ニコラ・テスラが亡くなるまで住んでいたマンハッタンのホテル・ニューヨーカー
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NYマンハッタンのど真ん中、マディソン・スクエア・ガーデンとペンシルバニア駅の前に立つと、一際目を引くのが通りの斜向かいにそびえ建つアールデコ様式の超高層ビル。
NYでも最も規模の大きな老舗ホテル、
ニューヨーカー(NEWYORKER)だ。
今回の旅では、このホテル・ニューヨーカーにも一晩宿泊した。
実は、このホテルに泊まる事も今回の旅の目的の一つ。ホテル・ニューヨーカーに住んでいた、ある人物の足跡を辿り、その人の日々の生活の息吹を感じてみたかったのだ。
その人物の名は
ニコラ・テスラ。
…電気の魔術師、稲妻博士と称され、発明王エジソンが生涯で最も恐れた男とも呼ばれ、一世紀前に交流電気の技術を確立して今日の文明社会の根幹を築き上げた、偉大なる天才発明家である。
天才であるとともに孤高の人でもあったテスラは、全世界の人類に貢献する偉業を成し遂げたにも関わらず名声を失い、晩年は孤独だったという。
ユーゴスラビアの片田舎に生まれ、パリでエジソンの部下として働き、やがて意気揚々とNYにやってきた長身痩躯なセルビア人の美青年は、いつしか“摩天楼の天才発明家”として颯爽とマンハッタンを闊歩し、かつての師でありやがて袂を分かち生涯のライバルとなったエジソンとの、交流方式と直流方式がまさに火花を散らす全面対決となる電気戦争に突入しエジソンを震え上がらせることになる…
だがしかし、電気戦争に自らの交流方式で完全勝利しながらも、気が付けばテスラは無名の忘れ去られた過去の人となり、身寄りもなくホテル・ニューヨーカーの一室に暮らす老人となっていた。
ある冬の朝、部屋の掃除に訪れたホテルのメイドが、ベッドの中で冷たくなっているテスラの遺体を見つけた。テスラは夜のうちにたった一人でこの世を去った。
世界を変えた天才発明家の、あまりにも孤独で悲壮で、そして静かでドラマチックな最期だった…
僕はニコラ・テスラのファンであり、今までにも世界各地にテスラの生涯の足跡を辿ってきた
(※)。
テスラが生涯を終えた地が今でも営業している老舗ホテルとあらば、泊まらない訳にはいかない。今回のNYの旅で最初に準備したことは、航空券とこのホテル・ニューヨーカーの予約手配だった。
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※関連記事:
2006-2007東欧バルカン旅行記その1 ベオグラード
2015夏 ドイツ/クロアチア/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紀行 8:ザグレブ技術博物館のニコラ・テスラ)
ホテル・ニューヨーカーにチェックインしたら、背広に着替えてネクタイを締め、帽子をかぶって、「訪問」の準備を整える。
さあ、憧れの老発明家が暮らす部屋に、彼に会いに行こう!
テスラの住む部屋がある高層階フロアには、彼の功績を示す簡単な展示もあった。
どうやら今なおホテル・ニューヨーカーはテスラをお得意様の常連客として扱っているようで、宿泊客向けのリーフレットにも「当ホテルにはニコラ・テスラ様が長期滞在されています」との紹介文も見えた。テスラファンとしては嬉しい限り。
そして、廊下の突き当りの部屋のドアには…
ここが、天才発明家が暮らす部屋だ!
テスラの部屋、3327号室。
…1933年から43年に亡くなるまでの10年間、彼はこの部屋で暮らしていた。
隣の3328号室は彼のオフィスのようだ。
ちなみに、どちらの部屋もホテル・ニューヨーカーでは高級グレードなクラスのジュニアスイートルームである。
…一部の文献では、テスラは晩年は破産状態でほぼ無一文となり、部屋代も払えないのでホテルからも次々に追い立てられて住まいを転々としていたといったことが書かれているのだが、スイートを続き部屋で10年間も使っていたとはテスラ先生、実はそんなに生活に困っていなかったんじゃないのか…?
何しろ全盛期には一体何億ドル稼いだか分からないような人だからなぁ(笑)
「さて、折角テスラ先生の住まいとオフィスを訪ねたが、どうやら留守のようなので今夜は帰って僕も寝るとしよう。
心配していた程には苦しい暮らしをしている訳でもないようだし、とりあえずは安心した…」
翌朝、ホテル・ニューヨーカーから数ブロック離れたところにあるというもう一つのテスラの研究所を訪ねる。
マンハッタンでは雨の朝、自転車レース大会を開催中。
大通りをひっきりなしに自転車がやって来るので横断するのも一苦労…
ロウアーマンハッタンにある
Radio Waveビル。
ここは昔はGerlachというホテルで、Tesla Memorial Society of New YorkのWebサイトによるとテスラが1896年頃に住んでいたとのこと。
ちょうどその前年に、テスラの研究所が入居していたビルが火災で焼失するという事件があったばかりなので、ひょっとしたら火事で焼け出されたテスラと彼の研究所が仮住まいとして使っていたのかもしれない。
Radio Waveビルは今ではただの雑居ビルといった佇まいだが、外壁にテスラがここに住んでいたことを記したプレートが掲げられていた。
ちなみにここに住んでいたちょうどその頃、テスラは
無線操縦ボートを発明して、マディソン・スクエア・ガーデンでデモンストレーションの公開実験を行っている。
これは今日の無線通信オートメーション技術、そしてロボット技術の先駆けであり、やがては宇宙での遠隔操作と自律制御、すなわち、今日の小惑星探査機「はやぶさ」等へと発展して受け継がれていく事となる…
このビルで毎日忙しく研究に明け暮れた若き日の“摩天楼の天才発明家”は、自分の生み出した発明の数々がやがて世界の姿をすっかり変えてしまい、百年以上後にまで続く影響を残すことを知っていたのだろうか。
「たとえ誰にも理解されず、理不尽な困難を背負うことになっても、そんなことはどうでもいい!
時代は歩みが遅すぎて僕にはついて来れない。百年後には世界が改めて驚愕する。未来は僕のものだ。」
…若き美貌の天才発明家がこうつぶやきながら、仮住まいのホテルを出て慌ただしくマンハッタンの街に飛び出していく後ろ姿がふと見えた気がした。
それがどんなに困難であっても、地球の重力に抗い、全ての力に逆らって、私達は諦めないだろう。この想いがある限り…
さあ、これから我々の新しい冒険の旅が始まる。~HAYABUSA2 -RETURN TO THE UNIVERSE-より~
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