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宇宙はいかにして理論的に期待される複雑な姿ではなく、観測から明らかになった単純な姿を獲得したのか

2024年06月03日 | 宇宙 space
東京大学宇宙線研究所の渡慶次孝気特任研究員は、パリ高等師範学校物理学部門のVincent Vennin主任研究員との共同研究において、初期宇宙の急激な加速膨張(インフレーション)(※1)の過程で、揺らぎ(※2)の量子的な振る舞いが私たちの宇宙を稀な確率で実現した結果、現在のような単純な姿が観測されるに至ったことを明らかにしています。

このことは、初期宇宙の高エネルギー環境から理論的に期待される複雑な姿と、実際に観測されているその単純な姿、という両者の隔たりを自然な理論で解消する重要な成果と言えます。

逆に、将来的な観測が宇宙の複雑な姿の痕跡をとらえた場合に、インフレーションの理論モデルを同定する大きな手掛かりを与えるものです。
※1.インフレーションとは、宇宙が生まれた直後、1000兆分の1000兆分の1秒よりももっと短い時間に起こった急激な加速膨張のこと。インフレーションが終わると、場(※3)のエネルギーが他の粒子の熱エネルギーに変換され、高温・高密度の熱い“ビッグバン”宇宙に接続される。論文や書物によっては、宇宙の本当の始まりのことをビッグバンと呼ぶこともあるので、都度確認が必要。

※2.宇宙がまだ小さかった頃は、全ての物理量は波の性質を持ち量子力学の効果も考える必要があった。このため平均値からのズレが常に存在する。このズレのことを揺らぎと呼ぶ。この揺らぎが元となり、ダークマターの密度の空間的な揺らぎが重力によって成長していく。そのダークマターの重力に引き寄せられた水素やヘリウムが集まり、星や銀河が作られ、網の目状に広がる宇宙の大規模構造を形成してきたと考えられている。

本研究の成果は、アメリカ物理学会の発行するアメリカ物理学専門誌“フィジカル・レビュー・レターズ(Physical Review Letter)”のオンライン版へ、“Why Does Inflation Look Single Field to Us?”として掲載(6月初旬の予定)されることが決定しています。
また、特に重要な研究成果を6分の1の割合で取り上げる“Editor's suggestion”に選出されました。
“稀で単純”な私たちの宇宙。真ん中から始まった小さな宇宙は、揺らぎの影響によって赤線に沿って時計回りに進化する。青線に沿って進化するよりも長時間のインフレーション=大きな宇宙を実現し、極めて単純な様相を獲得する。(Credit: Koki Tokeshi, Vincent Vennin)
“稀で単純”な私たちの宇宙。真ん中から始まった小さな宇宙は、揺らぎの影響によって赤線に沿って時計回りに進化する。青線に沿って進化するよりも長時間のインフレーション=大きな宇宙を実現し、極めて単純な様相を獲得する。(Credit: Koki Tokeshi, Vincent Vennin)


宇宙が生まれた直後に急激な加速膨張

私たちの宇宙は、局所的にみると星・銀河・銀河団といった豊かな構造がある一方で、大域的にみると一様かつ等方であることが知られています。

現代宇宙論は、今日の宇宙がこのようである理由を“宇宙が生まれた直後に急激な加速膨張(インフレーション期)があったからだ”と説明しています。

初期宇宙は現代の加速器をもってしても到達不能なほどの高エネルギー環境を提供していて、これゆえ様々な素粒子の“場”(※3)が存在し、複雑な様相を呈していたことが期待されます。
※3.時空間の各点で値を持つ物理量のことを場と呼ぶ。例えば、温度は測る場所や時刻に応じて値が決まるので、身近な場の例となる。素粒子の性質を扱う場の量子論によると、全ての素粒子は対応する場によって記述される。本記事図中では、インフレーションが一つの場で実現される場合に“単一場”と言い、これと対比して複数の場が寄与する状況を“複数場”と呼んでいる。
一方、インフレーション中に生成された量子揺らぎは、宇宙マイクロ波背景放射(※4)の観測によって、その痕跡が精力的に調べられています。
でも、観測の結果は、極めて単純な物理モデルで説明されています。
※4.宇宙マイクロ波背景放射は、ビッグバン後に発せられた“宇宙最初の光”の残光。宇宙膨張の影響を受けて波長が伸び、現在は電波の波長(マイクロ波)で観測される。どの方角からもほぼ同じ強さで到来している。宇宙マイクロ波背景放射の観測はビッグバン宇宙論の根拠として、また、その強度分布や偏光分布の観測は、標準宇宙モデルの確立に大きく貢献した。
理論的に期待される宇宙の複雑な姿と、観測から明らかになった実際の宇宙の単純な姿との間にある、このような不整合に対して、これまで自然な理解を与えることができずにいた訳です。
これは、現代物理学が抱える原理的な困難の一つと言えます。


どうして宇宙はこんなにも単純な姿をしているのか

インフレーションが実現される理論モデルを考える上では、たった一つの“場”によってインフレーションが起こる“単一場”モデルに限らず、より一般にたくさんの“場”が寄与する“複数場”モデルの可能性もあるはずです。
でも、驚くべきことに、これまでの観測結果は、複雑な要素を必要としない“単一場”モデルで華麗に説明できてしまいます。

では、どうして私たちの宇宙は、こんなにも単純な姿をしているのでしょうか?
この疑問が本研究の主題となっています。

インフレーションは、生まれて間もない小さな宇宙を、現在ほどのサイズにまで急激に大きくしてしまう仕組みです。

宇宙がまだ小さかった頃の現象なので、アインシュタインの一般相対性理論で記述される重力と並んで、量子力学も重要な役割を演じています。

相対性理論では光よりも速く情報が伝わることを禁止し、量子的な揺らぎは宇宙の進化を場所ごとに揺さぶるので、ある点と遠く離れた別の点では、インフレーションの終わるタイミングが揃わなくなってしまいます。


インフレーションが長く続けば続くほど極めて単純な姿に行き着く

ところで、昨今の物価高が私たちの家計を圧迫して久しいですが、わが国が宇宙論的な意味でのインフレーションにさらされると、どうなるのでしょうか。

日本の領土がどんどん大きくなっていく中で、よく見ると、揺らぎの影響で都道府県ごとに拡大の割合が異なっていきます。
例えば、沖縄県が最も大きくなったら、上空からランダムに飛んできた鳥は、他のどの都道府県よりも沖縄県に着地する可能性が高いことが想像できます。

この時、面積拡大のために沖縄県の生態密度(面積当たりの個体数)は、極めて小さくなっていて、もともとあった生態系の多様性は失われているはずです。

図1は、本研究成果を要約するものの一つですが、ちょっとだけ先取りして今のたとえ話を当てはめてみます。

横軸を生態系の多様性と読み替えてみると、短時間しかインフレーションが起こらなかったほとんどの県が右側の黒線に対応し、逆に最も拡大した沖縄県が左側の曲線に対応します。

インフレーションが長く続けば続くほど、つまり県が拡大すればするほど、多様性の分布を表す曲線は左へとズレていき、“単純な”県となっていきます。

本研究では、このような“もっとも膨張して、宇宙の中で最大の体積を占める領域”における場の振る舞いを、確率的な手法を用いて解析しています。

確率的というのは、インフレーション中の場は揺らぎにさらされているので、ちょうど忘年会の帰り道のように揺れ動いているからです(このような運動は、ブラウン運動と呼ばれます)。

その結果、たとえ宇宙が“複数場”の状態から始まったとしても、長時間のインフレーションの過程でほとんどの場が消失し、私たちが観測している局所的な宇宙に至る頃には“単一場”の状態へ…
すなわち、極めて単純な姿に行き着くことを示しました。(図1)

これは、インフレーションが短時間しか起こらなかった場合(図2左)に比べ、揺らぎが場を“回り道”させて(図2右)、インフレーションの期間が延ばされることによって、時間を稼ぐうえで有利な場だけが生き残るためです。
図1.揺らぎの影響でインフレーションが長く続けば続くほど、私たちの宇宙は“単純”になる。(Credit: Koki Tokeshi, Vincent Vennin)
図1.揺らぎの影響でインフレーションが長く続けば続くほど、私たちの宇宙は“単純”になる。(Credit: Koki Tokeshi, Vincent Vennin)
図2.揺らぎによってインフレーションの時間が延ばされ、場が“回り道”をする。時間を稼ぐうえで不利な場がすべて焼失し、私たちが観測する局所的な宇宙は“単純な宇宙”(青い領域)の一部となる。(Credit: Koki Tokeshi, Vincent Vennin)
図2.揺らぎによってインフレーションの時間が延ばされ、場が“回り道”をする。時間を稼ぐうえで不利な場がすべて焼失し、私たちが観測する局所的な宇宙は“単純な宇宙”(青い領域)の一部となる。(Credit: Koki Tokeshi, Vincent Vennin)
本研究の成果は、理論と観測との隔たりが、揺らぎをカギとして解消されることを意味するものです。

また、逆に将来的な観測により宇宙の複雑な姿の痕跡、すなわち“複数場”の状況に限って現れる揺らぎの特徴をとらえることができれば、インフレーションの理論モデルを同定する大きな手掛かりとなるはずです。

なぜなら、それは観測可能な領域においても、単一場に向かうことのない例外的な理論モデルが必要とされるからです。


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