ覚えています。
今、考えてみると、その種の才気煥発な人が馬鹿にするのは、自分が理解できない事や下らないに違いないと思っている事に一所懸命になっている人だったと思い当たります。
自分が理解できないことに一所懸命な人なんて、誰にでもいます。
それが受け入れられないだけでなく、そういう人を受け狙いに利用してしまうところが頭の良い人達の悲しい性だったんだなぁと今では思うばかりです。
ところが入学式の案内を見て考えてしまいました。
入学式で記念の講演を行う大学の先生が、若い頃何度か講演を聞いて良い印象を持てなかった人なのでした。
入学式自体、出ても出なくてもよいのですが、今回は講演が始まる前に帰ることにしました。
私にはどうも受け入れ難いタイプなのですが、エッセイでも、講演でも、対談や座談会での発言でも、人の言葉尻を巧みに捉え、悪い意味での「常識」をバックにして、特定の人に対し、面白おかしくレッテル貼りして、聴衆や読み手の受けを狙う、そういうタイプの著名人がいるのです。
そんな人、本当にいるのかと思われそうですが、よくいますし、人気もあります。
口が上手いというか、レトリックが上手くて、嫌味にとられないのだと思います。
たとえば、まだ20代の頃、伊丹十三の「女たちよ!」というエッセイを読んだことがあります。
その中に、彼の学生時代の野球部員のことが書かれていて、たいした根拠もなく「頭が悪い」と断じていました。
とても上手く書いてあったので、たいていの人にとっては面白いエッセイなんだと思います。
(伊丹十三はエッセイの名手だと言われています。)
実際に、野球の強い高校は頭が悪い生徒が行く高校だという俗説もあって、そういう「常識」という名の予断と偏見に則っての記述だったと思います。
実は、それについては、何を隠そう私は当事者で被害者だったのです。
というのも、私の出身高校は近辺では有名な進学校ですが、私が20代の頃、たまたま2年続けて甲子園に出場し、そこそこ良い成績を残したのです。
当時、就職の面接を受けに行って、面接官は私の履歴書を見て、高校がその出場校だと気が付くと「野球の強い高校は馬鹿が行く高校だと相場は決まっているもんだ」と私に言ったものでした。
私は自分が賢いとは思わないですが、そんなふうに言われて面白い筈もありません。
もちろん、就職は不採用でした。
どんな偏見であれ偏見というものは広めてほしくはないのです。
というのも、どんな人でも何らかの当事者であったり、一般には知られていないことについて、とても詳しかったりすることがあるからです。
そうでなくったって、書かれていることが明らかに差別的な言辞と理解できることもあります。
取り上げている事柄が自分がよく知っていることだと、その論者の底の浅さや愚劣さが嫌でも目についてしまうのです。
そういうタイプの人は例外なくとても賢い、いわゆる才気煥発な人でもあって、話が面白いので人気もそこそこあるのです。
伊丹十三などはまだ可愛いのかもしれません。私が込められている悪意のレベルが本当に酷いなと思ったのは作家の橋本治でした。
(私って、とんでもない文章を、いつもたまたま読んでしまう人なのかもしれませんが・・・。)
今回の講演者の場合、文章ではなく、対談や座談会でそういうことをやってしまっていた人です。
私が見聞きしたのは20年以上前の話ですから、齢をとって、そういう態度はもう改まったかもしれません。
相手を馬鹿にしながら聴衆を笑いの渦に巻き込むその手腕は、ある意味物凄い才能だったと思いますし、結果、人寄せパンダよろしく、あちこちで引く手あまただったのも頷けます。
私も彼女の言い方に思わず吹き出してしまったことがありますし、その時、笑いの対象とされた人の驚いたような、傷ついた表情もまだ覚えています。
今、考えてみると、その種の才気煥発な人が馬鹿にするのは、自分が理解できない事や下らないに違いないと思っている事に一所懸命になっている人だったと思い当たります。
自分が理解できないことに一所懸命な人なんて、誰にでもいます。
それが受け入れられないだけでなく、そういう人を受け狙いに利用してしまうところが頭の良い人達の悲しい性だったんだなぁと今では思うばかりです。
子供の頃母から「頭がいいというのと、学校の勉強ができるのとは違う」
と言われたことを思い出しました。
高校程度までの学校の勉強は、正直記憶力だけでいくらでも点が取れます。
でも頭がいいというのは、人から教わった情報を自分のものとして咀嚼して
全く違う分野でその知識を活かしたり、将来を設計できたり、
あるいは、その場の空気を読んで人に不快感を与えない振る舞いをしたり
頭脳だけじゃなくて感性も含めて、もっと幅が広くて数字では表せないものだと思っています。
野球選手、で思い出しました。
メジャーリーグに移籍した菊池選手、
入団会見を英語でこなしたことに驚きました。
しかも、外国人がちゃんと勉強して身につけた、と好感が持てる発音や言い回しだったんです。
メジャーに行きたいと思って日本にいる時から勉強してたんですって。
続けにインタビューをスポーツニュースで見る機会があり
その受け答えに、この人は頭のいい人だな、と思いました。
冷静に考えたら、頭が良くないとどんな競技でも一流の選手・プロにはなれませんやねぇ。
みどりさんもとんだとばっちりでしたね〜
でも、そんなステレオタイプを鵜呑みにする面接官の会社に入らなくてよかったかも〜
ある意味、他者を傷つけず生き抜ける力のような。
伊丹十三にとっては野球部員は、自分とは全く異なるタイプの人間、ただそれだけのことだったと思います。
あの会社には入らなくて良かったです。
にしても、今も昔も就職の面接ではパワハラ・セクハラがまかり通っていたみたいですね。
文武両道がベスト評価ではなかったでしょうか。
みどりさんを面接したオッサンは「自分より賢い女性が入社したらたまらん」と思い、不合格にしたのでしょう。
4大卒女子が疎まれ、青短卒がもてはやされた時代がありましたが、まさにおバカな男中心社会でした。
あれから少しは変わったようですが、まだまだ男社会だなと思います。
女子差別と言えば、東京医大の入試不正の女子差別には呆れました。
日本って、三流国だなとつくづく思いました。
劣等感の塊のような男が権力だけ持っている国の不幸なんでしょうかね。
かつては確かに運動のできる子は頭が悪い、胸の大きい女の子も頭が悪い(笑)などどいわれていましたね。ハクチ美人とか~~。最近はこういう物言いは少なくなってきたのかと思っていましたが、別な形で残っていますね。今でも女性大卒逆差別はあるし、男性でもいい学歴でも逆に「いい気になっている」などと面接で言われるようです。日本はホント、幸福度をみてもそうですが三流国ですね。みどりさんのブログ読んで少しすかっとしました。
自分とは異なる価値観を持って生きている人を認められない、結果、いじって、貶めて笑い者にしたり・・・。
なんだが日本の社会って、変わらないどころか年々悪くなってるみたいな。
私はもうリタイア組なんですが、子供達や若い人達は気の毒です。
人の事ばかりではなく、私自身も寛容さは意識して上げていくしかないんでしょうね。