緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

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怖すぎ、六条御息所

2024年02月07日 | お出かけ
5月に開催される大阪能楽大連吟のお稽古開始のオリエンテーションの時、能楽の先生から自分が出演する大槻同門会能の案内がありました。

案内によれば先生が演じられるのは「井筒」でした。
それで「井筒」の説明も受けたのですが、同時に別の人の演じられる「葵上」の説明も受けました。
たまには能楽も良いかなと、なんとなく興味を持って前売り券を購入しました。

その日の演目です。


先日、観に行ってきましたが、あいにく睡眠不足状態。
絶対眠くなるなと思っていたところ、やはり眠くなりました。
必死に目をこじあけて鑑賞。
他の観客はというと、やはり俯いている人が多く、寝ている様子。

「井筒」の説明も事前に聞いていたのですが、何ともよく分からない内容で、世阿弥の自信作の夢幻能とか。
夢幻能というのは能の分類の一つで、旅の者が見た夢幻のようなものだから、半分寝ながら見てちょうど良かった、というのは言い訳です。

間に短い狂言が入り、それはちゃんと観てました。

次は「葵上」でした。
それも事前に先生の説明を聞いていました。

能楽の「葵上」は女性の嫉妬を描いた傑作なのですが、単に嫉妬の醜さや怖さを描いているのではありません。
主人公の六条の御息所は高貴な女性で、教養も知性もあり、強い矜持心も持ってます。
もちろん前の皇太子妃という身分の高さや美貌といったものも持ち合わせているのです。

だから意識の上では嫉妬に狂うなんて醜いことはしたくないし出来ない筈なんです。
でも、就寝中は理性の力が弱まり、心の奥底の光源氏の正妻の葵上を憎いという気持ちが生霊となって体から出てしまうのです。
決して彼女自身は葵上を害したいと思っていないのに、彼女の無意識が葵上に取り付いて苦しめるという難しい役どころなのです。

始まってから最初のうちはやはり睡魔との闘い。
気が付くと頭がガクッとなっている。

でもシテ(主人公)の六条の御息所の嫉妬心が抑えがたく激し始めると眠気が次第に失せ、舞台に目をこらすことになりました。
それはシテの演技だけでなく、囃子方や地謡の効果でもあったと思います。
能のそういう演出って凄いです。

やがて般若の面を付けて鬼の姿となった六条の御息所と、それを調伏しようとする横川の小聖との闘いのシーンはまさにド迫力。
眠気が吹っ飛んじゃいました。

「葵上」では六条の御息所はたとえ鬼の姿になっても気品を持って演じなければならないようです。

これは上松松園が描いた六条の御息所


対してこちらは葛飾北斎が描いた鬼になった六条の御息所


帰り道、前を歩いていた中年の男性が興奮気味に「悪いのは光源氏だろ。なのに葵上を恨むとは・・」と連れの人に語っているのが聞こえましたが、恋愛って善悪で計れないんだよね。

一つ教訓。能楽を観に行く前の晩は早めに寝ましょう。
でないと観劇中、睡魔との闘いになってしまう。

茶室での事故

2024年02月04日 | 茶道
茶道のお稽古で事故など起こるのかと思われそうですが、起こる時は起こります。

元々ちょっと怖いなと思っていたのは、お点前をされていた生徒さんが立ち上がる時、足がこわばって動かなくなることがあること。
皆さん、年齢が年齢で正座で痺れることはあまりないのですが、足腰が弱っている人が多く、スッとは立ち上がれないんです。

変に動こうとするとひっくり返りそうになります。
で、そばにはシュンシュンと音立てて沸いている茶釜があるんです。
もし、つんのめって茶釜の上に倒れたりしたら・・・。
茶釜の下には、もちろん火を熾した炭が並べられているわけですから。
日頃、それは想像して怖いと思ってました。



先日のお稽古ではついに事故に立ち会ってしまいました。
私が想像していたような事故ではないです。
事故が起きたのもお稽古中ではありませんでした。
茶室でのお稽古の、午前の部と午後の部のちょうど生徒さんの入れ替えの時、それは起こりました。

そういう時ですから、茶釜に湯を足したり、炭を整えたりするのに一時的に茶釜を動かした時のことです。
たまたま私は離れた場所から見ていたのですが、熱湯の入った茶釜を移動させようとしたのか、着物を着た一人の生徒さんが環を使って茶釜を持ち上げました。

それが体全体がユラ~とするような持ち上げ方で、見ていて一瞬、私が後輩だったし齢も下だったので『私が動かすべきだったかも・・』と思ったのです。
でも、もう持ち上げてしまっていたからどうしようもない。
次の瞬間、彼女は前に倒れて茶釜ごと大量の熱湯を畳の上にぶちまけてしまったのでした。

後は何が何だかの大騒ぎ。
皆で雑巾やらタオルやら用いて熱湯をふき取り、倒れた生徒さんは手と顔に熱湯がかかったらしくて水道水で冷やしたり。
着物を着ていたので着物にも湯がかかったのですが、そのせいで直接足にかかることは免れたようでした。
それでも足袋が濡れてはき替えてました。

幸運だったのは熱湯が飛び出した先に誰もいなかったこと。
ようやく畳の上の湯を拭き上げて、きれいに逆さになったままの茶釜を先生が元に戻そうと拾い上げた時。
なんと畳で口が塞がれた状態で茶釜の中にはまだ熱湯が残っていたのです。
それを持ち上げたものだから、その湯が先生の方にドバッーっと。
誰もお湯が茶釜に残っていたなんて、考えてもみなかった。

もう一度大騒ぎです。
幸いにも2月の寒い日でしたので、先生は厚着で火傷するほどでもなかった様子でした。
お湯を拭きとって、やっと午後の部のお稽古開始。

お点前のお稽古は順番に行うのですが、最初にやるのは茶釜を落とした生徒さんでした。
でも、動揺しててお点前どころではない。
先生は気を遣って2番目にやるように言いました。
でも彼女は順番がくると「心臓がドキドキしてるので帰らせてもらいます」と言いました。

その気持ちは私でも分かります。
私だったら、しばらく横になりたいくらいのものだったと思います。
ところが先生は「お稽古していき。気分が変わるから」と。

それでお稽古してました。
終わってから先生は「どうや、落ち着いたやろ。ドキドキしたまま帰ったら、ずっとドキドキしたままや。お稽古はした方がいい」

した方が良いのか悪いのか、私には分かりません。
誰だったか、茶道やお点前を禅にたとえた人がいました。
お点前する時、人は息を整え、お茶を点てることに集中し、その結果、無心になるということでしょうか。
私は禅について何も知らないので間違いかもしれません。

先生は茶釜を落とした人をまったく責めず、色々と冗談も交えて励ましていました。
私は着物を着た人に茶釜を持たせたらいけないとか、体調の悪いときは絶対に無理をしてはいけないし、させないとか、心の中で反省しきりでした。
倒れて落としたのは、この日の茶釜は一番寒い時に使う大きくて重いものだったということもあったのでした。

帰ってから、グループラインで茶釜を落とした人から謝罪がありました。
先生はその生徒さんが落ち込まないようにラインでも冗談を交えて励ましてました。
ああいうことがあれば、私でも気を取り直すのは難しいかもしれません。

火傷は痛みもなく、大したことはなかったようです。
誰も大きな怪我がなかったことは幸運でした。
事故はどんな場所でも場面でも起こるものと心得なければならないようです。