緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

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湯の峰温泉 ほっこり一人旅 ②

2015年06月11日 | 旅行

湯の峰温泉、バスを降りてみると、観光客、欧米系の外人さんが多かったです。

宿は民宿の小栗屋さんに予約をいれていました。小栗屋にしたのは、小栗屋の店主の方が、小栗判官についてのお話を聞かせてくれると宿のHPに書いてあったからです。

その日の宿泊客は私と20代半ばくらいの若い女性(Aさんとします)の2名のみ。宿のご主人の話では2組の客しか取らないとのこと。
Aさんは予約する時間が遅かったとかで夕食の用意ができず外に食べに行き、食堂で私一人で夕食です。


イタドリの味噌和えや、ワラビ、タケノコといったものですが、一つ一つ、ご主人が説明してくれます。あく抜きの必要なものは温泉の湯で湯がいてアクをぬいているのだそうです。
右上の鍋も温泉水を使っていて、消化がとてもよいそうです。

食後、ご主人に小栗判官のお話を聞かせてもらうよう頼み、Aさんも一緒にお聞きすることになりました。

小栗屋の主人、安井理夫さんは、元は中学校の社会科の先生で、校長先生まで勤めて、定年後、実家の民宿小栗屋を本格的に継がれたそうです。

小栗判官の研究では知られた方で、本も出版されています。また地元では熊野古道の語り部として有名な方でした。宿には小栗関係の資料がたくさん置かれていました。

小栗判官の物語は、近年では猿之助歌舞伎でスーパーオグリとして演じられ、宝塚歌劇でもとりあげられていますが、昔から歌舞伎の人気の演目でした。

でも、芸能としての小栗は「をぐり」として、説教節の重要な演目として始まっています。もっとも、戦後、説教節は聞く人もなくなり、ほとんど途絶えていました。

私が知っていることは、一旦滅びかけた説教節の、最後の説教節語りと言われた人が、東京の老人ホームでアル中の老人として見つかり、その後、弟子もついて、みごとに復活したという話です。
それは私が30代の頃のことです。

その話を私がすると、ご主人は一枚の色紙を見せてくれました。復活した説教節語り、盲目だった二代目若松若太夫さんが書かれた色紙でした。

二代目若松若太夫さんが小栗屋に泊まられた時、ある人が盲目の若太夫さんに色紙を依頼したそうです。ご主人は気を遣ってヒヤヒヤしながら傍にいたそうですが、色紙にはしっかりとした字でサインされていました。

小栗屋には、小栗判官の縁で、二代目若松若太夫さんだけでなく、宝塚歌劇で主役の小栗を演じられた方も泊まったとのことです。
ご主人からは、全国の小栗に興味のある人で、小栗フォーラムが開かれていることや、説教節の人気が高まっていることなど、色々と聞かせてもらいました。

熊野は「蘇えりの地」と言いますが、何だか、一旦滅びたとされたものが、本当に蘇えっているのだと、不思議な気持ちになりました。

ですが、気がかりなこともあります。民宿の小栗屋さんは、御年80歳のご主人がほとんど一人で切り盛りされていました。
奥さんに先立たれ、お子さんたちは都会に出て行ったとか。
そろそろ引退されたいのだそうですが、お客さん達との縁があり、それもできないと。
小栗屋を引き継ぐ後継者がほしいとおっしゃっていました。

ご主人は元気そうなご様子でしたが、お年もお年ですので、ご主人の縁を大切にする良い後継者の方が現れればよいのにと思います。

朝食です。



温泉水で炊いた茶がゆがとても美味しかったです。
でも料理が多すぎて、食の細い私には全部たべきれず。

肝心の温泉ですが、小栗屋さんも内湯として源泉かけ流しのお風呂があり、私は着いてすぐに1回、夕食後に1回、翌朝、朝食前に1回と、計3回入りました。
少し熱めのお湯ですが、熱がりの私でも無理なく入れました。

有名なつぼ湯は宿の前にあり、2分も歩かず行けましたが、ご主人の話によると、外人さん達がつぼ湯に興味津々でなかなか入れないという話。

世界遺産に唯一登録されている温泉だし、生き返ったものの目も見えず耳も聞こえず立つこともできなかった小栗判官が、つぼ湯に入って49日目で元の体に戻ったという伝説もあり、興味をもたれるのも分かります。

ただ順番を待っていると、いつ入れるか分からないので、今回は入るのは諦めました。

ご主人の話では、宿のお風呂でも、杖をついて来られたお婆さんが、数日して帰られる時、杖を忘れていって、ご主人がバス停まで追いかけて杖を渡したというほど、効能はあるみたいです。

③に続きます。


湯の峰温泉 ほっこり一人旅 ①

2015年06月08日 | 旅行
一人旅に行ってきました。
本当は4月に行きたかったのですが、雨ばかりで5月になりました。

雨は、今回の旅行ではどうしてもダメな理由がありました。
和歌山は串本にある無量寺の長沢芦雪の虎の絵を見たかったからです。
虎の絵は元は本堂の障壁画だったのですが、今は傷まないように収蔵庫に保管されていて、その収蔵庫は雨の日は開かないからです。

当初の計画通り、9時21分天王寺発新宮行の特急くろしお3号に乗車。
平日だったので自由席にしました。自由席で正解でした。空いてたし、最初、進行方向に向かって左側に座ったのですが、日が当たるし海が見えないので途中から右側に席替えしました。
指定席だと、空いていても席替えは難しかったかも。途中の駅で乗ってくる人もいるし。

紀勢線の串本辺りの海、景勝地です。もっとも、南海トラフが来れば15分も経たずに津波が来る所。
もし今、津波が来たらどうやって逃げるか脳内でシミュレーション。左側がすぐ山みたいな所が多く、列車を降りて、そこを駆け上るしかない・・・。

12時23分に串本着。10分ほど歩いて無量寺に付きました。途中、道を尋ねること2回。

無量寺にある応挙芦雪館は、町の人達の尽力で設立された日本一小さな美術館です。

1707年地震に続く大津波で全壊流出した無量寺。その再建(1786年)に際し、本堂の障壁画を丸山応挙に依頼したところ、応挙はその仕事を弟子の長沢芦雪に命じて障壁画が描かれたとのこと。

有名なのは虎の絵です(パンフレットの写真)。


この絵、障壁の裏側の絵を見ると、池の鮎を子猫が覗いていて、表の虎は鮎から見た子猫の絵だという説があるとか。そう思って見ると猫としか見えない。

もう一つ、鶴の絵もあったのですが、飛んでいる絵は首をs字に曲げていて、鷺の飛び方。鶴は首を伸ばして飛ぶ筈。
虎は子猫で鶴は鷺???

収蔵庫は頑丈そうな鉄筋の建物なので「津波が来ても大丈夫なんですか?}とお聞きしたところ、「4年前の東北クラスの地震が来たらダメでしょう」とのことでした。
私がいる間、来館者は私を含め3人でした。

見終わって、JR串本駅に戻って、今度は14時14分発の新宮行、特急くろしお9号に乗車。
14時59分に新宮着。

駅内にある観光案内所で、今から新宮の熊野速玉大社にお参りして、15時55分発の熊野本宮行バスに間に合うか聞いたところ「余裕です」との返事。駅から速玉大社まで歩いて20分ということなのでタクシーで行くと言うと「タクシー?}と、『どうして歩いていかないの』みたいな言い方。自慢じゃないけど、私、方向音痴なんです。そこは手堅くタクシーで行きました。

なんだか華やかで若々しい雰囲気のお宮です。


境内にあった梛(ナギ)の大木。


梛は神聖な木ということで神社にはよく植えられています。
槇(マキ)科の木で、葉は槇に似ています。

以前に聞いた話では、梛の木の葉を鏡の裏に張り付けておくと恋が叶うとか。
でも、ここの梛の木はあまりにも大きすぎて葉っぱに手が届きません。だから葉を持ち帰ることも不可能。やっちゃいけないし、そんなもん、今更いりませんが。

新宮の駅前発のバスは、速玉大社の近くにも止まるので、そこから15時59分頃バスに乗り、一路、宿のある湯の峰温泉へ。

バス道路は熊野川沿いにあって、右側は熊野川です。最初、左側に座ったのですが、川が見たくて右側席に移動。バスに揺られること1時間あまり。17時04分、湯の峰温泉に到着。


②に続きます。




平和な一日

2015年06月07日 | 
去年はヒヨドリさんが葡萄の青虫を食べてくれたのに、今年はヒヨドリさんが来ないせいで、葡萄の青虫捕りが日課です。

でも、捕ってるすぐ側でこんなヤツが2、3匹ヒラヒラ飛んでます。


卵産んでるの? 私も馬鹿にされたもんです。
<追記、後で調べてみるとこの蛾はウメエダシャクといい、葡萄の青虫の成虫ではありませんでした。>

そもそもミーちゃんがウロウロしてるからヒヨドリさんが来ないのじゃないの。

ミーちゃんいわく「僕、関係ないもん」


台所でスズちゃんが「どうでもいいから早く餌」と言ってます。



幸福の木の花

2015年06月04日 | 日記
今日、駅へ行こうと歩いていたら、数年前に整地されて、雑草だらけの空き地の隅に、見たことない花がチラッと見えました。
で、空き地に入ってよくよく見たら、幸福の木に花が咲いていました。



近づいて見るとこんなの。


幸福の木って、鉢植えで、何かのお祝いで貰ったりするのですが、やたら背が高くなって始末に困った記憶があります。
その木も、本来ならば室内に置く観葉植物だったのが、庭の隅にでも放置されて、逆に生き残ったのかもしれません。

家が取り壊されて、一旦は整地された後、そこに元々植えられていた植物が出てくるのをよく目にするので。

花を咲かすというのは、木にとってはストレスの多い、悪い環境だということ・・。

おかげで見たことなかった幸福の木の花が見られました。

その空き地に家でも建つことになれば、幸福の木は今度こそ息の根を絶たれる筈。

最後に咲かせた花かも、です。