湯の峰温泉、バスを降りてみると、観光客、欧米系の外人さんが多かったです。
宿は民宿の小栗屋さんに予約をいれていました。小栗屋にしたのは、小栗屋の店主の方が、小栗判官についてのお話を聞かせてくれると宿のHPに書いてあったからです。
その日の宿泊客は私と20代半ばくらいの若い女性(Aさんとします)の2名のみ。宿のご主人の話では2組の客しか取らないとのこと。
Aさんは予約する時間が遅かったとかで夕食の用意ができず外に食べに行き、食堂で私一人で夕食です。
イタドリの味噌和えや、ワラビ、タケノコといったものですが、一つ一つ、ご主人が説明してくれます。あく抜きの必要なものは温泉の湯で湯がいてアクをぬいているのだそうです。
右上の鍋も温泉水を使っていて、消化がとてもよいそうです。
食後、ご主人に小栗判官のお話を聞かせてもらうよう頼み、Aさんも一緒にお聞きすることになりました。
小栗屋の主人、安井理夫さんは、元は中学校の社会科の先生で、校長先生まで勤めて、定年後、実家の民宿小栗屋を本格的に継がれたそうです。
小栗判官の研究では知られた方で、本も出版されています。また地元では熊野古道の語り部として有名な方でした。宿には小栗関係の資料がたくさん置かれていました。
小栗判官の物語は、近年では猿之助歌舞伎でスーパーオグリとして演じられ、宝塚歌劇でもとりあげられていますが、昔から歌舞伎の人気の演目でした。
でも、芸能としての小栗は「をぐり」として、説教節の重要な演目として始まっています。もっとも、戦後、説教節は聞く人もなくなり、ほとんど途絶えていました。
私が知っていることは、一旦滅びかけた説教節の、最後の説教節語りと言われた人が、東京の老人ホームでアル中の老人として見つかり、その後、弟子もついて、みごとに復活したという話です。
それは私が30代の頃のことです。
その話を私がすると、ご主人は一枚の色紙を見せてくれました。復活した説教節語り、盲目だった二代目若松若太夫さんが書かれた色紙でした。
二代目若松若太夫さんが小栗屋に泊まられた時、ある人が盲目の若太夫さんに色紙を依頼したそうです。ご主人は気を遣ってヒヤヒヤしながら傍にいたそうですが、色紙にはしっかりとした字でサインされていました。
小栗屋には、小栗判官の縁で、二代目若松若太夫さんだけでなく、宝塚歌劇で主役の小栗を演じられた方も泊まったとのことです。
ご主人からは、全国の小栗に興味のある人で、小栗フォーラムが開かれていることや、説教節の人気が高まっていることなど、色々と聞かせてもらいました。
熊野は「蘇えりの地」と言いますが、何だか、一旦滅びたとされたものが、本当に蘇えっているのだと、不思議な気持ちになりました。
ですが、気がかりなこともあります。民宿の小栗屋さんは、御年80歳のご主人がほとんど一人で切り盛りされていました。
奥さんに先立たれ、お子さんたちは都会に出て行ったとか。
そろそろ引退されたいのだそうですが、お客さん達との縁があり、それもできないと。
小栗屋を引き継ぐ後継者がほしいとおっしゃっていました。
ご主人は元気そうなご様子でしたが、お年もお年ですので、ご主人の縁を大切にする良い後継者の方が現れればよいのにと思います。
朝食です。
温泉水で炊いた茶がゆがとても美味しかったです。
でも料理が多すぎて、食の細い私には全部たべきれず。
肝心の温泉ですが、小栗屋さんも内湯として源泉かけ流しのお風呂があり、私は着いてすぐに1回、夕食後に1回、翌朝、朝食前に1回と、計3回入りました。
少し熱めのお湯ですが、熱がりの私でも無理なく入れました。
有名なつぼ湯は宿の前にあり、2分も歩かず行けましたが、ご主人の話によると、外人さん達がつぼ湯に興味津々でなかなか入れないという話。
世界遺産に唯一登録されている温泉だし、生き返ったものの目も見えず耳も聞こえず立つこともできなかった小栗判官が、つぼ湯に入って49日目で元の体に戻ったという伝説もあり、興味をもたれるのも分かります。
ただ順番を待っていると、いつ入れるか分からないので、今回は入るのは諦めました。
ご主人の話では、宿のお風呂でも、杖をついて来られたお婆さんが、数日して帰られる時、杖を忘れていって、ご主人がバス停まで追いかけて杖を渡したというほど、効能はあるみたいです。
③に続きます。